弘前 映画館。 イオンシネマ弘前 上映スケジュール

青森県弘前市の映画館一覧

弘前 映画館

写真1 時敏小学校前の歩道橋=1969(昭和44)年・藤田本太郎さん撮影『弘前の散歩みち』北方新社、1996年より転載 写真2 久一鳴海呉服店=昭和初期・『津軽名勝と産業』弘前市立弘前図書館提供 写真3 和徳町と東長町の商店街、そして岩木山。 ここから見る岩木山の美しさは、昔も今も変わらない=1963(昭和38)年6月8日・中園裕提供 弘前市の中心街である土手町や本町、銀座街や鍛冶町などにつながる街並みにも、さまざまな歴史がある。 郊外の大型スーパーを取り巻く住宅街に多くの人々が居住している現在、中心街とその周辺も大きく様変わりした。 記録を残すつもりで書いておきたい。 繁華街である本町に直結し、土手町や鍛冶町に近いため人通りが多く、戦前から劇場や映画館がそろっていた。 中央通りと接する交差点の南西寄りには、かつて弘前東宝映画劇場があった。 南隣にはスカラ座、道路を挟んだ東側にはオリオン会館(オリオン座)があった。 弘前東宝は弘前座と呼ばれた劇場が前身で、歌舞伎や芝居を中心に活動写真も上映していた。 活動写真が盛んになった昭和戦前期に映画専門館として改装され、弘前東宝映画劇場と改称した。 敗戦後、戦時中の抑圧から解放された弘前市民は映画に夢中になった。 市内各地には随所に映画の専門館が建った。 しかしテレビの普及に伴い映画は衰退していった。 従業員の削減や系列館の再編成が行われ、映画館と他の施設が同居する複合経営が主流となった。 オリオン会館は、1975(昭和50)年に1階建てのオリオン座を3階建ての映画専門館として新築したものだが、1階にパチンコ店を入れざるを得なかった。 映画館閉鎖後、現在はオリオン歯科が入居し開業しているが、映画専門館の面影を残す貴重な建物である。 他にも元寺町には歴史を伝える建築物が残っている。 27(昭和2)年建設の三上ビルは、かつて弘前無尽(後に弘前相互銀行)の本店だった建物で、国の登録有形文化財に指定されている。 近くの弘前教会は県重宝、その隣の石場旅館は国の登録有形文化財に指定されている。 三つの建物は青森県史の編さん事業でも取り上げ、『青森県史文化財編建築』(2015年刊行)で写真と共に解説を付して紹介した。 失われたものもある。 現弘前文化センターの場所は、かつて弘前市立時敏小学校だった。 自動車の増加に伴い、子どもたちの安全を確保するため歩道橋が設置された (写真1)。 79(昭和54)年に学校が現在地へ移転。 現在、この場所に歩道橋はない。 弘前文化センターも、老朽化のため大規模な改修が検討されている。 今後、建物周辺の景観も変わるだろう。 県道はかつて国道7号だった。 和徳町は県道(国道)沿いにも町域が続いている。 青森市方面からは弘前市への入り口だったため、藩政時代から明治・大正期にかけてにぎわった。 今も県道沿いには古い建物が残り、わずかに当時の面影を残している。 和徳町のにぎわいを象徴する存在が「久一鳴海」の呉服店である。 土手町の「角は宮川」や「角み宮川」と並ぶ弘前市三大呉服店と称された。 大正初期に立派な蔵造りに店舗を改装。 和徳町かいわいで際立つ存在だった (写真2)。 土手町に繁華街が形成され和徳町に陰りが見られると、「久一」も土手町へ店舗を移したが結局廃業。 戦後しばらくは他の業者が建物を使用していた。 61(昭和36)年に青森市の常光寺が建物を買い取り、その後移築した。 青森大空襲で焦土となった青森市の中心街には古い建造物が少ない。 当時の住職は歴史ある建物の大切さを痛感し、「久一」の建物を移築することにしたという。 現在の和徳町にも老舗の店舗がいくつか存在する。 写真3に見える川村タンス店は明治期の創業である。 戦後復興と高度経済成長で家具屋は重宝されたが、その後に業種を転換。 仏壇川村として和徳町を代表する商店の一つとなった。 写真3の右端に見える竹与雑貨店は戦前から続く老舗商店である。 菓子司みしまも同様で、ぶどう、りんご、栗の3種類の羊羹(ようかん)を合わせた「陸奥の園」と、姉妹品の「月の甘露」が、全国菓子大博覧会で名誉大賞を受賞した。 和徳町から朝陽橋を渡ると東長町である。 かつては商店が並んだが、現在は店舗数が減った。 それでも写真館ハセガワ(長谷川写真館)は戦前から続く老舗の写真店。 お茶の店スルガも店内が美術館的で興味深い。 和菓子屋のあずき庵には甘党の客が出入りする。 中心街周辺の商店街には、郊外の大型スーパー街にはない個性的な商店があるのだ。 地元のなじみ客が足しげく通う憩いの場である。 店主の菅原基夫さんが定年後に夫婦で開いた店だ。 菅原さんには弘前市内で過ごしてきた思い出や情報を数多くいただいた。 地元に長く生活してきた住民たちの思い出や、証言ないし体験談は、現代史を執筆編集する上で大切な情報源である。 紙に記された諸資料からはうかがえない時代の生々しさを感じ取ることができるからだ。 思い出や証言の裏付けを取ることは必要である。 多くの人たちの証言を得ることも大切な作業だ。 聞き取り調査は大変な労力を伴うが、喜んで話をしてくれる人たちの情報は、何らかの形で書き記しておきたい。 本紙の連載を執筆する上でも、多くの方々の協力をいただいた。 いろいろな情報、さまざまな体験談をすべて紙面に掲載できるわけではないが、可能な限り生かしていきたい。 地域の現代史は地元住民の協力を得ることで、一層内容が充実するからである。 (青森県県民生活文化課県史編さんグループ・中園裕).

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テアトルシネマグループ

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お気を付けください。 に行くなら演劇をチェックしておきたいと思い、「 劇場」というワードで、検索をかけました。 そしたら出てきました。 テアトル ピンク映画館 演劇じゃない!笑 しかもピンク映画館、、、。 ピンク映画館といえば上野「オークラ劇場」が有名です。 もちろん行ったことはないです。 あとは鹿児島で見つけた劇場もピンク映画館だったな〜。 その時も劇場と検索した思い出アリ テアトルを検索してもレビュー記事は1つだけ。 何が何だかわからない。 実態が見えな過ぎてこわい。 行くしかない。 気になってしかたない。 たぶん僕が行くしかないんだ。 地元の学生さんは行ったことがないらしい。 僕が伝えるしかないんだ。 今回は、未知の場所「テアトル」を、お伝えしていきたいと思います。 さて、これが本体。 本当にピンクだ、、、ピンク映画館だけに、、、 写真だとつたわら無いのですが建物がピンク色をしています。 ) えー、そして、今日のラインナップ。 この写真を載せていいのか? ? スケジュール表 時間はいろんな帯でやってますね。 連続上映システムの感じは昔の映画館的なのでしょうか。 午前午後みたいな書き方ではないのでよくわからないのですが、夜遅くまでやってます。 がっつり、ポスター。 入り口は自動ドア。 そこだけはしっかりしてる? ? 中に入ると受付があり、僕はご年配の女性の方に受付してもらいました。 お互いの顔を見れないようになっているというラブホみたいな受付です。 学割があるという、謎の配慮を見せてくるところはさすがです。 大学生よ、300円安くなるぞ。 丁寧な受付を通り過ぎ、チケットをもらう。 この扉を開けて、場内へ。 ドキドキ。 中に入ると男性4人ぐらいがこっちをみる。 襲わないでください。 劇場後方には立ち見スペースがあり、そこでは1人タバコを吸っている。 前の方に座っている方もご一服。 そして誘導灯には 「禁煙」の文字。 おかしいな?見間違いかな? 実際に見た作品は「監獄シェアハウス」。 名前からして、どうみてもアウト。 エログロホラーみたいな作品だったため怖い。 ふっつーに怖い。 たぶん初見の「」ぐらい怖い。 そして劇場の雰囲気も相まって「俺、殺されるんじゃないか?」という恐怖感まで襲ってきた。 周りの皆さんはタバコを吸いながら、へーって感じでみてるご様子 2作目も続けてみようかとおもったが、怖すぎて退散。 僕には限界でした。 なんでしょう、劇場に入る前からはエロ要素的な方にワクワクしている自分がどこかいたような気がしたんですが、帰りには恐怖に怯えてるという訳わかんない状態になりました。 僕がみた作品が悪かったのでしょう。 怖すぎです。 「」にエロ要素を付け足しただけです。 たぶん純情な作品を選べば、もう少しは楽しめる、、、はず!! 作品選びに注意ですね! 過激系以外の作品が思い浮かばない 以上、テアトルからお伝えしました。 hasheem32.

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弘前唯一の映画館

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城下町弘前市の歓楽街は弘南鉄道大鰐線中央弘前駅近くの鍛冶町に集中している。 先程まで紙漉町の怪しげな旅館街を調べ回っていた訳だが、この鍛冶町という場所も相当賑々しい。 という訳で中央弘前駅前まで来た。 この弘南鉄道大鰐線というローカル線は弘前駅とは接続しておらずもっぱら地元の学生の足となっている模様。 鉄ヲタでもなければ旅行者が使う用事もなさそう。 ここから電車に乗ると紙漉町の旅館街を車窓から眺められるというお楽しみ付きですがね。 昭和27(1952)年開業という中央弘前駅の駅舎はなかなかのボロっぷり。 開業以来改装とかしてなさそう。 程良いくたびれ方をしていて良いのだが、試しに一駅分乗って紙漉町の旅館街に行こうと思って時刻表を見たら1時間に1本しかない貧弱ダイヤで泣く泣く諦めた。 駅改札近くにはローカル感満載なラーメン屋兼定食屋があってさぞかし沿線の学生達の腹を満たす補給基地となっているのだろうがいくら弘前がりんごの名産地だからって「りんごラーメン」って何だと思ったら地元の製麺所がりんごを練り込んだ麺を売ってるらしい。 駅前には堂々たるレンガ造りの弘前昇天教会。 城下町でしかもこのようなレトロモダン建築の宝庫である弘前市の中でもこの辺は全体的に昭和でローカルな雰囲気が強い界隈であんまり観光地的ではない。 実際観光客が殺到するのは夏場の弘前ねぷたの時期か春の弘前城の桜目当てかくらいだろう。 そろそろ駅前を離れて鍛冶町の方に歩いてみる。 手前の北川端町あたりからもうこんな具合にそそられる飲んだくれビルが現れた。 川端横丁だと。 秋田とは違って弘前は川反ではなく川端なんですね。 で、川端横丁の中もこんな感じに戦後のドサクサ臭に満ち溢れたスナック街となっております。 「唄うスナックささ川哀歌」と書かれた店の看板が渋いなこれまた。 地元の爺さん婆さん御用達な感じのカラオケスナック。 古臭い飲食街だけどいかがわしさはない。 歓楽街は住所で言う所の弘前市鍛冶町と新鍛冶町、それと桶屋町の一部に跨っている。 2つのメインストリートに夥しい数の飲食店ビルが連なる。 青森市の次にでかい街だけあって、なかなか見所がある。 結構裏道がマニアックなのが鍛冶町という土地。 入口に「城東閣」と書かれた古びた看板の奥に連なる怪しげな路地につい引きこまれてしまう。 城東閣というのは特定の店の名前なのかよく分からんままに入ったのだが、結構荒廃気味の路地が通り抜け可能な状態になっていた。 スナックがちらほらあるにはあるが空き地とか廃屋が目立ちますな。 すると目の前に蔦まみれのあばら屋が姿を現す。 そこには同じく「城東閣」と書かれた看板がもう一つ。 この建物が城東閣か?全くもって謎めいているが蔦の隙間から見えるタイル模様が萌え。 蔦まみれビルの左側が通路になっていた。 この奥もスナック街が連なる。 そのまま行けば東側の通りに通り抜け出来る。 東北地方で石巻とここ弘前鍛冶町にたった二軒しか残っていない成人映画館の一つ「テアトル弘前」。 露骨に真っピンクなビルに入居する映画館。 シネコン以外だと弘前市内で映画館があるのはここだけ。 成人映画館が入居するビルもやはりスナックビル「グランドパレス」。 これでもかと並ぶ店舗看板がそそる。 夜の街は人間様の天下だが、翌朝はカラスの天下。 グランドパレスビルの前のゴミ集積場はカラスに荒らされてこれまたカオスな事態となっていた。 今度は盛り場の西側に回りこむ。 ドーミーイン弘前の手前あたりに大きなスナックビルが複数並んでいる。 「ニュー明治屋センター」「明治屋グランドビル」「明治屋会館」といった明治屋の屋号がついた建物だらけ。 弘前鍛冶町で堂々たる存在感を放つ明治屋コンツェルン。 東京とかだと明治屋と言ったら高級志向の輸入食品スーパーだがは弘前の人が明治屋と聞いたら真っ先にここをイメージするのだろうな。 この辺一帯が明治屋一色なのだが、実はこの複数のスナックビルは中で複雑に結びついているのだ。 その入口の一つがこの明治屋ゴールデン街ビル。 その名前は新宿歌舞伎町のそれを思い浮かべるのだがごっついコンクリートビルだしなあ、ここ。 しかしこのビルの中が随分な迷宮状態になっている。 目の前の階段を登って通り抜けてみましょうね。 何の変哲も無さそうなコンクリートビルの通路を抜けた先がこれ。 ちょっとこれには意表を付かれた。 どうなってるのだこの辺の構造は?!複雑に折れ曲がる階段だらけの路地裏風景。 渋いスナックの看板もアクセント。 このスナック街の路地は「明治屋ゴールデン街裏通り」という名前が付いている。 複数に跨る明治屋ビルの谷間に位置し、各ビルへのはしご酒…いや橋渡しの役割を持たせる為に整備されている。 「弘前の九龍城砦」とも。 この裏通りから各ビルへの連絡通路が複数あるのだが、これ酔っ払った後だと確実に迷うだろうよ。 グルグル回って倒れてしまいそう。 裏通りの出口はそのまま隣の本町方面の通りに出られる。 ちゃんと看板出てますね。 そのまんま「裏通り」だって。 鍛冶町の盛り場の北側には「かくみ小路」。 買い物通りの土手町へ繋がる横丁だが途端に如何わしさが消える。 かくみ小路と言えば太宰治ゆかりの老舗喫茶「万茶ン」があるくらいか。 ここは東北最古の喫茶店とは言っても店構えは改装していて古さは感じない。 名物の太宰ブレンドはかなりほろ苦い。 エリアから記事を探す• 110• 104• 117•

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