ゼノン。 ゼノン (エレア派)

吉祥寺 ZENON SAKABA

ゼノン

二人の「ゼノン」 ソクラテス以前のゼノンと、以後のゼノンについて、それぞれを紹介します。 「エレア派のゼノン」 「エレア(エレア派)のゼノン」と呼ばれるゼノン(紀元前490年頃~紀元前430年頃)は、古代ギリシャの自然哲学者で、「ソクラテス以後の哲学者」です。 南イタリアの西海岸に位置するエレアに生まれ、生涯を過ごしました。 あとで説明する「ゼノンのパラドックス」が矛盾の論理として有名です。 エレアは紀元前540年頃にイオニア人の開いた都市(ポリス)でした。 紀元前515年頃にエレアに生まれたパルメニデスがゼノンの師で、パルメニデスの学派はエレア派と呼ばれます。 プラトンによれば、ゼノンが書物を書いた理由はパルメニデスの説を批判する人たちに対し、その説を擁護するためでした。 ゼノンの擁護の仕方は、存在を一とするパルメニデスの説に対し、存在を多と主張する人々の論を一度受け容れ、その仮定から生まれる矛盾の帰結を説明し、これにより間接的に相手の説を論ばくするという方法であったとプラトンが記しています。 「ストア派のゼノン」 ストア派を創始したゼノン (紀元前335年~紀元前263年)は、キプロス島のキティオン出身のフェニキア人の哲学者で、エレアのゼノンと区別する時はキティオンのゼノンとも呼ばれます。 ストア派のゼノンは「ソクラテス以後」の哲学者です。 ゼノンが22歳の時、ギリシャの首都アテナイ(アテネ)で偶然立ち寄った本屋で、ソクラテスの弟子であるクセノフォンが著した『ソクラテスの思い出』に触れて感銘を受け、同地で哲学を学びました。 その後アテナイのストア(柱廊)で講義を行うようになり、ゼノンに始まる学派をストア派と呼ぶようになりました。 「エレア派のゼノン」の哲学とは? 次にエレアのゼノンの哲学について紹介します。 「ゼノンのパラドックス」を提示して議論した ゼノンは運動、変化、多、時間など哲学上の難問を提示したことで知られ、それを「ゼノンのパラドックス」または「ゼノンの詭弁」といいます。 ゼノンのパラドックスから代表的なものを紹介します。 「アキレウスと亀」 英雄で俊足のアキレスの10メートル前方に亀がいて、アキレスと一緒に歩きだします。 アキレスは亀より10倍速く走りますが、アキレスが亀の地点についたとき、亀はすでに10メートル先にいます。 アキレスが10メートルを走ると、亀は1メートル先にいます。 アキレスは絶えず亀に接近しますが、追い越すことはできません。 運動が存在しないことを示すために提起されたパラドックスです。 「二分法」 A地点からB地点に向けて出発した時、途中の半分、そしてまたその半分、というように無限に半分づつ前進していくと到着すべきB地点が永遠に続き、どこまでいってもB地点に到達することができないとする問題です。 二分法のパラドックスとして提起されました。 「飛ぶ矢」 物体が空間の一点にあるとき、それは静止しているとするパラドックスです。 飛んでいる矢は常に空間の一点に存在しているのであるから、飛ぶ矢は静止しています。 つまり、飛ぶ矢は空間の一点に存在し、かつ同時に存在していないことになります。 「多」 「多」を仮定すれば、多は数的に有限であるとともに無限であるという矛盾した帰結を証明する、次のようなパラドックスです。 もし多があるなら、二つは別々に分かれてあるはずである。 それら二つが分かれているなら、それらを分けるものがなければならない。 それが第三のものに他ならない。 第三のものと隣のものに第四のものがあるはずである。 このことは無限に進行する。 つまり、それらは数的に無限である。 ゼノンのパラドックスから「弁証法」が生まれた 二つの相容れない意見や矛盾を討論することで真理に達することを重要視し、その矛盾を克服することによって真理に到達する技術はのちに弁証法と呼ばれるようになります。 のちに弁証法を論理的に確立したヘーゲルはゼノンを「弁証法の創始者」と呼びました。 また、アリストテレスはゼノンの技術を「ディアレクティケ」と呼び、ゼノンがこれを発見したと言いました。 ディアレクティケとは、ギリシャ語で弁証法のことです。 「ストア派のゼノン」の哲学とは? 次にストア派のゼノンの哲学について紹介します。 ゼノンは「ストア派の創始者」 ゼノンはアリストテレス哲学など、古代ギリシャで生まれたさまざまな哲学を学び、それらを集大成する形で独自の哲学であるストア派を打ち立てました。 ストア派は当時の地中海世界を代表する哲学派となり、その後も長く影響力を持ちます。 後期ストア派の代表としてセネカがいます。 ゼノンは「自然論」を主張した ゼノンは「自然に従って生きよ」と主張しました。 人間の自然本性は宇宙の自然本性と連続しているため、宇宙の法則に従うことが正しいことだとする自然論がストア派の特徴です。 ストア派の哲学については下記の記事で詳しく紹介しています。 まとめ ソクラテス以前に活躍した「エレアのゼノン」はパラドックスを提示して議論を行いました。 「ディアレクティケ」と呼ばれたその技術は、ソクラテスの問答法とも共通して「弁証法」と呼ばれ、その後も発展してゆきます。 ソクラテス以後に活躍したストア派のゼノンは、宇宙と人間がつながっているとする「自然論」を主張しました。 ストア派の自然論は、のちにキリスト教の倫理学にも取り入れられます。 古代ギリシャ哲学は現代に生き続けているのです。

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「ゼノン」の哲学とは?パラドックスの意味とストア派も紹介

ゼノン

二人の「ゼノン」 ソクラテス以前のゼノンと、以後のゼノンについて、それぞれを紹介します。 「エレア派のゼノン」 「エレア(エレア派)のゼノン」と呼ばれるゼノン(紀元前490年頃~紀元前430年頃)は、古代ギリシャの自然哲学者で、「ソクラテス以後の哲学者」です。 南イタリアの西海岸に位置するエレアに生まれ、生涯を過ごしました。 あとで説明する「ゼノンのパラドックス」が矛盾の論理として有名です。 エレアは紀元前540年頃にイオニア人の開いた都市(ポリス)でした。 紀元前515年頃にエレアに生まれたパルメニデスがゼノンの師で、パルメニデスの学派はエレア派と呼ばれます。 プラトンによれば、ゼノンが書物を書いた理由はパルメニデスの説を批判する人たちに対し、その説を擁護するためでした。 ゼノンの擁護の仕方は、存在を一とするパルメニデスの説に対し、存在を多と主張する人々の論を一度受け容れ、その仮定から生まれる矛盾の帰結を説明し、これにより間接的に相手の説を論ばくするという方法であったとプラトンが記しています。 「ストア派のゼノン」 ストア派を創始したゼノン (紀元前335年~紀元前263年)は、キプロス島のキティオン出身のフェニキア人の哲学者で、エレアのゼノンと区別する時はキティオンのゼノンとも呼ばれます。 ストア派のゼノンは「ソクラテス以後」の哲学者です。 ゼノンが22歳の時、ギリシャの首都アテナイ(アテネ)で偶然立ち寄った本屋で、ソクラテスの弟子であるクセノフォンが著した『ソクラテスの思い出』に触れて感銘を受け、同地で哲学を学びました。 その後アテナイのストア(柱廊)で講義を行うようになり、ゼノンに始まる学派をストア派と呼ぶようになりました。 「エレア派のゼノン」の哲学とは? 次にエレアのゼノンの哲学について紹介します。 「ゼノンのパラドックス」を提示して議論した ゼノンは運動、変化、多、時間など哲学上の難問を提示したことで知られ、それを「ゼノンのパラドックス」または「ゼノンの詭弁」といいます。 ゼノンのパラドックスから代表的なものを紹介します。 「アキレウスと亀」 英雄で俊足のアキレスの10メートル前方に亀がいて、アキレスと一緒に歩きだします。 アキレスは亀より10倍速く走りますが、アキレスが亀の地点についたとき、亀はすでに10メートル先にいます。 アキレスが10メートルを走ると、亀は1メートル先にいます。 アキレスは絶えず亀に接近しますが、追い越すことはできません。 運動が存在しないことを示すために提起されたパラドックスです。 「二分法」 A地点からB地点に向けて出発した時、途中の半分、そしてまたその半分、というように無限に半分づつ前進していくと到着すべきB地点が永遠に続き、どこまでいってもB地点に到達することができないとする問題です。 二分法のパラドックスとして提起されました。 「飛ぶ矢」 物体が空間の一点にあるとき、それは静止しているとするパラドックスです。 飛んでいる矢は常に空間の一点に存在しているのであるから、飛ぶ矢は静止しています。 つまり、飛ぶ矢は空間の一点に存在し、かつ同時に存在していないことになります。 「多」 「多」を仮定すれば、多は数的に有限であるとともに無限であるという矛盾した帰結を証明する、次のようなパラドックスです。 もし多があるなら、二つは別々に分かれてあるはずである。 それら二つが分かれているなら、それらを分けるものがなければならない。 それが第三のものに他ならない。 第三のものと隣のものに第四のものがあるはずである。 このことは無限に進行する。 つまり、それらは数的に無限である。 ゼノンのパラドックスから「弁証法」が生まれた 二つの相容れない意見や矛盾を討論することで真理に達することを重要視し、その矛盾を克服することによって真理に到達する技術はのちに弁証法と呼ばれるようになります。 のちに弁証法を論理的に確立したヘーゲルはゼノンを「弁証法の創始者」と呼びました。 また、アリストテレスはゼノンの技術を「ディアレクティケ」と呼び、ゼノンがこれを発見したと言いました。 ディアレクティケとは、ギリシャ語で弁証法のことです。 「ストア派のゼノン」の哲学とは? 次にストア派のゼノンの哲学について紹介します。 ゼノンは「ストア派の創始者」 ゼノンはアリストテレス哲学など、古代ギリシャで生まれたさまざまな哲学を学び、それらを集大成する形で独自の哲学であるストア派を打ち立てました。 ストア派は当時の地中海世界を代表する哲学派となり、その後も長く影響力を持ちます。 後期ストア派の代表としてセネカがいます。 ゼノンは「自然論」を主張した ゼノンは「自然に従って生きよ」と主張しました。 人間の自然本性は宇宙の自然本性と連続しているため、宇宙の法則に従うことが正しいことだとする自然論がストア派の特徴です。 ストア派の哲学については下記の記事で詳しく紹介しています。 まとめ ソクラテス以前に活躍した「エレアのゼノン」はパラドックスを提示して議論を行いました。 「ディアレクティケ」と呼ばれたその技術は、ソクラテスの問答法とも共通して「弁証法」と呼ばれ、その後も発展してゆきます。 ソクラテス以後に活躍したストア派のゼノンは、宇宙と人間がつながっているとする「自然論」を主張しました。 ストア派の自然論は、のちにキリスト教の倫理学にも取り入れられます。 古代ギリシャ哲学は現代に生き続けているのです。

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株式会社ゼノン

ゼノン

生涯 [ ] テレウタゴラスの子として生まれたが、養子縁組によって哲学者の子となった。 それより生涯、パルメニデスの弟子であり、同時に愛人でもあったという。 エレアを愛していたため、学問の中心であるには移住せず、生涯を祖国で過ごした。 として命を落とした。 そのころエレアを支配していたネアルコス(一説によればディオメドン)を打倒しようとしてかえって捕まえられ、刑死させられたという。 一説によれば、同志や武器の輸送について尋問されたときに、僭主に猜疑心を起こそうと謀って、同志として僭主の友人の名を挙げた。 その後、さらに打ち明け話があるふりをして僭主に近づき、その耳(あるいは鼻)に噛みついて、刺し殺されるまで離さなかった。 また別の一説によれば、他に共犯者がいるかとの僭主の問いに対して「国家に仇をなすあなたこそ、反乱の首謀者である」と言い放ち、自分の舌を噛み切って相手に吐きかけた。 そこで市民たちは奮い立って、僭主に石を投げつけて殺してしまった。 またある別の一説によれば、ゼノンは石臼の中に投げ込まれて打ち殺された。 の対話篇『パルメニデス』に、師パルメニデスやと一緒に登場させられた。 やもゼノンの講義を聴いたことがあるとされている。 そのほか、プラトンは、の知将になぞらえて、彼を「エレアのパラメーデース」として言及した。 また、によって「、問答法 dialektike 」の創始者と呼ばれた。 学説 [ ] によれば、質疑応答により知識を探求する方法(弁証法)は、このゼノンによって初めて発見(発明)された。 彼の論法は、もし存在が多であるならば、それは有限であると共に無限であるというような矛盾した結論を、相手方の主張を前提とすることから導き出して、これを反駁するところに特色がある。 これらのは、パルメニデスの唯一不動の存在の考えを弁護する立場からなされている。 この一と多の関係についての議論のなかから、有名なが提示された。 運動不可能を論じた〈アキレウスと亀〉〈飛ぶ矢は動かず〉等の論証は有名だが、特に前者はパルメニデスのものであるとも言われる。 「実在するものが世界のすべてであり、変化も運動も存在しない」。 これこそゼノンがパルメニデスから継承した命題であり、に影響を与えた。 ゼノンの世界観とは、以下のとおりであったという。 いくつかの世界が存在しており、空虚(虚空間)は存在しない。 万物の本質は温・冷・乾・湿の諸要素からできており、そしてこれらは相互に変化するものである。 人間は大地から生まれたものであり、魂は先ほどの4つの要素が混合したものであるが、その際、それらの要素のどれ一つも優位を占めない状態にある。 参考文献 [ ]• 『ギリシア(下)』() 注釈 [ ]• ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(下)』加来彰俊訳、岩波書店、1994年、118頁。 によれば、第79回大会期(-)のときに男盛りであった。 外部リンク [ ]• (英語) - 「ゼノン エレア派 」の項目。

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