ありしこそ 意味。 徒然草のさて冬枯れのけしきこその助動詞をすべて教えてください。

宇治拾遺物語『保昌と袴垂』(2)解説・品詞分解

ありしこそ 意味

【はじめに】 晩年の藤原定家が、古今集から新古今集までの八代集より各十首ずつ秀逸歌を抄出した秀歌撰。 『明月記』には、天福二年 1234 九月、後鳥羽院の第二皇子道助法親王の仰せにより撰進したとある(実際には隠岐の後鳥羽院の企画であろうと推察され、後鳥羽院・家隆・定家の三者共撰の『別本八代集秀逸』も伝存する)。 時に定家七十三歳。 宇都宮頼綱から嵯峨山荘の色紙染筆を依頼される前年のことである。 百人一首と共通する歌は三十六首。 歌の排列、作者名の表記などは、岩波文庫『王朝秀歌選』 樋口芳麻呂校注 所載のテキストに従った。 定家単独撰のいわゆる流布本『八代集秀逸』である。 なお、拾遺集・後拾遺集の定家撰は各十一首ある。 以下は、日本歌学大系に「八代集秀歌」として掲載されたテキストより、後鳥羽院撰歌・家隆撰歌を抜き出したものである。 それぞれ、家隆撰と重なる歌には末尾に 家を、後鳥羽院撰と重なる歌には 勅を、定家撰と重なる歌には 定を、また百人一首と重なる歌には *のしるしを付した。 なお、定家単独の流布本「八代集秀逸」とは撰歌に異同があることは、上に示した通りである。 後鳥羽院撰歌 古今集 花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに 小野小町 定 * 月みれば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里 家 定 * 龍田川もみぢ葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし 人麿 家 このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに 菅家 家 * あり明のつれなく見えし別よりあかつきばかりうきものはなし 忠岑 家 定 * さむしろに衣かたしきこよひもやわれをまつらむ宇治の橋姫 よみ人しらず 家 たがみそぎゆふ付鳥かから衣たつたの山にをりはへて鳴 業平朝臣 定 むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな 貫之 わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ 行平 家 色みえでうつろふものは世の中のひとのこころの花にぞありける 小町 家 後撰集 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわがころも手は露にぬれつつ よみ人しらず ママ 家 定 * あづまぢのさのの舟橋かけてのみおもひわたるをしる人ぞなき 源等朝臣 家 定 思川たえずながるる水のあわのうたかたひとにあはできえめや 伊勢 家 定 つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり 読人不知 家 定 あさぢふのをののしの原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき 等朝臣 定 * 花の色はむかしながらに見し人のこころのみこそうつろひにけれ 元良親王 いとどしく過ぎにしかたの恋しきにうら山しくもかへるなみかな よみ人しらず むかしせし我かねごとのかなしきはいかにちぎりし名残なるらむ 貞文 侘ぬればいまはたおなじ難波なる身をつくしてもあはむとぞ思ふ 元良親王 * 拾 世にふればものおもふとしもなけれども月にいくたびながめしつらむ 具平親王 拾遺集 春たつといふばかりにやみよし野のやまもかすみてけさは見ゆらむ 忠峯 家 定 さくらがり雨はふりきぬおなじくはぬるともはなのかげにかくれむ よみ人しらず 八重むぐらしげれるやどのさびしきに人こそとはね秋はきにけり 恵慶法師 家 定 * かぎりあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり 道信朝臣 家 定 あし引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 人丸 家 定 * おもひかねいもがりゆけば冬の夜の川かぜさむみちどりなくなり 貫之 定 身にしみて思ふこころのとしふればつひに色にもいでぬべきかな 敦忠 家 逢事はこころにもあらで年ふともさやはちぎりしわすれはてねど 忠依 たのめつつわかれし人をまつほどにとしさへいたく老にけるかな 読人不知 くらきよりくらき道にぞ入ぬべきはるかにてらせ山のはの月 和泉式部 後拾遺集 高砂の尾上のさくらさきにけりとやまのかすみたたずもあらなむ 匡房 家 * 大井河ふかきながれをたづねきてあらしの山のもみぢをぞみる 白河院御製 家 奥つかぜ吹にけらしな住吉のまつのしづえをあらふしら浪 経信 家 ものをのみ思ひしほどにはかなくてあさぢがすゑによはなりにけり 和泉式部 榊とる卯月になれば神山のならの葉がしはもとつ葉もなし 曾禰好忠 定 君が代はつきじとぞ思ふ神風やみもすそ川のすまむかぎりは 経信 定 いまはただ思ひたえなむとばかりをひと伝ならでいふよしもがな 道雅 * しほたるるわが身のかたはつれなくてこと浦にこそけぶりたつなれ 道命法師 定 恋しなむいのちはことの数ならでつれなき人のはてぞゆかしき 永成法師 我こころ心にもあらでつらからばわかれむとこのかた見ともみよ 右大臣 金葉集 夕されば門田のいなば音づれてあしのまろ屋に秋かぜぞふく 経信 家 定 * うづらなくまのの入江の浜風にをばな波よるあきのゆふぐれ 俊頼 家 はし鷹のしらふに色やまがふらむとかへるやまにあられふるなり 匡房 家 あはぢしまかよふちどりのなく声にいく夜ねざめぬすまのせきもり 兼昌 家 定 * 思草葉ずゑにむすぶしら露のたまたまきては手にもたまらず 俊頼 家 定 草の庵なに露けしと思ひけむもらぬ岩屋も袖はぬれけり 僧正行尊 家 もろともに苔のしたには朽ずしてうづもれぬ名をきくぞかなしき 和泉式部 定 あふとみてうつつのかひはなけれどもはかなき夢ぞかたみなりける 顕輔 つらかりし心ならひにあひみても猶夢かとぞあやまたれける 源行宗 あみだ仏ととなふる声に夢覚て西にながるる月を見るかな 選子内親王 詞花集 いにしへのならの宮この八重桜けふここのへに匂ひぬるかな 伊勢大輔 家 定 * 君すまばとはましものを津の国のいく田のもりのあきのはつかぜ 僧都清胤 家 あられふるかた野のみかりかり衣ぬれぬやどかす人しなければ 長能 家 定 おもひかねわかれし跡を来てみればあさぢが原に秋かぜぞふく 道済 家 定 いかでかは思ひありともしらすべき室のやしまの煙ならでは 実方朝臣 家 定 木のもとをすみかとすればおのづから花みる人になりぬべき哉 花山院御製 家 定 わたの原こぎ出てみれば久かたの雲井にみゆる奥つしら波 法性寺入道前関白太政大臣 家 * しらくもと見ゆるにしるし三吉野のよしのの山のはなざかりかも 匡房 定 みかきもりゑじのたく火のよるはもえひるはきえつつものをこそ思へ 能宣 定 * 秋の夜の月にこころのあくがれて雲ゐにものをおもふころかな 花山院御製 千載集 難波江のもにうづもるる玉かしはあらはれてだに人をこひばや 俊頼 家 定 いかにせむ室のやしまにやどもがな恋のけぶりを空にまがへむ 俊成 家 定 なげけとて月やはものを思はするかこちがほなるわがなみだ哉 西行法師 家 定 * たつた姫かざしの玉のををよわみみだれにけりとみゆるしら露 清輔 定 おもへどもいはでの山にとしをへて朽やはてなむ谷のむもれ木 顕輔 定 契おきしさせもが露を命にてあはれことしの秋もいぬめり 基俊 定 * けぶりかとむろのやしまをみわたせばやがてもそらのかすみぬるかな 俊頼 おしなべて花のさかりになりにけり山のはごとにかかるしら雲 西行法師 なきよわる籬のむしもとめがたき秋のわかれやかなしかるらむ 紫式部 ふるさとのいた井のし水みくさゐて月さへすまずなりにけるかな 俊恵法師 新古今集 又やみむかた野のみののさくらがり花のゆきちる春のあけぼの 俊成 家 もらすなよ雲ゐるみねのはつしぐれ木の葉はしたに色かはるとも 後京極摂政太政大臣 家 きえわびぬうつろふ人の秋の色に身を木がらしの杜のした露 定家 家 風になびくふじの煙の空に消てゆくへもしらぬわがおもひかな 西行法師 家 あけば又こゆべき山のみねなれや空ゆく月のすゑのしら雲 家隆 定 すまのあまの袖にふきこす塩かぜのなるとはすれど手にもたまらず 定家 わすれじの行末まではかたければけふをかぎりの命ともがな 儀同三司母 * なれゆくはうき世なればやすまの海士のしほやきごろもまどほなるらむ 斎宮女御 我こひは庭のむら萩うらがれて人をも身をもあきの夕暮 大僧正慈円 いかにせむ身をうき舟の荷をおもみつひのとまりやいづくなるらむ 増賀上人 藤原家隆撰歌 注:後拾遺集の家隆撰は九首しかない。 古今集 君がため春の野にいでて若菜つむわがころも手に雪はふりつつ 光孝天皇 * 月みれば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど 大江千里 勅 定 * 龍田川もみぢ葉ながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし 人麿 勅 このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに 菅家 勅 * わたの原八十島かけて漕出ぬと人にはつげよあまの釣舟 小野篁 定 * あり明のつれなく見えし別よりあかつきばかりうきものはなし 忠岑 勅 定 * さむしろに衣かたしきこよひもやわれをまつらむ宇治の橋姫 よみ人しらず 勅 月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして 業平 定 わくらばにとふ人あらばすまの浦にもしほたれつつわぶとこたへよ 行平 勅 色みえでうつろふものは世の中のひとのこころの花にぞありける 小町 勅 後撰集 秋の田のかりほの庵の苫をあらみわがころも手は露にぬれつつ よみ人しらず ママ 勅 定 * 神無月ふりみふらずみさだめなきしぐれぞふゆのはじめなりける 同 あづまぢのさのの舟橋かけてのみおもひわたるをしる人ぞなき 源等朝臣 勅 定 思川たえずながるる水のあわのうたかたひとにあはできえめや 伊勢 勅 定 つつめどもかくれぬものは夏虫の身よりあまれる思ひなりけり 読人不知 勅 定 我ならぬ草木もものはおもひけりそでよりほかにおけるしら露 忠国 あひに逢ひて物おもふころの我袖にやどる月さへぬるるがほなる 伊勢 これやこの行もかへるもわかれつつしるもしらぬもあふさかの関 蝉丸 定 * あまのすむうらこぐ舟のかぢをなみ世をうみわたる我ぞかなしき 小町 ひとの親の心はやみにあらねども子をおもふみちにまよひぬる哉 兼輔 拾遺集 春たつといふばかりにやみよし野のやまもかすみてけさは見ゆらむ 忠峯 勅 定 あし曳の山ほととぎすけふとてやあやめの草のねにたててなく 延喜御製 八重むぐらしげれるやどのさびしきに人こそとはね秋はきにけり 恵慶法師 勅 定 * かぎりあればけふぬぎすてつ藤衣はてなきものは涙なりけり 道信朝臣 勅 定 よの中をなににたとへむ朝ぼらけこぎゆくふねの跡のしらなみ 満誓 をとめ子が袖ふるやまのみづがきのひさしき世よりおもひそめてき 人丸 あし引の山鳥の尾のしだりをのながながし夜をひとりかもねむ 人丸 勅 定 * わびぬればいまはたおなじ難波なるみをつくしてもあはむとぞ思 元良親王 定 * 重出 在明の月のひかりをまつほどにわがよのいたく深にける哉 仲文 身にしみて思ふこころのとしふればつひに色にもいでぬべきかな 敦忠 勅 後拾遺集 高砂の尾上のさくらさきにけりとやまのかすみたたずもあらなむ 匡房 勅 * 夏かりの玉江のあしをふみしだきむれゐる鳥のたつ空ぞなき 重之 大井河ふかきながれをたづねきてあらしの山のもみぢをぞみる 白河院御製 勅 さびしさに煙をだにもたたじとやしばをりくぶる冬のやまざと 和泉式部 夜もすがら契しことをわすれずばこひむなみだの色ぞゆかしき 一条院皇后宮 ありしこそ限なりけれあふことをなど後の世とちぎらざりけむ 兼長 浦かぜになびきにけりなさとのあまのたくものけぶりこころよわさに 実方朝臣 奥つかぜ吹にけらしな住吉のまつのしづえをあらふしら浪 経信 勅 こころにもあらでうき世にながらへばこひしかるべき夜半の月かな 三条院御製 * 金葉集 山ざくらさきそめしより久かたの雲井に見ゆる滝のしら糸 俊頼 定 夏の夜の月まつほどの手すさびにいはもるしみづいく結びしつ 基俊 定 夕されば門田のいなば音づれてあしのまろ屋に秋かぜぞふく 経信 勅 定 * うづらなくまのの入江の浜風にをばな波よるあきのゆふぐれ 俊頼 勅 はし鷹のしらふに色やまがふらむとかへるやまにあられふるなり 匡房 勅 あはぢしまかよふちどりのなく声にいく夜ねざめぬすまのせきもり 兼昌 勅 定 * ふる雪に杉の青葉もうづもれてしるしもみえず三輪の山もと 皇后宮肥後 思草葉ずゑにむすぶしら露のたまたまきては手にもたまらず 俊頼 勅 定 何事をまつとはなしに明暮てことしもけふになりにける哉 国信 草の庵なに露けしと思ひけむもらぬ岩屋も袖はぬれけり 僧正行尊 勅 詞花集 いにしへのならの宮この八重桜けふここのへに匂ひぬるかな 伊勢大輔 勅 定 * 君すまばとはましものを津の国のいく田のもりのあきのはつかぜ 僧都清胤 勅 神な月あり明の月のしぐるるを又我ならぬひとやみるらむ 赤染衛門 定 あられふるかた野のみかりかり衣ぬれぬやどかす人しなければ 長能 勅 定 おもひかねわかれし跡を来てみればあさぢが原に秋かぜぞふく 道済 勅 定 いかでかは思ひありともしらすべき室のやしまの煙ならでは 実方朝臣 勅 定 瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれてもすゑにあはむとぞ思ふ 崇徳院御製 * 風をいたみ岩うつなみのおのれのみくだけてものをおもふころかな 源重之 定 * 木のもとをすみかとすればおのづから花みる人になりぬべき哉 花山院御製 勅 定 わたの原こぎ出てみれば久かたの雲井にみゆる奥つしら波 法性寺入道前関白太政大臣 勅 * 千載集 かづらきやたかまの山のさくら花雲井のよそにみてややみなむ 顕輔 木がらしの雲吹はらふたかねよりさえても月のすみのぼるかな 俊頼 まつかぜの音だに秋はさびしきに衣うつなり玉川の里 同 夕されば野辺の秋風身にしみてうづらなくなりふか草のさと 俊成 難波江のもにうづもるる玉かしはあらはれてだに人をこひばや 俊頼 勅 定 いかにせむ室のやしまにやどもがな恋のけぶりを空にまがへむ 俊成 勅 定 なげけとて月やはものを思はするかこちがほなるわがなみだ哉 西行法師 勅 定 * すみ侘て身をかくすべき山ざとにあまりくまなき夜半の月かな 俊成 月まつと人にはいひてながむればなぐさめがたきゆふぐれの空 範兼 おほけなくうき世の民におほふかなわがたつ杣 の ママ すみぞめの袖 慈円 * 新古今集 さくらさくとほ山どりのしだりをのながながし日もあかぬ色かな 院御製 定 又やみむかた野のみののさくらがり花のゆきちる春のあけぼの 俊成 勅 もらすなよ雲ゐるみねのはつしぐれ木の葉はしたに色かはるとも 後京極摂政太政大臣 勅 すゑの露もとのしづくや世中のおくれさきだつためしなるらむ 僧正遍昭 玉のをよたえなばたえねながらへばしのぶることのよわりもぞする 式子内親王 * おもひあれば袖にほたるをつつみてもいはばやものをとふ人はなし 寂蓮法師 きえわびぬうつろふ人の秋の色に身を木がらしの杜のした露 定家 勅 風になびくふじの煙の空に消てゆくへもしらぬわがおもひかな 西行法師 勅 ながらへば又この比やしのばれむうしと見し世ぞ今は恋しき 清輔 * あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋かぜたちぬ宮ぎののはら 西行 定 更新日:平成16年01月17日 最終更新日:平成22年02月16日.

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ありしこそ 意味

[格助]名詞、名詞に準じる語に付く。 1 動作・作用の目標・対象を表す。 「家を建てる」「寒いのをがまんする」「水を飲みたい」• 2 移動の意を表す動詞に応じて、動作の出発点・分離点を示す。 …から。 「東京を離れる」「席を立つ」• 3 移動の意を表す動詞に応じて、動作の経由する場所を示す。 …を通って。 「山道を行く」「廊下を走る」「山を越す」• 4 動作・作用の持続する時間を示す。 「長い年月を過ごす」「日々を送る」• 5 (「香 か をにほふ」「寝 い を寝 ぬ 」「音 ね を泣く」などの形で)同類の意をもつ名詞と動詞の間に置かれ、慣用句を作る。 6 遭遇や別離の対象を表す。

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01古文単語ゴロゴ

ありしこそ 意味

スポンサーリンク 兼好法師(吉田兼好)が鎌倉時代末期(14世紀前半)に書いた 『徒然草(つれづれぐさ)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載して、簡単な解説を付け加えていきます。 『徒然草』は日本文学を代表する随筆集(エッセイ)であり、さまざまなテーマについて兼好法師の自由闊達な思索・述懐・感慨が加えられています。 万物は留まることなく移りゆくという仏教的な無常観を前提とした『隠者文学・隠棲文学』の一つとされています。 『徒然草』の19段~21段が、このページによって解説されています。 参考文献 西尾実・安良岡康作『新訂 徒然草』(岩波文庫),『徒然草』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),三木紀人『徒然草 1~4』(講談社学術文庫)• 『徒然草』の19段~21段(現在位置) [古文] 19段.折節(おりふし)の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。 『もののあはれは秋こそまされ』と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。 鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきねの草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。 花橘(はなたちばな)は名にこそ負へれ、なほ、梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる。 山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。 『灌仏の比(かんぶつのころ)、祭の比、若葉の、梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ』と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。 五月、菖蒲(あやめ)ふく比(ころ)、早苗とる比、水鶏(くいな)の叩くなど、心ぼそからぬかは。 六月(みなづき)の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるも、あはれなり。 六月祓(みなづきばらえ)、またをかし。 七夕祭るこそなまめかしけれ。 やうやう夜寒(よさむ)になるほど、雁鳴きてくる比、萩の下葉色づくほど、早稲田刈り干すなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。 また、野分(のわき)の朝(あした)こそをかしけれ。 言ひつづくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。 おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つ(やりすつ)べきものなれば、人の見るべきにもあらず。 さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 汀(みぎわ)の草に紅葉の散り止まりて、霜いと白うおける朝、遣水(やりみず)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。 年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。 すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそきものなれ。 御仏名、荷前の使(のさきのつかい)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。 公事(くじ)ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。 追儺(ついな)より四方拝(しほうはい)に続くこそ面白けれ。 晦日(つもごり)の夜、いたう闇きに、松どもともして、夜半過ぐるまで、人の、門叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。 亡き人のくる夜とて魂祭る(たままつる)わざは、このごろ都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとはみえねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。 大路(おおじ)のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。 [現代語訳] 季節の移り変わりこそ、物事にしみじみとした趣きがあるものだ。 『物事の趣きの深さは秋こそ優れている』と人々は言うけれど、それは確かにそうだが、いま一層心を浮き立たせる季節は、春の景色である。 鳥の声も事のほか春めいてきて、のどかな日の光に、垣根の草も萌えいずる時期から、やや春は深まり、霞がかってぼんやりとし、桜の花もようやく色づき始める。 ちょうど、雨風が続いて、心が休まる暇もなく桜の花の季節が終わってしまう。 桜が青葉になっていくまで、ただすべて、花のことのみに心を悩ませられるものだ。 花橘は名前こそ桜に負けてはいないが、梅の匂いのほうが思い出されてくる。 昔の事を振り返れば、恋しい気持ちになってくるが、山吹の清らかさ、藤のはっきりしない趣き、すべてが捨てがたいものばかりである。 『灌仏会と賀茂神社の祭りの頃の若葉が木の梢に涼しげに茂っている様子は、世の物悲しさや人の恋しさにも勝っている』と人が語るのは、本当にその通りである。 五月に、邪気をはらう菖蒲の葉を屋根に葺き(ふき)、早苗を取り込む時期の、水鶏(くいな)が戸を叩くような声は、心細く感じてしまわないだろうか。 六月の頃には、貧しい家に夕顔が白く咲いて、蚊遣り火がくすぶっているのもしみじみとしている。 六月禊は、また興味深い。 七夕祭はなまめかしさがある。 少しずつ夜が寒くなり、雁が鳴いている頃には、萩の下葉は色づくほどで、早稲(わせ)の稲刈りをして干している。 取り集めて語りたい事は、秋に多いものだ。 また、風が吹く明朝こそ、情緒的な趣きがある。 言い続けられていることは、みんな源氏物語・枕草子などで使い古されてるのだが、同じことを、もう一度また言えないという事もないだろう。 思ったことを言わないのは腹がふくれるような感じがすることだから、筆に任せながらの他愛のない遊びなので、すぐに破り捨てたほうが良いものである。 人に見せるような価値はない。 さて、冬枯れの景色というのも、秋に少しも劣らないものだ。 水辺の草に紅葉は散り落ちており、霜がとても白く降りている朝には、庭の小川から湯気立つのが興味深い。 年も暮れて、人々が急ぎ合っている時期には、また何となくしみじみとした気持ちになる。 もの寂しいと決め込んで見る人もない月は、寒々として澄んでいる。 20日あたりの空というのは、心細さ・寂しさを感じるものである。 懺悔・滅罪のための仏名会や朝廷の勅使の出発は、趣深くて尊いものである。 公の行事が多くて、新春の準備と重なって、行事が行われている様子はとても大変である。 追儺(鬼やらい)の儀式から四方拝へと続く時期が興味深い。 晦日の夜はとても暗いのに、松明をともして、夜半が過ぎるまで、人の家の門を叩いて走り回って何事なのだろうか。 物々しく罵り合って足を空にぶらりとさせている。 明け方から、さすがに静かになってくるが、一年を名残惜しく振り返るのは心細いものだ。 亡くなった人の訪れる夜として魂を祭る行事は、最近の都では見なくなったが、日本の東方では、今でも行っている所もある。 その魂をお祭りする行事は、とても情趣豊かなものではないだろうか。 このようにして明けていく空の景色は、昨日から変わっているようには見えないが、珍しい感じがする。 都の大路の様子は、松を多く植えていて、華やかで気分が晴れやかであり、また趣き深いものである。 スポンサーリンク [古文] 20段:某(なにがし)とかやいひし世捨人の、『この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき』と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。 [現代語訳] なにがしとかいう世捨て人が、『この俗世に縛り付けられるような物を持っていない身には、ただ空から受ける感動・余韻のみが惜しい』と言ったのだが、本当にそのように思ってしまう。 [古文] 21段:万(よろず)のことは、月見るにこそ、慰むものなれ、ある人の、『月ばかり面白きものはあらじ』と言ひしに、またひとり、『露こそなほあはれなれ』と争ひしこそ、をかしけれ。 折にふれば、何かはあはれならざらん。 月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。 岩に砕けて清く流るる水のけしきこそ、時をも分かずめでたけれ。 『元・湘、日夜、東に流れさる。 愁人のために止まること小時もせず』といへる詩を見侍りしこそ、あはれなりしか。 けい康(けいこう)も、『山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ』と言へり。 人遠く、水草清き所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。 [現代語訳] どんなことがあっても、月さえ眺めていれば、気持ちが慰められるものだ。 ある人が、『月ほど面白いものはない』と言えば、また別のひとりが、『露のほうこそ趣きがある』と言って言い争いになったのだが、これも趣深いものだった。 良い時期に当たらなければ、それに趣深さがあるとは言えない(あはれと感じる事象には、それを鑑賞するのに最適の時期があるのではないだろうか)。 月・花は言うまでもないが、風も、人の心を興趣へと揺り動かすものである。 岩に当たって砕ける清く流れる水の景色は、季節を問わずに素晴らしい。 『元・湘(中国の川)は日夜、東に流れ去っていく。 愁えている人のために流れを止めることを、少しの間もすることがない』という詩を拝見致しましたが、これは情趣がある。 竹林の七賢のけい康も、(『文選』という古典の詩集の中で)『山沢に遊びて、魚鳥を見れば、心楽しぶ』と言っている。 人は遠くに出かけて、水草の清い所をさまよい歩くばかりでは、心が慰められることもないだろう。

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