奇貨 おく べし。 「奇貨居くべし」の意味は?例文や類語も解説!株・投資にも

故事成語「奇貨居くべし(きかおくべし)」の意味と使い方:例文付き

奇貨 おく べし

奇貨居くべし!歴史に残った名言と「奇跡」の出世物語 「奇貨居くべし(きかおくべし)」。 今も残る、呂不韋を代表する名言です。 この言葉は、まだ趙国の首都「邯鄲(かんたん)」で、呂不韋が商人をしていたある日、彼が口にした言葉です。 意味を現代語訳すると「 掘り出し物を見つけたぞ」という意味。 呂不韋が掘り出し物と言ったのは、邯鄲に人質として住んでいた「秦」の国王「」の孫「異人(のちの荘襄王)」を発見したときです。 呂不韋はこのとき、「異人」を秦国の王にするために、巨額の投資と裏工作を開始したのです。 奇跡的にも、この「裏工作」は大成功。 「異人(この頃「子楚」と改名)」は、秦国の「王」の座を手に入れ、「王」となるのです。 この功績により、呂不韋は最強国「秦」のNo. 2「丞相」という位を手に入れます。 「奇貨居くべし」・・・掘り出し物を見つけたぞ、という意味ですが・・。 これはあくまでも「投資すべき良い者を見つけた」という意味であり、「金のなる木を見つけた」という意味でもあったかもしれません。 呂不韋の目的は、あくまでも「自分の利益」。 人のことなど考えていません。 ましてや、その時まだ生まれていない「嬴政(えいせい)」のことなど、考えてもいないはずです。 「奇貨居くべし」 この言葉の真の意味は、「いい獲物を見つけた」という意味。 つまりそこには「私利私欲」しかなかったのです。 その証拠に、呂不韋は「荘襄王」の息子「始皇帝」を、自分の良いように利用しています。 それが原因で、呂不韋は悲惨な最期を遂げることとなります。 「奇貨居くべし」・・・この言葉は、呂不韋の後の「破滅」を暗示していると言えるのではないでしょうか。 呂不韋は「始皇帝」の父親?本当のところを考察してみた 始皇帝には、一つの疑惑がありました。 「始皇帝・嬴政は、荘襄王の息子ではなく、実は呂不韋の子ではないか?」 という疑惑です。 こんな疑惑が浮上したのには理由がありました。 嬴政を産んだ母親「趙姫(太后)」は、もともと呂不韋の愛人でした。 美しい趙姫に一目惚れした「荘襄王」は、彼女を自分に譲ってくれるように呂不韋に頼んだのです。 その後、趙姫は「嬴政」を出産。 ある歴史書には 「趙姫が荘襄王に譲り渡されてから、嬴政が誕生するまで、10ヶ月以上の期間があいている」 と記されています。 この歴史書が本当なら、始皇帝・嬴政は、「荘襄王」の子で間違いありません。 しかし、「疑惑」が完全に晴れたわけではありません。 もしも「始皇帝」が「呂不韋」の子であるなら、『紀元前778年』からこの時まで『500年以上』も続く「秦」の国の「正統性」が崩れることとなります。 疑惑は本当なのか?始皇帝の実の父は、「荘襄王」「呂不韋」いったいどちらなのでしょうか? 有名な映画「始皇帝暗殺」では、「呂不韋が始皇帝の実の父」という説を採用していましたが・・・。 考察してみましょう 結論を言いますと「始皇帝が呂不韋の子であるはずがない」と思います。 理由は簡単。 もしも「 始皇帝が呂不韋の子であるなら、荘襄王が始皇帝・嬴政を自分の後継者にするはずがない」から。 荘襄王には、始皇帝・嬴政のほかにも「成蟜(せいきょう)」など何人かの子がいました。 始皇帝・嬴政が、荘襄王の息子かどうか、本当のところを知っていたのは「呂不韋」「趙姫」の二人だけです。 もしかしたら、趙姫が荘襄王にゆずられた後も、呂不韋は趙姫と密会していたかもしれません。 もしも「呂不韋から趙姫をゆずられてから10ヶ月未満で始皇帝が誕生」していたら、荘襄王が気が付かないはずがありません。 また「趙姫」と「呂不韋」が、荘襄王にゆずられた後も密会している可能性は、とても低い気がするのです。 なぜなら呂不韋にとって、「趙姫」をゆずった頃は、人生で最も大切な「荘襄王を王位につける」という大仕事をしていた頃なのですから。 もしも密会していたとしても、荘襄王は何も気が付かなかったのでしょうか? 荘襄王はおそらく、嬴政が自分の子であるという確信があったのでしょう。 だからこそ、荘襄王は自分の後継者として「嬴政」を指名したのだと考えられます。 そして「呂不韋」をその補佐役にしたのでしょう。 王様が、実は先王の子ではない。 こういう逸話は、いくつもあります。 始皇帝と同じ時代に生きた楚の「」。 の義父「斎藤道三」と息子「斎藤義龍」。 「」と「豊臣秀頼」。 「」と「」。 始皇帝の正統性をおとしめて、国を乗っ取ろうとする者たちによる、いわゆる「プロパガンダ(政治宣伝)」ですね。 「始皇帝」の場合、「呂不韋の子」であるという説の信憑性は、とぼしいと考えられます。 『呂不韋』について「ひとこと」言いたい! 呂不韋・・・・。 あまりにも欲を出しすぎたことが、その破滅を招いたと言えると思います。 もともと、呂不韋には、それほどの野心があったとは思えません。 人気マンガ「キングダム」では 「嬴政を排除して、自分が秦国の王になろうとしている」 という設定になっています。 確かに、呂不韋は「始皇帝」を「あやつり人形」にして、秦国の権力を自分とその子孫に集中しようとしていた節があります。 しかし、自分が王になろうとしたは、低いと思うのです。 そもそも正統性が保てないと思います。 呂不韋の失敗は、「始皇帝」の母親である「趙姫」と密会してしまったこと。 今で言う「スキャンダル」が出てしまったこと。 それが唯一の失敗でした。 もしも呂不韋が本気で「始皇帝」を補佐し、天下統一に成功していたら、どうなっていたでしょう。 「呂不韋」は、「伊尹(いいん)」「太公望」「管仲」「蕭何(しょうか)」「諸葛亮孔明」のような、「名宰相」たちと肩を並べるほど、歴史に名を刻んでいたはずです。 スキャンダルで名声を失った・・・。 詰めが甘いとしか言えないですね。 もしも「奇貨居くべし」という「私利私欲」の精神ではなく、「嬴政を史上最高の名君に押し上げる」という大きな志があったら・・・。 呂不韋は今頃「英雄」として扱われていたかもしれません。 大歴史家「司馬遷」は、私利私欲に負けて命を落とした宰相「春申君」に対して 「春申君老いたり」 という激烈な言葉で批判しています。 「呂不韋老いたり」とはいえません。 なぜなら「荘襄王」に投資をはじめたときから、彼の目的は「志」ではなく「私利私欲」だったのですから。 「呂不韋」は「春申君」以下だった。 残念ながら呂不韋の評価は、これが打倒な気がします。

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奇貨居くべし その一

奇貨 おく べし

「奇貨おくべし」 まさに今の小泉さんの心境ではないでしょうか。 意味は「これは掘り出し物、手元に大事にしまっておこう」と言うような感じでしょうか。 のサイトに言葉の故事由来が詳しく書かれています。 さて、今朝テレビをつけたら、 各局の朝の番組。 やっていました。 やっていました。 永田さんの再謝罪会見と 前原さんVS小泉さんの国会での姿。 何度も、なんども、、、 見ている方が恥ずかしくなるような前原さんの姿でした。 小泉さんを前にして、あるいは自民党の国会議員に囲まれて、 にこやかに笑っている姿。 はては、小泉さんに背中ポン。 なっなんなんだ〜〜〜〜 あれは。 と、思わず目をむきました。 その後は、何か悪いものをみたような、見てはならぬものをみたような 気恥ずかしさでいっぱいになりました。 いったい、どうなっているんだろう??? 民主党。 いったい、どうしたんだろう??? 民主党。 あの無様な姿に私はしばし呆然。 私は言いたい。 「ちょっ、ちょっと待ってぇええええええ」 と。 そもそもの事の発端は、 「選挙と金」 「政治と金」 だったのではないだろうか? 「赤字」「赤字」と言われ、痛みだけを否応なく押しつけられている国民にとって、 その赤字の原因はなんなのか? 無駄や不正がそこには介在していないのか? 国民が追うべき「痛み」は正当なものなのか? 知りたい。 知る権利がある。 もし寸毫でも疑惑があれば解明してもらいたい。 と、言うのが国民の思いではないでしょうか? 勿論、その疑惑解明については、確かな証拠と事実が最優先です。 今回の民主党は、あまりに稚拙であったことは論をまちません。 謝罪は当然です。 しかし、 追い詰め、失敗した民主党は、 あこまで卑屈になるものか??? 小泉さんの「奇貨」と成り果てた前原民主党。 これからは追求できるのだろうか??? 民主党が堕ちたことで、 自民党はますます「思いのまま」。 つまり、 アメリカと大企業の思いのままかぁ=== 結局、国民においかぶさってくる負担を思うと、 民主党の罪は深く大きい。 しかし、 しかし、 しかし、 最も大切なことは、やはり国民の意識です。 私たちは絶対に不正は許さないという毅然とした態度をもって、 政治のあれこれを見ていくことが肝要と思いました。

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【キングダム】呂不韋の最期と真実!「奇貨居くべし」の真の意味とは

奇貨 おく べし

面白いです! 今、というより、これからどんどん面白くなるような予感があって。 何も知らない賈人 商人 の子・呂不韋が旅により瞬く間に成長し、無限の可能性を見せ始めるという筋立てにわくわくしてしまいます。 とりあえずストーリィは、 韓から 趙へ。 ただ、惜しいかな、これからという時に本巻は終了。 続編がとにかく待ち遠しいです。 本篇は、 の話もチョコッと出てきて、秦の実力宰相・ 魏ゼンが辞任するところまで。 いずれにせよ、主人公呂不韋が、無色で何にも束縛されていないところが魅力です。 全篇完結した暁には、是非お勧めしたい作品になると思います。 転じて、得難い機会だからうまくこれを利用しなければならない、の意味。 むしろ、前巻で飛躍のきっかけをつかんだ呂不韋が、更に賢人たちと出会い自らを切磋琢磨し、成熟していく過程の内容です。 その分ストーリィ としては面白みに欠け、ちょっと物足りないという印象。 ストーリィそのものは、藺邑が秦軍に襲われ、高告の家に滞在中だった呂不韋は捕虜として秦に連行され強制労働につかされる。 その時知り合うのが 孫子 筍子。 そこから脱出した後知り合うのが高名な人相見・ 唐挙、さらに 孟嘗君にも出会い、薛の賓客として遇される。 趙から 秦へ、そして 楚、 魏、さらに 薛へ 斉はの占領下。 秦は 魏ゼンの思うまま。 本巻の最後に孟嘗君の死が告げられ、次巻において時代は風雲急を告げそうな感じです。 まとめて読むのが良いのは判っているのですが、ここまできたらもう止められない。 本編は、孟嘗君亡き後の波乱を経て、呂不韋がいよいよ自立し、躍進の兆しを見せ始めるという部分です。 それだけに今後への期待、楽しみを呼び起こしてくれます。 でも1年後かあ... 舞台は 薛後の 慈光苑、そして慈光苑の滅亡から人々を助け出し、仲間と共に魏ゼンの領地 陶へ。 その経緯にて呂不韋は自らの存在感を人々に示し始めると共に、自身の目標を定めるに至ります。 さすがに、3巻までの内容の記憶が薄れていて、興がもうひとつ乗り切れません。 もうひとつ、宮城谷さんの作風も関係していると思います。 主人公にダイナミックな行動があるのでなく、主人公および登場人物に関する人物説明により読ませるという傾向。 そのため、興が乗らないと、ストーリィがかなり平面的に感じてしまうのです。 本巻は、いよいよ 呂不 韋 が商人の道を踏み出す経緯一切。 ただし、商人といっても、政商と言うに近い印象を受けます。 そのため、ストーリィは呂不韋 各国の宰相クラスを渡り歩き、情報の収集・提供に努めている姿が多くなります。 商売そのもののストーリィは殆どありません。 そして、時代の流れに相応するかのように、趙、秦等における栄枯盛衰も語られます。 秦においては、 「 」 の 范雎 が登場、 魏ゼン が勢力を失います。 次巻への期待が高まる一冊。 ほっとした思いもあります。 4年にわたり順次刊行されてきただけに、最初の方の記憶が薄れてきたこともありますし、いい加減結末を読みたい!という時期に至ったこともあります。 秦の丞相の地位にのぼった 呂 不韋 がとった行政・外交は、従来とは違って民の視点から見直したものだと宮城谷さんは語ります。 即ち、権謀術策=国の外交としていた従来の考え方を排除し、広く人の世から認知され得る行動を常とすること。 それは、呂 不韋が 貴人の出身ではなく、賈人 商人 という最下級とされた平民の出身だからこそ、それに加えて広く世の中を渡り歩いてきた経験があったからこそのこと。 また、これまでの呂 不韋 の行動ぶりも、けっして無理をせず、地道な努力を重ねたもの、自分だけの利益を考えることがなかったこと。 そこに、従来の英雄とは一味違った呂 不韋の魅力があります。 そして、呂 不韋における国家運営の 目的は、広く民を幸せにできる国を創るというものでした。 それだけに、この長編には爽やかさ、気持ちの良さがあります。 宮城谷作品の中でも、「 」「」 と並べて記憶に留めたい作品です。 現実社会でも、裏で画策すること=能力であると誤信している会社人間が多くいます。 そうした人達は、本書から呂 不韋 という人物の健やかさを感じることができるのでしょうか。 名宰相に加え、覇者・ 桓公も登場する作品ですから、これまで宮城谷作品を読み続けた人であれば、読み逃すべきではない作品と思います。 とはいうものの、ストーリィとしては、時代を自力で切り開いた他の人物たち(各作品の主人公)の物語に比べると、起伏に乏しいのは事実。 ストーリィ自体としては、面白くて夢中になるというものとはちょっと異なります。 その理由は、管仲が名宰相と称えられるに至ったのは、 鮑叔というこれもまた稀な人物による推挙であり、桓公という稀にみる名君にまみえた故と言えるからです。 本書は、まず鮑叔と管仲の邂逅から語り起こされます。 斉の名家の子息であった鮑叔に対し、管仲の境遇は極めて悲惨なもの。 しかし、鮑叔の管仲への信頼は極めて大きく、後に仕える公子の違いから敵対関係になることがあったものの、事が定まると鮑叔は君へ管仲を推挙し、自らは身を引きます。 一方、忠義を尽くした鮑叔に推挙されたとはいえ、自分を弓矢で射た管仲の才能に全幅の信頼を置いて任せきった桓公も、見事なもの。 本書は、鮑叔、管仲、桓公、そして鮑叔と管仲に仕えて彼らを支えた周辺人物たちを描く、見事な人間ドラマと言えます。 なお、管仲の政治の見事さは、まず民を、そして国を栄えさせることに主眼を置いていた点にあったとのこと。 著名な人相見の許負から将来王になると予言されたものの、生命を狙われて斉を出奔せざるを得なくなった田横は、 始皇帝の太子・ 扶蘇の元に至り厚遇を得ますが、始皇帝死去後に幾多の軍が乱立するという激動の渦中に身を置くことになります。 秦からは軍事の天才・ 章邯が現れ、楚からは 項羽、劉邦が歴史のひのき舞台に登場してきます。 そうした中にあって、田横の動きは極めて地味と言わざるを得ません。 田横が天下の信望を集めるようになるのは、漸く下巻に至ってのこと。 著者の宮城谷さんは 「田横は僕の理想像」といいますが、正直なところ、田横という人物についてそれ程強い印象は受けません。 殺すだけの人である項羽、騙すだけの人である劉邦の2人に対し、信義を守ったのは田横ひとりだけというのが本作品における田横の位置付けですが、田横には優等生過ぎる余りのひ弱さが感じられます。 その点では、国に縛られず、自分の理想に自縛されることなく羽ばたいた、、に比べると、その魅力は見劣りします。 始皇帝後に項羽と劉邦が覇権を争った歴史だけでなく、斉という国の自立を守ろうとした田横という歴史があったことを知る点で、本書は興味深い。 しかし、田横について観念的に過ぎ、また迫力という面でも、物足りないままに終わった作品。 長大な物語の始まりは、3人の英雄の登場に遡る、後漢王朝が衰退していく過程から。 第1巻はまだ 後漢王朝の時代。 その中で唯一明君だった 順帝に近侍した宦官が、 曹騰。 後の3英雄の一人となる曹操の祖父となる人物。 本ストーリィはまだまだ先。 講釈、解説の多い巻でもあります。 悪臣がのさばる一方、良臣の処せられることが繰り返され、誠に暗澹たる気分になります。 もっとも、宮城谷さんの意図が衰退王朝の原因を実証するということであれば、相応の意義あることかもしれません。 悪意に満ちた帝の外戚・ 梁冀亡き後、今度は宦官が専横を極めます。 そのどちらにしても国が乱すという意識、その結果を理解する器量のかけらも無かったという指摘には、国が滅びるというのはそんなものかもしれないと思います。 誰が誰でどんな人物なのか、とても記憶と整理が追いつきません。 そのため、もうひとつ作品の中に入り込めないというのが、正直なところ。 前半は 黄巾の乱とそれに振り回されるかのように勃興しあるいは没落する要人らの姿が描かれます。 この辺りがとても整理の追いつかないところです。 それでも後半に至ると、「三国志」の主要な登場人物へと物語は次第に収斂されていきます。 後漢王朝で専横を振るう 董卓、離反し自らの力を蓄えつつある 袁紹と 袁術。 その歴史の激動の中で、漸く 曹操、孫堅、劉備という、三国志時代の幕を開ける主要な3人が登場してきます。 北方謙三「」は、3人の英雄たちに主眼を置いた英雄譚でしたが、本シリーズはそれとは異なり、この動乱と激動の時代を俯瞰的に見るところに特色があることが判ってきます。 つまり、激動する時代の最中だからこそ、人はどう生きるか、何を基にどのように行動するかが問われる、ということ。 宮城谷作品における共通したテーマですが、それがこの後漢末期以上に問われる時代はないと言えるでしょう。 その意味では、本シリーズにおいて英雄は不要なのかもしれません。 それの始まりは、 董卓が呂布によって殺されるところに始まります。 一方、混乱の中にあって徐々に曹操が力を付けつつあります。 どうしても 北方謙三「」 と比較してしまうことが多いのですが、北方版「三国志」が英雄を画いた歴史エンターテイメントとしての色彩が強いのに対し、宮城谷版「三国志」は歴史を淡々と、俯瞰的に画いていくという姿勢が感じられます。 その意味で、 曹操を除く 劉備、孫策( 孫堅は本巻で死す)は未だ数多くいる勢力者の一人に過ぎません。 エンターテイメント性が薄い一方で、登場人物はとなるとやたら多いのですから、ついついストーリィだけを読み流しがち。 でも本巻は混迷を深める中で、曹操、劉備、孫権が登場してくる前段階を画いているのですから、それでも良いのだろうと思っています。 なお、この混乱に満ちた世界で誰が生き残り、誰が死んでいくのか。 そしてその岐路はどこにあるのか。 自分の欲を充たすだけに行動する人間、志を大きくもって自分を大きくしようとする人間、その違いこそ人を分ける基準、というのが宮城谷さんの書こうとする趣旨ではなかろうか。 へ へ.

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