ダウンタウン 元 マネージャー 岡本。 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!

岡本昭彦

ダウンタウン 元 マネージャー 岡本

気になるところから読む• スキーが得意で全日本スキー連盟2級のライセンスを持っており、大学時代はスキー場でアルバイトをしていたそうです。 『ガキの使い』のスキーツアーロケに行った時には、藤原さんがメンバーの講師を行ったところ、松本さんがケガをしてしまい、浜田さんに激怒されビンタと頭突きを食らわされました。 しかしこれはドッキリで、藤原さんはまんまとそれにはまってしまったというエピソードもあります。 マネージャー時代から「ガキの使い」には出演しており、役員に昇格した今でも肩書きは「ダウンタウンの元マネージャー」のまま。 藤原寛さんが子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシーの代表取締役社長に就任した際には 藤原さんって、そんなに偉い人だったの?! と多くの人が驚きましたよね。 ここで藤原さんにまつわる逸話・伝説をご紹介します。 (敬称略) 伝説その1:なぜか謝る ・松本が藤原と普通の会話の中で夜中の工事のせいで寝られなかったと話したら、藤原は今にも泣きそうな顔で、なぜか「 大変申し訳ございません…」と謝ってきた。 ・松本が車で仕事に向かう途中高速道路が雪で通行止めになったため、藤原に電話で遅れる事を伝えたところ、ここでもなぜか藤原が謝罪。 伝説その2:かいがいしい ・松本の家に来ては、頼みもしないのに洗濯物を取り込みそれをたたむ。 ・松本が海外ロケに行った際、彼がそば殻の枕でなければ寝られない事を知っていた藤原はそれを持参。 ぐっすり寝られた松本は感謝して枕を返すと、藤原はそれを終始脇にかかえ、周りをウロウロ。 「お前は夢遊病者か? 恥ずかしいからしまえ! 」と言われてしまう。 ・松本が喫煙していたころ、タバコを吸おうとしたらパッケージが空だったためゴミ箱に捨てようとギュッと握りつぶした途端、後ろから藤原の手が伸びてきて新品のタバコが目の前に。 これに松本は 「マネージャーとしてそれは素晴らしい事ですよ! でもどっかで『見られてたんや! 』って思うたらもう寒々しいんですよ! 」と閉口していた。 ・その際、藤原は心なしか松本の股間に話したそうだった。 ・『ガキの使い』トークでそのことをネタにされ、「出歯亀マネージャー」と言われた。 出歯亀… のぞき行為やこれを趣味とするもの。 ・他にも松本が便意を催した際、何故か藤原は松本をトイレまで手招きをしながら誘導し、挙句には便器を確認して「どうぞ! 」と言った事もある。 プロ根性なのか松本さんに対する忠誠なのか? わかりませんが、 藤原さん絶対良い人だなと思いましたw このマメさがあったから現在の地位があるのかもしれませんね。 藤原さんの奥さんもダウンタウンの元マネージャーなのでしょうか? 調べてみたところ、藤原さんの奥さんもかつて吉本興業に所属していた社員で、 山崎邦正(月亭方正)さんのマネージャーをされていた方だそうです。 ダウンタウンではありませんでしたが、邦正さんも「笑ってはいけない」でおなじみの人ですよね。 藤原さんはマネージャー時代から「ガキ使」に出演していましたので、もしかしたら、奥さんとの馴れ初めも「ガキ使」だったかもしれませんね! スポンサーリンク まとめ 今回は、ダウンタウンの元マネージャー・藤原寛副社長の逸話と嫁について調べてみました。 マネージャー時代のエピソードは、過剰ながらも藤原さんの人柄が表れていてなんか微笑ましいですね。

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ダウンタウンの歴代マネージャーまとめ【画像】現在は吉本の役職?

ダウンタウン 元 マネージャー 岡本

ダウンタウンのマネージャー時代の岡本氏 7月22日、・岡本昭彦社長が会見を開いた。 7月20日におこなわれた雨上がり決死隊・と、ロンドンブーツ1号2号・が開いた会見を受けてのことだ。 岡本社長は、騒動への謝罪を口にしたのち、「おとつい宮迫博之君と田村亮くんにああいう記者会見をさせてしまったことに関して、2人に対して深くお詫び申し上げます。 非常につらい思いをさせてしまい、本当に申し訳なく思っております」と語った。 宮迫らについては処分を撤回し、和解の方向で話を進めていきたいと話した。 宮迫、田村が会見で、岡本社長から「(謝罪)会見するならやってもいいけど、全員クビにする」と言われたと発言したことで、吉本興業に対する世間の目は厳しいものになった。 宮迫らの会見を受け、7月21日放送の『ワイドナショー』(フジテレビ系)は緊急生放送に変更された。 番組内で、宮迫らの先輩である松本人志は、「いまの吉本を見ていて、テレビ局に対して、『大名商売をしているな』と思うことがある。 もう一回、初心に返って。 僕が東京に出てきたときは、赤坂の8畳くらいのワンルームマンションにホワイトボード1枚と黒電話2個から始まりましたから」と苦言を呈した。 もともと大阪で全テレビ局を席巻していた吉本興業が、東京に連絡事務所を立ち上げたのは1980年。 そこから吉本は、どのように大きくなってきたのか。 当時を知る芸能関係者が、かつて本誌の取材にこう語っている。 「フジテレビの『THE・MANZAI』という番組から、爆発的なマンザイブームになって、吉本は紳助・竜介をはじめ、大量の芸人をテレビに送り込んでいきました。 この漫才ブームの、吉本側の仕掛人の一人が『ミスター吉本』と呼ばれた木村政雄氏。 その下で働いていたのが、入社3年目の大崎洋氏です」(芸能関係者) ブームはわずか2年で終わる。 帰阪し、NSC(吉本総合芸能学院)担当になった大崎氏は、1982年、ネタ合わせをしているダウンタウンの2人を見たとき、体に電流が走ったという。 1989年、大崎氏が再び東京に攻勢をかけるとき、相棒に選んだのがダウンタウンだった。 1991年の『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)から、ダウンタウンも東京で快進撃を始める。 まもなく、岡本昭彦氏がダウンタウンのマネージャーとなる。 岡本氏は学生時代、アメリカンフットボール部に所属していたイケメンだが、当時は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)で、ブリーフ一丁で猫を抱く姿で登場し、松本や浜田からイジられていた。 1993年、松本が『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の制作発表をすっぽかしたときもマネージャーをしており、松本の欠席について「今のところは何とも」としどろもどろに対応していた過去もある。 その後、ダウンタウン人気は爆発し、番組のDVDや書籍は売れに売れ、さらに浜田雅功の歌手活動などで、一時は芸能人長者番付の1位と2位を独占するほどだった。 ダウンタウン以降、NSCの卒業生たちは次々に芸人デビューを果たす。 そしていまや吉本の芸人は、どのチャンネルを回しても常に誰かが出ている状態だ。 大崎氏は現在、会長となり、岡本氏は社長となった。 ダウンタウンによって芸能界での地位を確立した吉本興業だが、いつしか「芸人ファースト」の意識が薄れていったのだろう。 松本に「もう一回、初心に返って」と訴えられたのも、致し方ないかもしれない。

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岡本社長の経歴から来る上下関係の徹底と体育会系のノリで会見失敗か?|キンさん(KINSAN)チャンネル(トレンド多め)

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松本人志 お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之、ロンドンブーツ1号2号の田村亮は20日、都内で開いた会見で一連の闇営業騒動を謝罪。 一方で、吉本興業の岡本社長から、「全員連帯責任でクビにするからな。 それでもええんやったら記者会見やれ。 俺にはお前ら全員クビにする力がある」など圧力があったことを告発した。 同番組は通常収録放送で、21日の放送分は吉本興業が宮迫との契約解消を発表した19日に収録していたが、会見で状況が大きく変わったことから、急きょ生放送に変更。 松本と東野幸治の2人は、前日に岡本昭彦社長、大崎洋会長と会談したという。 岡本社長の圧力発言疑惑について、東野は「にわかに信じがたい発言」「吉本側の反論もまだ聞いていないので何とも言えないですけど、印象としては、そんなに驕り高ぶった言い方で、いつからそんなに偉そうになったのか」と憤りをあらわにした。 松本も、「そうです。 いつからあいつらが偉そうになったのかという思いは僕もあって」と同調し、「昨日も会社に行って言ったんですけど、とにかく芸人ファーストじゃないと何の意味もない。 『芸人いてのあんたたちでしょ』ということだけは絶対に言わないといけない」と主張。 一方で、「大崎会長と岡本社長と4人で結構長いことしゃべりましたけど、やっぱり真摯に話を聞いてくれるし、僕の意見はほとんど可能なところまでやってくれているので、絶対に悪い会社ではないはず」と擁護しつつ、「ただね」と続ける松本。 「岡本」と呼び捨てにし、「僕のマネージャーでもあったんですけど、彼が20年ぐらい前から気にはなってて大崎さんにも『たまに言葉づかいが横暴であったり、そういうところが気になります』と言ったことがあって」と相談していたことを告白。 「やっぱりそういう部分が出てしまう時がある。 今回も悪いところが出たんだろうなと思うんです」とその不安が的中したようだが、「この時代、それは絶対にありえないし、絶対にそれはやめろということを、彼にも昨日散々言いましたし、分かってくれたと思います。 明日の会見に期待したいと思います」と岡本社長が明日行う予定の会見に期待を寄せていた。 予めご了承ください。 関連記事•

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