いつもそばにいて支え合えた日々と。 【江差町】海を眺めながら食べる、端正なお蕎麦/手打ちそば和味

【トッケビ】君がくれた愛しい日々~」続編・シーズン2はある?構想はどうなる?

いつもそばにいて支え合えた日々と

働き方改革の一環で有休を取ることになったとある平日。 旦那と二人で江差町の 『手打ちそば和味(なごみ)』でお蕎麦を食べました。 元々は『手打ちそば和海(なごみ)』という店名でしたが、この春から『手打ちそば和味(なごみ)』と店名を変えられたようです。 通りで…最初に看板を見た時に「あれ?」と違和感があったんですよ ・・; 玄関横の看板にその名残がありますね。 店内はウイルス対策がしっかりと施されています。 まず、入店する際にはマスク着用&手指の消毒が必須! レジ周りや厨房へ入るドア付近には、飛沫防止用のビニールシートがありました。 今後はこれがスタンダードになっていくのでしょうね。 まだまだ気の抜けない状況です。 道路に面した小上がりのカウンター席に座りました。 海が眺められるここの席が好きで、空いていれば大抵はここに座ります。 窓の左側に見えている緑はかもめ島です。 天ざるにしました。 ここの鶏天丼も好きなのですが、鶏天丼とお蕎麦のセットだといつもお腹いっぱいで苦しくなるので諦めました(泣) (そしたら、後からいらしたお客さんが鶏天丼をご飯少なめで注文していました。 そういう注文の仕方もできるんだ?! 値段は変わらないと思いますが、残すのも勿体ないので今度はご飯少なめでセットを注文してみます) ここのお蕎麦は北海道産の蕎麦粉・小麦粉を使用した二八蕎麦です。 細く綺麗でコシがあり、喉越しが良いのが特徴です。 あまりにも均整が取れているため、機械打ちだと誤解されることもあるとか。 サクサクの天ぷらには、今が旬のアスパラも。 この時期、ご近所からアスパラをお裾分けで頂くことが多いのですが、北海道のアスパラは、太く、瑞々しく、甘く、本当に美味しいです。 一年中あらゆる野菜が食べられるようになった昨今ですが、やはり日本の旬のものには敵いません。 旬の美味しさをきちんと楽しむことができる食事をしていきたいですし、息子にも旬がわかる人間になって欲しいです。 やっと、飲食店にも客足が戻ってきましたね。 自粛明けで気も弛みそうなところですが、これまで通り『いつも以上に』気を付けて日々を楽しんでいきたいなと思います。 手打ちそば 和味 店舗情報.

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いつもそばにいて支え合えた日々と

みなさんは夏が旬の食べ物と言えば何を思い浮かべますか? スイカやトマトやきゅうりなどいろんな食べ物がありますが、小さい頃からよく食べていたとうもろこしもその一つですね。 私の住んでいるところの近くでは 開田高原のとうもろこしが有名で、昨年は何も知らずに7月に行ってしまい、地元の人に「とうもろこしはお盆すぎてからだよ」と言われ、今年は迷走した台風10号の上陸が心配されるなか、8月28日に奥さんと開田高原に行ってきました。 開田高原のとうもろこしは絶品 「とうもろこしは朝取りじゃなきゃダメ」ということで、細かい雨がポツポツ残っている中を早朝から車で開田高原に向かいました。 国道19号線を北に向かい、木曽福島の木曽大橋のところで左折して国道361号線に入り、きそふくしまスキー場を超え、情報を仕入れようと開田高原観光案内所へ行きました。 そこのおばさんは言ってることを確認する間もないほど早口で、「とうもろこしを買えるところ」「そばの美味しいお店」「お風呂に入れるところ」の3点だけ聞き出して案内所を後にしました。 そのおばさんによると、今日はちょうど 軽トラ市をやってるのでそこへ行けばたくさん売ってるとのことだったので、さっそくそこに向かいました。 途中、道端でとうもろこしを販売している露天がたくさんありました。 着いてみるとそこは去年ツーリングで一休みしたところで、7月に奥さんと来た時もトイレ休憩に立ち寄ったところでしたが、奥さんは覚えていませんでした。 とうもろこしの値段はどの軽トラも 1本180円で、この値段は道端で売っているものも同じ。 協定があるんでしょうか? この値段なら家の近くのスーパーと大差ないんですけど、太さが段違い! 下の写真は帰ってから家で撮影したものですが、スーパーで売っているものよりずっと太いですよ。 そして生で食べられるとうもろこしは 1本200円でした。 さすがに生で食べられるとうもろこしはスーパーでは売ってないですよね。 さっそく普通のとうもろこしを10本と、焼きとうもろこし2本、生で食べられるとうもろこしを2本購入し、その場でとうもろこしの生食いを初体験しました。 実は普通のとうもろこしより少し白っぽい色で、「スイカのような味の中にとうもろこしの味もする」という今まで食べたことない味で、メチャメチャ美味しかったです。 家に帰って普通のとうもろこしも蒸して食べましたが、これがまた旨い! 晩ごはんの代わりに2本も食べてしまいました。 ちなみに軽トラ市のお店の方に聞いたところ、とうもろこしは茹でて食べるより蒸して食べたほうが甘みが増して美味しいとのことで、その通りでしたよ。 とうもろこしの旬はいつ? 目についたちょっと大きな野菜の直販所があったので、そこに立ち寄ってみました。 そこではもうとうもろこしは売り切れてしまっていて、この時期には珍しい白菜を買いました。 そこのおばさんに「とうもろこしはいつまでが旬なの?」と尋ねたところ、「お盆過ぎから9月の終わりころまでくらいかなぁ。 でも今年は夏が暑かったからそれまで持たないかも」ということでした。 ということは、 開田高原のとうもろこしの旬の時期は8月中頃から1ヶ月くらいということです。 開田高原は涼しいし、夏の暑さを逃れてドライブがてらにとうもろこしを買いに行くのにはちょうどいい時期ですね。 そばも絶品でした(高原食堂) 信州のグルメと言えばそばですよね。 国道18号線沿いの畑はとうもろこしとそばがたくさん栽培されていて、立ち寄った「木曽馬の里」でもそばの花が綺麗でしたよ。 去年はあてもなく車で走っていて目についたおそば屋さんに入ったのですが、今年は観光案内所で美味しいおそば屋さんを聞いていたので、そこに向かいました。 すると去年入ったおそば屋さんが勧められた「そば処たけみ」だったことを知り、今回はすぐ近くのもうひとつのお勧めの 「高原食堂」におじゃましました。 行った時間が11時と早く、行ったときにちょうど板前姿のあんちゃんがのれんを出したところでした。 このお店が商売っ気がないというか、表の自販機は故障したまま、店内に入ると「人手が足りないため、そばしか提供していません」との張り紙が。 もちろん天ぷらそばはなし、メニューもざるそばとかけそばと月見そばしかなく、席も6人がけのテーブルが三つ、4人がけのテーブルが一つ、それに座敷に6人がけの座卓が二つとかなりの人数が入れるのに、客席を担当しているのは耳が少し遠いおばちゃん一人。 奥で調理しているさっきのあんちゃんと母子なんだろうなぁなんて想像してしまい、どこも人手不足は深刻なのかと心配になってしまいました。 「そばの提供には時間がかかります」と張り紙がありましたが、私はざるそば3枚、奥さんはざるそば2枚を注文し、20分くらい待っただけでそばが運ばれてきました。 そばはコシがあり、もっちりしている割には歯ごたえもあって香りも良く、ツユとのバランスも絶妙。 そば湯を入れて飲んだツユは、これまでの中で一番旨かったような気がします。 私が食べ始めるころにはテーブルはすべて埋まり、名前を書いて外で待っている人もいました。 あとでネットで調べると、高原食堂はそば通が足繁く通う人気のお店だそうです。 お昼ころに行っていたら、暑い中で待たされるハメになっていたんですね。 早く行ってよかったぁ~。 温泉もよかったぁ~ 旅に温泉は付きものということで、事前に調べていた「御嶽明神温泉 やまゆり荘」に行きました。 ホームページでは施設老朽化で漏水したとあり、入浴料も450円と安かったのでそれほど期待してはいませんでしたが、行ってみるとそれほど古さを感じることもなく、良かったですよ。 お湯は少し濁った茶褐色で、この色はお湯に含まれている鉄分が酸化した色だそうで、お湯の効能は神経痛や筋肉痛、冷え性やうちみ、くじきなど、飲用しても糖尿病や肝臓病などにもいいそうです。 内湯と同じくらいの広さの露天風呂もあり、天気がいい日は露天風呂から御嶽山が望める抜群のロケーションです。 私が行った時は太陽も顔を覗かせていたのですが、御嶽山は雲がかかり裾野しか見られませんでした。 上の写真の左上に黒く見えるのが御嶽山で、その上の白いものが雲です。 晴れていたら山頂までくっきりと見られたでしょうね。 最後に 開田高原ではとうもろこしの甘さを増すために間引きをしているそうです。 1本の苗からできるとうもろこしの数を減らして、少ないとうもろこしに養分を集中させているわけです。 広い畑のすべてのとうもろこしを間引きするには相当な手間が必要だと思うんですが、その手間があってこそ甘くて美味しいとうもろこしができるんですね。 来年もまた美味しいとうもろこしを買いに開田高原に行くぞ~。 家の畑でもとうもろこし作りに挑戦しようかな。

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涙が止まらない!小児がんと闘った9歳少年の実話「がんばれば、幸せになれるよ」

いつもそばにいて支え合えた日々と

著者が何年、何十年とクリスチャン生活を送っていく中で、いつも感じたり、こだわっているのは、イエスさまが共にいてくださるかどうか?です。 それは日常生活でもそうですし、こんな風に神さまの働きをさせていただいているときもそうですし、あるいは聖書を読んだりお祈りをしたりしているときも、そうです。 いつもいつもイエスさまが共にいてくださるといいなぁ・・・と、そんな風に思っています。 ところで以前の著者は、あまり聖書をよく読んでいませんでしたし、ろくに祈ってもいなかったので大きな誤解をしていました。 クリスチャンになった人と・・・つまりすべてのクリスチャンとイエスさまはいつでも一緒にいてくださるものだと思っていました。 でも、聖書を多少なりともまじめに読むようになり、真の意味合いでイエスさまのことを少しずつ知っていくようになって、「そうではないんだ」ということに気付きました。 それに関して、聖書のことばを見てみましょう。 〔聖書箇所〕ヤコブの手紙 4:6 4:6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。 ですから、こう言われています。 「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。 」 「神は、高ぶる者を退け」と書かれています。 KJV訳では「自慢や誇りや高慢に抵抗する、無視する」とあります。 つまり、たとえクリスチャンと称していても・・・もし、自慢をしたり、誇りを持っていたり、高慢になっているなら、神さま(イエスさま)から抵抗されたり、無視されてしまうのです。 「抵抗される」とは、イエスさまから拒まれてしまうことですよね。 「無視される」ということは、イエスさまから相手にされないことですよね。 ゆえにイエスさまが共にいてくださらない、ということなのです。 たとえばあなたに友人がいて・・・でも、その友人が、やたらと自慢話をしたり、高慢な態度ばかり取っていたらどうでしょう?自分はあれができる、これもできる、豪邸に住んでいる、素敵な伴侶や家族に恵まれている等・・・そういう人とずっと一緒にいたいと思いますか?少しずつ距離を置きたい、なんていう風に思うのではないでしょうか?きっと神さま(イエスさま)も同じだと思います。 では、イエスさまはどんな人と共にいてくださるのでしょうか?その答えが、冒頭の詩篇のみことばに書かれています。 ズバリ!「砕かれたたましい」の持ち主と、共におられるのです。 ちなみに「たましいの砕かれた者」のところは、KJV訳だと「罪を深く悔いている霊、心」とあります。 たとえば罪を犯したり、失敗をしたりしてしまったときに、「ああ、あんな罪を犯してしまった、こんな失敗もしてしまった、自分は本当に罪深い者だ、みじめな者だ、でも、神さまどうか憐れんでください、赦してください、そしてどうか悔い改めへと導いてください」と、そんな風に神さまに心を注いでいる人のことを言われているのではないかと思います。 また、詩篇の別の箇所では「神へのいけにえは、砕かれたたましい。 砕かれた、悔いた心。 あなたは、それをさげすまれません。 」とあって、こちらもさきほどと同じように、KJV訳では訳されています。 このことから、たとえ罪を犯すことがあっても、しかし、「罪を深く悔いる」ことが、いかに大事かが分かりますよね?しかも、私たちがそのような態度を神さまの前に表明するなら、ことさらに神さま(イエスさま)は憐れんでくださり、悔い改めにも導いてくださり、共にいてくださるのです。 こういうことは、たしかに世の中では受けないことかもしれません。 また、多くの人がこのような生き方を受け入れることはできないかもしれません。 はたまた選ばないかもしれません。 でも、もしも、志を感じましたら、ぜひ、神さまに求めていきましょう。 時として著者も失敗をしたり、罪を犯しますが・・・ではあっても、日々、このような歩みをスタンスにしています。 そして良くも悪くも、色々と学びをさせていただいています。 うまくいくことばかりか?と言うと、そうではない、ということです。 それこそ少しでも高慢や誇りや自慢が浮上するなら、すぐにイエスさまは去ってしまわれることも体験しています。 逆に、悔いた心になっていくときに、失敗や犯してしまった罪はともかく、イエスさまがそばにいてくださっているなぁということを感じます。 高慢 or 悔いた心のどちらが良いか?なんていうことは取り立てて言わなくても、重々ご承知だと思います。 もちろんはじめから失敗や罪を犯さないに越したことはないのかもしれませんが、しかし、そうではあってもイエスさまが共にいてくださることを、求めていきたいと思います。 ぜひ、「砕かれたたましい」すなわち「罪を深く悔いた心」となって、いつでもどんな時でも、イエスさまに共にいていただきたいですね!たとえ失敗をしながらも、しかし生涯このことに目を向けていくなら、イエスさまは共にいてくださいますので、天の御国にゴールできるでしょう。 反対に、どこまでも自分を正当化して罪を悔い改めずに傲慢になったり、あるいは自慢や誇りに向かっていくときに、イエスさまが共にいることはありませんので・・・ゆえに天の御国は難しいと思いますので、気をつけていきたいと思います。 繰り返しますが・・・ぜひ、神さまの前に絶えず「悔いた心」になって、イエスさまと共にいたいと思います。

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