セルフ ライナー ノーツ。 中村 一義

ひなた11th Album「beautiful」セルフライナーノーツ!

セルフ ライナー ノーツ

背水の陣での上京、手放しで喜べなかった快進撃 --山村さんはどういうきっかけで唄うようになったんですか? 山村 隆太さん(Vo):ひとつは、友達と一緒に楽しいことをやりたかったからですね。 僕の中学は、合唱コンクールが盛んな学校だったので、唄うことがすごく身近にあったんですよ。 高校に入ってからも、放課後に一生(阪井 一生/Gt)や元気(尼川 元気/Ba)と集まって、コブクロさんやミスチル(Mr. Children)さんの曲をハモったりしていて。 一人で唄うよりも、友達と一緒に声を合わせるほうが好きだったんです。 もうひとつの理由は、モテたかったからです(笑)。 高校生の頃、好きな子から「声がいいね」って言われたんですよ。 それがうれしくて。 僕は元々、目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋でした。 文化祭にしろ、修学旅行の余興にしろ、なにかあるたびに人前に立ちたがっていたんですけど、一人じゃ無理だからいっつも一生を誘ってました。 今考えると、一人だったらなにもやっていなかったんじゃないかと思います。 --その数年後にflumpoolを結成され、2008年10月にダウンロードシングル「花になれ」でデビューします。 今回のアルバムの1曲目「20080701」というタイトルは上京した日の日付ですか? そうですね。 メンバー4人で大阪から東京に来た日です。 当時はもちろん「夢に向かって」という純粋な気持ちもあったんですけど、僕らの場合、アニメや漫画でよくあるようなキラキラした感じではなくて……。 そのときすでに、大学を卒業してから1年が経っていたんです。 僕は手堅く行く人間だから、「音楽が無理だったら違う道に行けるように」ということを考えながら、大学時代、教育実習にも行ってましたし。 だから上京直前ぐらいまでは 「やっぱり就職しなきゃ」「それならバンドをやめようか」っていう話も出ていたんです。 そんななかで、いまの事務所の方から「東京に出てこないか」っていう話をいただいて。 「もう次はない」「最後の花火を打ち上げよう」という気持ちで上京することに決めました。 --flumpool は、CMソングへの起用をきっかけに「花になれ」がヒットしたり、デビューから1年程度で日本武道館公演を開催したりと、目に見える結果を早い段階で出していたと思います。 当時は「これなら音楽でやっていけそう」という安心感はありましたか? いや、安心感と言えるほどのものはなかったですね……。 これはメンバー4人とも全員が言っていることなんですけど、 初期の頃は、自分たちの足で一歩一歩進んでこられた感覚がなかったんですよ。 CMのタイアップの話も、事務所の人が持ってきてくれたのであって、自分たちの実力で獲ったものではないんだという意識があって。 タイアップも、武道館も、テレビ番組での歌唱も、明日には泡のように消えてしまうもののみたいに感じていたから、安心感もなかったし、「よっしゃ!」って思える瞬間もそんなになかったですね。 そういう自分たちの状態が、理想としていたバンドのスタイルとは違っていたから、手放しでは喜べませんでした。 --では、どういう状態だったら喜べていたと思いますか? 当時の理想は、自分たちの足だけで、しっかりと立っている状態でしたね。 自分たちの力だけでなにかを成し遂げたっていう実感がほしかったし、非の打ち所のない、カリスマみたいなバンドになりたかったんだと思います。 あの頃の僕は プライドが高くて、弱さのない人が一番強いと思っていたし、カッコよく見られたいと思っていたので、バンドに対しても同じ考えを持っていたんですよ。 だから周りの人のサポートありきで成り立っている自分たちのことをまがいもののバンドだと思っていたんです。 とはいえ、事務所をやめたり、バンドをやめたりする勇気もなく……。 結局、周りの人が作ってくれた大きな船に乗っている自分たちを否定することすらできず、言い訳ばかりしていました。 --そのように「誰にも弱さを見せたくない」という気持ちが強いと、メンバーに対してすら本音を打ち明けられなくなりますよね。 バンドとしてまとまるのが難しそうです。 本当にその通りですね。 なんのためにバンドやってるんだ、っていう話で(苦笑)。 今考えたら、「自分たちはたくさんの人に支えられてここに立っているんだ」ということをもう少し受け入れられたらよかったんですよね。 そもそも、誰の力も借りずに活動するなんてまず無理じゃないですか。 それに 「このバンドを支えたい」と誰からも思ってもらえないようなバンドって、きっと本物ではないですよね。 だから、周りからカッコいいと言われるような完璧なバンドじゃなかったとしても、自分たちがのびしろを感じられているんだったら、それでいいじゃないかと。 今の理想のバンドスタイルはそういう状態ですね。 つまり、僕のなかの理想が変わったんだと思います。 誰からも「支えたい」と思ってもらえないバンドはきっと本物じゃない --今回リリースするアルバムのタイトルは『』。 2008年にリリースしたミニアルバム『Unreal』と対照的なタイトルになっていますよね。 デビュー当時は「flumpoolはこういうバンドなんだ」というのが自分たちですらわかっていない状態だったので、すべてがどこか非現実的(Unreal)な出来事のように感じていました。 だけど今は、メンバーもファンもスタッフも、flumpoolというものをよりリアルなバンドとして見ることができていて。 「じゃあここからどんな夢を見ようか」という気持ちでひとつのアルバムを作りたかったんです。 どうして変わることができたのかというと、やっぱり 声が出なくなって活動休止したのがすごく大きいですね(注:2018年12月、歌唱時機能性発声障害であることが判明。 治療に専念するため、約1年間活動を休止した)。 自分の最大の武器である声がなくなってしまったことによって、一旦裸になったというか、強制的に脱がされた感じがしたんです。 メンバーには一番見せたくなかった、自分の弱さを見せざるをえない状況になったし、そうして弱さを見せることによって救われた部分もあって。 活動休止期間中には 「もう唄えないかもしれない」「別の仕事を探さないといけないかもしれない」と考えたこともありました。 そうやって音楽を一度諦めかけた時期を乗り越えて、再スタートできるとなれば、やっぱり強い気持ちがありますよね。 僕だけじゃなくて、メンバーみんな、このアルバムに賭ける想いは強かったと思います。 減点方式から加点方式へ。 今だからこそ気づけた人生の喜びとは --本作の収録曲を聴いて、山村さんの書く歌詞がさらに赤裸々になった印象を受けました。 曲を通じて、自分の弱さが不特定多数のリスナーに知られることに対して、「怖い」もしくは「恥ずかしい」と感じることはありませんか? いや、今は逆に楽しみです。 なんか人生の楽しみ方が変わったんですよね。 前までの僕は、100点の自分をみんなに見せて「すごい」と言ってもらうのが目標でした。 だけど今は、声が出なくなった0点の自分を、すでにみんなに知られている状態なんですよね。 それだったら、 たとえ60点でも、今の自分を見てもらったほうがいいんじゃないかと考えるようになって。 そのうえで「明日は61点の自分を見てもらおう」と努力すること、「前回より1点上がったね」という喜びをみんなと共有することに、楽しみを見出せるようになりました。 僕、エゴサーチをよくするんですよ(笑)。 たとえば、テレビ番組で生歌を唄ったあとだと、「やっぱり声出てないじゃん」と言われることが未だにあります。 それを見たときに、昔だったら「うわぁ、最悪や」って思って、傷ついて、「やっぱりテレビ出るの怖いな」って考えちゃうこともありました。 だから、 人生の楽しみ方が減点方式から加点方式に変わったんだと思います。 そうやって、プラス1点の喜びをみんなで共有することが今は楽しいので、怖いという気持ちはあまりないですね。 --今、2008年当時の自分に会えるとしたら、どんな言葉を掛けてあげたいですか? 「助けを求めることもひとつの力なんだよ」「それは弱さじゃないんだよ」と伝えたいです。 これは「HELP」という曲に込めたメッセージなんですけど、あの曲の歌詞に救われることが今でもたくさんあるんです。 上京したての頃、夢に迷っていたときは、誰かに相談をするのはダサいと思っていたし、そういう見栄みたいなものを音楽に押し付けていたというか。 いつの間にか、弱い自分を隠すために音楽をやっていたんですよね。 だけどバンドの場合、独りよがりでいてもうまく行くケースは少ないし、仲間と一緒になにかを作り上げることに楽しさがあると思うんですよ。 だからあの頃の僕は、もっとメンバーを頼ったほうがよかった。 そういう意味で「助けを求めることも大事だよ」と伝えたいです。 同じように、もしも今、就活で困っている人がいるとしたら、あんまり一人で抱え込みすぎないでほしいなぁと思いますね。 気軽に誰かに相談したらいいと思うし、それこそマイナビさんみたいに、救いの手となるコンテンツを発信してくれている人たちもいると思うので。 弱さがあるっていうことは、のびしろがあるっていうことだから。 自分は弱いんだということを受け入れたうえで「じゃあその対策としてなにができるのか」という視点で考えることができれば、それは本当の強さに繋がるんじゃないかと思います。 そうやって自分の足りないところを埋めていく人生のほうが、きっと喜びが大きいですよ。 だから、たとえば面接に落ちたとしても「やっぱり自分はダメなんだ」という方向で考えないでほしいですね。 その経験を力に変えていってほしいなと思います。 --今、バンドは楽しいですか? はい、楽しいです。 でもこれ、ちょっと難しいところで。 僕らにとってバンドは仕事だから、ただの遊びになっちゃうのはよくないんですよ。 「バンドが楽しい」というのは優先順位として一番最初にあるべきものだけど、それだけになってはいけないんですよね。 とはいえ、僕らは12年間この仕事をやってきているので、その辺の意識は自然と身についているんですけど。 でもそういうことを心配し始めてしまうくらい、今はもう楽しいです(笑)。 ははは。 それ、いい言葉ですね。 でも確かに、改めてスタートを切る楽しさがあるのかなと思います。 まあ、経験を重ねた分、歳はとっちゃいましたけどね(笑)。

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「その線は水平線」セルフ・ライナーノーツ|くるり official|note

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「White Letter」は冬のラブソングだったので、今度は舞台を夏にしよう!となり制作しました。 82年生まれ同士、10代で聴いたJ-POPをベースにPOPでただひたすらに爽やかな某清涼飲料水のCMソングのような曲をイメージして、久しぶりに恋をした時の切なさや、胸のトキメキを歌詞にしました。 大人の久しぶりの恋ですが、車で海へのデートではなく「電車を乗り継いで」と言うところとか、「スニーカーのままで波に走り出す」とか青春時代を思い起こさせるフレーズを入れたところがポイントです。 かねてからプライベートでも交流があり、「未来」を始め、コブクロさんが歌う応援歌が本当に私の心に響いていたこともあって、ライブでみんなで盛り上がれて、一緒に歌って楽しくなって、元気になれる曲「応援歌」をコンセプトに作って頂きました。 曲を制作にするにあたり小渕さんと何度もディスカッションをして私の思いを凄く歌に組み込んでくれました。 書き下ろしだけどとことん寄り添った曲作りをして頂きました。 日々の心の葛藤などを乗り越えていく術が、楽しい曲調の中に随所に書かれていて絶対歌い終わったら明日へのパワーが湧いてくる事間違いなしです! 実際、レコーディングしている最中から歌っている私が凄く楽しかったのでライブで歌う時が楽しくなり過ぎてしまうのが心配なくらいです! そして、ほぼすべての音を錚々たるミュージシャンの皆さんに演奏頂き更に小渕さんはアコギとコーラスに加え、冒頭から聞こえるフィンガースナップまで小渕さんの指で奏でて頂きました。 LIVEでは全員で大合唱したいです! <小渕健太郎 コメント> 今回、アルバム『SHINE』の中の楽曲「WAY YOU ARE」を作詞作曲・プロデュースをさせていただきました、コブクロの小渕健太郎です。 以前からMs. OOJAさんとは、お互いのコンサートに足を運んだりと音楽的交流もあったので、とても楽しく製作できました。 とにかく、随一の声の魅力溢れる女性シンガーであり、沢山の素晴らしい楽曲をお持ちの方です。 今回は、「ライブで楽しく盛り上がれるような元気な楽曲を!」というリクエストもあり、以前「Billbord 東京」で拝見したコンサートの様子を思い出しながら作りました。 製作中、Ms. OOJAさんがヨーロッパを旅をされており、その中で感じた事などもリアルタイムでメールで貰ったりしながらの作詞でした。 「あなたは、あなたのままで=WAY YOU ARE」というメッセージは、広く大きなこの世界の中で、日々を自分らしく生きるバランスに必要な気持ちや、それを支える明るく小さなお守りの様なイメージで描きました。 優しさと等しく、強いエネルギーを持ち合わせたMs. OOJAさんの歌声や生き方からヒントを得て書いた楽曲なので、ファンの皆さんにも届くと嬉しいなと思います。 たった一人きりで芸森スタジオで星空を見ながら作詞作業。 一旦、レコーディングまでしたものの心が空っぽになってしまい、出来上がったそれが果たして良いのか悪いのかわからなくなっていました。 少し歌詞を変えて再レコーディング、この度満を持して日の目を見ることになりました。

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「その線は水平線」セルフ・ライナーノーツ|くるり official|note

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2009年頃だったか、はたまた2010年頃だったか、くるりは俺と佐藤のデュオ編成で、プロフィール写真を見ればB'zみたいな感じだったと思う。 いや、違うか。 くるりはバンドなので、パーマネントのメンバーではなかったがドラマーのBoboと、山内総一郎(フジファブリック)を加えた4人編成でライブ活動をしていた頃だ。 この男子4人は仲が良く、長いくるりの歴史の中でもバンド然としたフォーメーションだったように思う。 2000年代はじめ、海外での活動や、オーケストラとの共演などを経たくるりはこの頃になると「魂のゆくえ」や「言葉にならない 笑顔を見せてくれよ」など、内省的な作品を作り出すことになる。 まぁつまり、元気なかったんです俺。 そんな俺を支えてくれたのが、このバンドであり、佐藤やBoboや山内なんです。 この頃は調子が悪いせいか、あまり曲を書けなくなっていただけではなく、どうも喉の調子がすこぶる悪く、うまく声が出ない。 病院で診てもらっても、原因がわからない。 ツアーは続き、小さな地方のライブハウスから武道館、台湾まで多くの場所を回った。 演奏の楽しさでカヴァーしたけど、声がとにかく出なかった。 比較的調子の悪くない日、高松だったかどこかのライブハウスの楽屋で、本番前にぽろぽろギターを弾きながらふと1曲作った。 それが「その線は水平線」だった。 歌詞もすぐ出来た。 Mark Kozelek(アメリカのシンガーソングライター)風の、少しスモーキーで燻んだ風合いの歌い出しだけど、コーラス部分では少しばかりMr. Childrenなんかを彷彿させるような、ドメスティックな温度感もある。 あまりこういうタイプの曲は書かないが、一筆書きで描いたこの曲は、このような曲想になった。 「ハイウェイ」や「How To Go」などが好きで、くるりのことが好きになった人は好きだと思う。 この曲は何度かレコーディングを試みた。 その間に、様々なアレンジを試したりもしたけど、結局完成しなかった。 デモ音源を聴いた映画監督の是枝裕和さん(当時「奇跡」の劇伴を製作していた)が、この曲を主題歌にしたい、と言ってくれたけど、結局ライブで何度か演奏するだけで、作品として陽の目を見ることのないままに数年の月日が過ぎた。 この曲がいったい何なのか、よく分からなかったんだと思う。 当時作ろうとしていた、あるいは理想に掲げていた「音楽」と比べて、この曲はデコボコしていて、詰めが甘く、稚拙だと決め付けていたのかも知れない。 曲のことなんて、もしかしたらこの先もどんな曲かなんて、知ることや分かることは無いのかもしれない。 作った本人なら尚更のことである。 自分自身のことなんて認めていないから、鏡を見たくないのだ。 知りたくなかった。 俺はギターを弾いたり、音楽を作ったり、バンドをやっていたり、オーケストラ作品を作ったり、眼が悪くて眼鏡を掛けていたり、全部自分自身だけれども、心の中をこじ開ければ、自分の中身は空っぽである。 歌うべき「中身」など、基本的には持っていない。 そこが、いわゆる「歌うべきことを予め持っているアーティスト」との違いなのかもしれない。 40過ぎて最近ようやく、そのようなことに少し自覚的になり、この曲だけではないが、自分自身から溢れ出た、あるいは滲み出たものに関して、これは自分自身の鏡に映った姿でもある、と思うようになった。 音楽をやっていてもいなくても、そのようなことに気付くこともあるし、幾らでも嘘をつく方法が転がっていたりもする。 京都の老舗録音スタジオ、ファーストコール のハウス・エンジニア谷川氏は、俺が教員として勤めている京都精華大学ポピュラーカルチャー学部音楽コースで知り合った。 彼は東京のスタジオでのエンジニアとしての活動を2年ほどで見切りをつけ、若干20歳過ぎに京都市内に自分自身のスタジオを立ち上げた。 くるり1st「さよならストレンジャー」のプロデューサーであった佐久間正英氏は、先述した大学学部の教授に就任され、レコーディングスタジオを大学に作り、後進だけでなく様々な音楽教育を試みようとされていた矢先に帰らぬ人となってしまった。 今は、谷川氏をはじめ、この曲のドラムを叩いてくれた屋敷豪太さんや、シンガーソングライターの高野寛さん達がその後をうけ、後進の指導にあたっている。 ヴォーカルと、幾つかのギターを録音し、それを元に谷川氏と京都精華大学のmagi music studioにてドラム、ベース、ギターなどを録音した。 谷川氏はヴィンテージ・マイクやプリアンプ、自作の機材など拘りのあるセッティングやマイキングを駆使し、近年のスタジオ・セオリーとはかけ離れた(ご本人にとっては当たり前の方法なんだと思うが)幾つかの方法で録音をした。 シンプルなギター・ロックに聴こえるこの曲も、谷川氏のホーム、ファーストコールに移ってから多層的にダビングを繰り返した。 鞴の付いたインドのオルガン、ハルモニウムや、イギリスの電動アコーディオン「ピアノルガン」なども重ねて厚みを出した。 そのあと、ファンファンのトランペットをダビングして、ミックスし完成した。 通常はミックスの際にヴォーカルのヴォリュームフェードを細かく書いたり、ヴォーカルやベース、ドラムにはコンプレッサーを使い音を馴染ませるものなのだが、彼が作り上げたミックスは、そのような加工があまり施されていないもので、一歩間違えれば「製作途中の歪な姿」になってしまうかのようなものであった。 弾き語りや、シンプルなライブ音源ならまだしも、バンドの生演奏、電気楽器、アコースティック楽器、MIDI打ち込みサンプル、多層ハーモニーヴォーカルや、先述のインド楽器まで入っている楽曲なのである。 デモの打ち込み作業を含めると、自宅、SIMPO、新幹線、大学、ファーストコール 、ファンファンのトランペットを録音した東京のフリーダムまで楽曲データが旅をしていることもあり、一聴シンプルな曲想と一線を画す「闇鍋」あるいは「色んな人がいるクラス」みたいな楽曲なのである。 しかも、この曲留年しまくったわけだ 笑。 谷川氏はこの曲を、ただ彼のやり方で素直に向き合い馴染ませたのであろう。 彼のやり方だけが正解ではないし、彼がくるりやこの楽曲に何を思い、どのように向き合ってくれたのかは俺はよく知らない。 ただ、この楽曲はまさに「その線は水平線」という楽曲に仕上がったのだ。 自分自身、この曲は何を言っている曲なのか、聴いた人が何を受け取ってくれるのか、まだ殆ど分かっていない。 現状ひとつだけ分かっていることは、自分自身の素朴な断片を、この楽曲と関わった人たちや時代の空気が、作品として独り立ちさせてくれたということだ。 製作半ば、佐藤による編集が、この録音物の背骨を強固なものにしたことがデカかった。 細かくどういう作業をしたのかは、俺はよく知らない。 * * * この楽曲には、関わってくれたエンジニア達が作り上げたヴァージョン違い、ミックス違いが幾つか存在する。 そのうちひとつは、くるりのレギュラードラマーであるクリフ・アーモンドと録音したヴァージョン(ベースラインや、トランペットのアンサンブルも違う)を、エンジニア宮﨑氏がミックスしたもので、CDにも「Ver. 2」として収録されている。 もうひとつは、この曲を最初に作った2010年頃から、デモ製作や録音を手伝ってくれた小泉大輔氏が、仕事として依頼をしていないにも関わらずに、丁寧なミックスを作ってくれたもの。 これも何かの機会に、皆さんにお聴かせできるようにしたいと思っている。 2018年1月27日 岸田繁 水平線さんが留年中、何度がお聴きする機会がありました。 やっと日の目をみることが出来るのですね。 おめでとうございます。 わたし、岸田さんの書かはる歌詞すごくすきです。 空っぽかなぁ?そんなふうに感じたことないです。 たくさん詰まってて逆に想像力を掻き立てられます。 妄想族にはたまりません。 そんなこんなで「その線は水平線」ver 1. 2たのしみです。 追記 2018. 25 「この線は水平線」ver1. 2ともに愛聴してます。 聴き比べての最初に単純に浮かんだ単語が1が海、2が宇宙、1が横に大きな広がりで2が縦にどこまでも突き抜けていく印象です。 どちらもいいなぁ。。 2verなのがわかります。 ギターがほんとに印象的。 さすがすごいな。 くるり。

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