古今著聞集 御堂関白 品詞分解。 源義家、衣川にて安倍貞任と連歌のこと 現代語訳・品詞分解・読み方

古今著聞集・小大進、北野の神助を被ること 現代語訳・品詞分解4

古今著聞集 御堂関白 品詞分解

色々なサイトを見たのですが、漢文の訳が多く、あっても意訳だったりと、思ったとおりの現代語訳が見つかりませんでした; 意訳でない現代語訳を教えていただきたいですvv* 唐土に北叟といふ爺ありけり。 かしこく強き馬をなんもちたりける。 これを、人にも貸し、我も使ひつつ、世を渡る便りにしけるほどに、この馬、いかがしたりけん、いづちともなく失せにけり。 聞きわたる人、いかばかり嘆くらんと思ひて訪ひければ、「悔いず。 」とばかり言ひて、つゆも嘆かざりけり。 あやしと思ふほどに、この馬、同じさまなる馬を、あまた具して来にけり。 いとありがたきことなれば、親しき疎き、喜びを言ふ。 かかれど、また、「喜ばず。 」と言ひて、これも驚く気色なし。 かくて、この馬あまたを飼ひて、さまざまに使ふあひだに、爺が子。 今出で来たる馬に乗りて、落ちて、右の腕を突き折りて、聞く人、また驚き訪ふにも、なほ、「悔いず。 」と言ひて、気色変はらず。 さるほどに、きはかに国に戦起こりて、兵を集められけるに、国の内にさもある者、残りなく戦に出でて、皆死にけり。 この爺が子、この中に洩れにければ、片手は折れども、命は全かりけり。 これ、かしこき例に言ひ伝へたり。 唐土のことなれども、いささかこれを記せり。 ズバリ、回答そのものです。 「塞翁が馬」は有名な故事ですのでそれもまた時間のあるときに調べて勉強してみて下さい。 本文の訳は以下の通り。 唐土(もろこし)に北叟と言うお爺さんがいた。 そのお爺さんは優れた強い馬を持っていた。 その馬を人にも貸してやり自分でも乗っては使いながら生きていく手段(つまり馬を貸して少しのお金をとる、また馬で荷物の運搬などをして稼ぐことで、生計を立てていたということです)にしていたところ、この馬はどうしたのだろうか、どこへともなくいなくなってしまった。 それを聞いた人は、お爺さんがどれほど嘆いているだろうと思って訪ねていってみると、お爺さんは「惜しくはないよ」とばかり言って、少しも嘆いていなかった。 不思議だなぁと思っていると、この馬が同じような立派な馬をたくさん連れて戻って来た。 たいそう珍しくありがたいことなので、親しい人も疎遠な人もみなおじいさんにお祝いの言葉を言う。 しかしお爺さんはこの時もやはり「うれしくない」と言って、このおめでたい出来事にも心を動かされる様子がない。 こうして、そのたくさんの馬を飼って色々なことに使ううちに、お爺さんの息子が、ちょうど出て来た馬に乗って落ち、右の腕を突き折って、それを聞いた人は、また驚いてお見舞いに訪れたのにも、やっぱり、「かまわないのだ」と言って顔色も変えない。 そうしているうちに、突然、国で戦争が起こって兵隊を召集されたので、国内の若く健康な男子は一人残らず戦争に出て、皆死んでしまった。 ところがこのお爺さんの息子は、怪我をしていたために召集されなかったので、片手は折ったけれども命は失わずに済んだ。 これをすばらしいことのたとえとして中国では語り伝えられている。 よその国のことではあるが、ほんの少しそのことを記した。

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古今著聞集

古今著聞集 御堂関白 品詞分解

『古今著聞集』巻七の二九五です。 御堂関白殿(藤原道長)が物忌(占いによって謹慎すること)で、 解脱寺の僧正の観修・陰陽師の安倍晴明・医師の丹波忠明・ 武士の源義家朝臣(義家はもっと後の時代の人なので、時代が合わない)らが、 (道長邸に)参って籠っておられた時、 五月一日、南都(奈良)から走りの瓜を(道長に)さしあげたのだが、 「御物忌の中(謹慎中)に(外部からのものを)取り入れられるのは、 いかがなものか」と言って、晴明に占わせられると、晴明は占って、 (この中の)一つの瓜に毒の気配があるということを言って、その一つをとり出した。 「祈祷をされたら、その毒気が明白になるでしょう」と言ったので、 観修僧正に言いつけて祈祷させられると、(僧正が)しばし念仏を誦するうちに、 その瓜がうごめいた。 その時、医師忠明に毒気を制するよう、(道長が) お言いつけになったので、(忠明は)瓜を手の中で転がしながら見て、 二か所に針を突き立てた。 すると、瓜は動かなくなった。 (道長は)義家に言いつけて瓜を切らせられたので、(義家は)腰の刀を抜いて 切ると、瓜の中で小蛇がとぐろを巻いていた。 (忠明の立てた)針は、 蛇の左右の眼に立っていた。 義家は何気なく瓜のまん中を切ったように見えたが、 蛇の頸を切ったのだった。 (その道で)有名になった人々のすることは、このようである。 すばらしかった事である。 この事がどの日記に書いてあるのかという事は わからないが、世間にくまなく言い伝えている。 どこかのサイトのコピペではありません。

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File Details: /misc/data/annualreport2016.candafoundation.org (head)

古今著聞集 御堂関白 品詞分解

このお話のあらすじ 和泉式部は才能にあふれた歌人として知られていました。 この話が起こった当時、和泉式部は夫の転勤で丹後に引っ越しており、京都には娘の小式部内侍だけが残されていました。 ある日、小式部内侍は、歌詠みの大会(歌合)によばれました。 歌合とは即興で詠んだ和歌の優劣を競い合う文学的な遊びのことです。 有名な歌人を母にもつ小式部内侍には、周囲からの期待がかかります。 そのような状況下で小式部内侍は、定頼の中納言に「歌の名人であるお母さんに、代わりに歌を詠んでもらうために遣わした者は帰ってきましたか。 」とからかわれてしまいます。 からかわれた小式部内侍は、すばらしい歌でこれに答えます。 その時に詠まれた歌がこの「大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天橋立」です。 あまりのすばらしさに返す言葉もなくなった定の頼中納言は逃げてしまいました。 そんな、すかっとするようなお話です。

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