ウクライナ 言語。 簡単なウクライナ語のフレーズ15選【挨拶編】

ウクライナとは

ウクライナ 言語

<目次>• ウクライナ留学の3つの魅力・メリット ウクライナ留学のメリットついてまとめました。 ウクライナは、東ヨーロッパの国ですが、あまりどの程度の学力がある国か知られていません。 IT企業からは、ウクライナ人の教育レベルの高さに注目し、スカウトなどが盛んに行われるようになってきています。 歴史に翻弄されてきた過去のあるウクライナ。 西ヨーロッパに比べてロシアの影響を強く受けている文化です。 大陸続きのため、昔から色々な民族の支配などを受けてきたことから、文化も独特な変化を遂げました。 西ヨーロッパとは違った重厚な雰囲気を受けることでしょう。 ウクライナは、東部やクリミア半島がロシアの占領地域になっているなど、目まぐるしい情勢が物価を下げています。 しかし、外国人にとっては格安で生活ができるメリットがあります。 49UAHが約30円と予想以上に安く、ヨーロッパとは思えない物価に驚くでしょう。 ウクライナ留学の3つのデメリット・注意点 ウクライナには、根深い歴史からくるデメリットもあります。 ウクライナの公用語はウクライナ語のため、英語で話すことはあまりありません。 ロシア語やポーランド語を地方によって使用する言語が違う問題があります。 それぞれに合わせた言葉が必要になってきます。 ウクライナ人にとって、ロシアからの脱却も試みるも実際に必要とされる言語は、ロシア語でした。 独立した現在は、ウクライナを公用語として、国の名誉を図る活動がされています。 英語も彼らにとっては、日本人と同じく世界に羽ばたくための、必要な言語として勉強に力が入れられてきています。 ウクライナの中心に位置するキエフなど大部分の土地は、治安には問題がありません。 留学先として人気がある欧米と比べると、安全度が高いくらいです。 しかし、歴史的背景の問題があります。 もともと、ウクライナはロシアの一部として管轄されてきました。 独立後、クリミア半島はロシア人が多く住む状況などから、ウクライナとロシアの覇権争いの場になっています。 ウクライナ政府の統治が行き渡らない場所でもあるので東側には、注意が必要です。 (外務省から渡航中止勧告が出ています。 ウクライナの中心のキエフは、大陸性気候で夏はカラッとした暑さで過ごしやすい季節もあります。 ですが、北にあるウクライナでは冬に、厳しい寒さが続きます。 ちなみに、キエフは夏らしい気温でありながら乾燥して過ごしやすいため、昔からロシアの夏の避暑地としても人気がありました。 ウクライナ留学で人気の主要エリア3選 ウクライナで英語が勉強できる都市の紹介です。 キエフは、京都市の姉妹都市として日本ともゆかりがあります。 芸術の都としても知られるキエフでは、格安でオペラやバレエの観劇ができる都市として、日本人にも知られています。 聖ソファア大聖堂や黄金の門など観光名所にも恵まれた都市は、ウクライナの美しい街としても称賛されています。 夏は6月から8月、11月から4月までは冬と区切られています。 やはり、北にあるキエフは日本よりも緯度が高い位置にあるため、冬が長く厳しい環境です。 ハルキウは、ウクライナ東部でドネツク州の隣に位置する街です。 ドネツク州とルハンスク州の一部の地域は、ウクライナと武装した勢力と戦闘が続く状態にあり緊張状態にあります。 ですが、ハルキウは、平和な街として普通の生活が営まれています。 人口は約145万人と、ウクライナで2番目に大きい都市であり、工業の中心地としてロシア統治時代でも第3の都市として活躍していました。 水族館やオペラハウスや公園など見どころもたくさんある都市となっています。 オデッサは、黒海に面した港町です。 キエフよりも南に位置し人々の陽気さを感じます。 お隣の国のモルドバに近く、モルドバからの玄関口になっています。 交通の便が発達しており、活気があります。 もともとは、ロシア帝国領でありウクライナの独立宣言までソビエト連邦内の領地でした。 そのため、オデッサでは、ロシア語を話す方が多く、キエフとは違った側面を持ちます。 「黒海の真珠」とも呼ばれる美しい街は、ギリシャの植民地とされていた歴史も持ちます。 さまざまな人種が流入することになり、現在ではロシア語を話す傍ら、多国籍な街としても栄えています。 ウクライナで留学先を決める時の3つのポイント ウクライナ留学のポイントになる点をまとめました。 2014年に起きた、ユーロマイダン革命により、急激にフリヴニャ「UAH」のが落ちています。 そのため、2014年以前には、1UAHおよそ12円であったのに対し、現在では1UAHあたりおよそ4円程度と3分の1にまで価格が落ちています。 外国人にとっては、費用が少なく活動ができるため、留学においてもメリットがある留学国となっています。 ウクライナでの公用語はウクライナ語です。 ロシアの統治下にあったウクライナは、ロシア語を話すことを指導されていたため、現在でもロシア語で会話することが中心です。 しかし、ロシアとの関係が複雑な問題から、街の表記は公用語のウクライナ語を主流としています。 また、英語教育に力を入れ始めた2014年からは、英語を話せる若者も増えこれからの時代では英語での会話も主流となりつつあります。 さまざまな背景から多言語での生活が必要になり、自然と言語の習得にもつながります。 ウクライナ人のIT技術者としての価値は、現在多くの国から注目されています。 ウクライナで最も社会的地位が高いとされる職業でもあり、街には自由に使えるWi-Fiが完備されている建物も多々あります。 世界から注目されているIT技術をウクライナの大学で学ぶことは、ステータスともなっています。 これからのIT業界でのリードをしていく存在になりつつあるウクライナで、英語を学びながらIT方面へ進むのも1つの可能性としておすすめです。 ウクライナ留学でおすすめの学校を紹介 ウクライナ留学でのおすすめの学校の紹介です。 おすすめな学校3選 ウクライナ留学の主流は、大学留学になります。 キエフ大学や言語大学といった国立大学で留学をして英語の授業を受けることが主流です。 街には、ウクライナ人向けの英語の語学学校もありますが、日本からの道筋はまだできておらず、サポートできる体制がありません。 現地の国立学校で留学をし、ロシア語とウクライナ語を学びながら多くの授業を英語で選択していくかたちになります。 キエフ国立大学は、1834年に設立されたソビエト戦争でも歴史を刻む舞台となった大学です。 1917年にソビエトの侵攻によりキエフ大学の学生も、応戦した歴史があります。 キエフ大学の始まりは哲学学科に始まり、やがて国を代表する高等機関として現在では、歴史文献学科・法学部・物理・数学科などロシアの理数教育に力を入れた教育環境を保ちながら日本語学科を含む全部で14学部の扱いがあります。 世界にある研究機関の施設があることでも、キエフ大学の認知度は高く知られています。 学生たちの英語力も高く、海外協定校への研修プログラムでも発揮されています。 キエフ国立言語大学は、1948年に設立された大学です。 インターネットが発達しているウクライナでは、日本の情報もかなり知られています。 特に、最近は若者を中心に日本のアニメに関して多いに興味を持たれています。 そのため、日本語専攻する学生も多く、日本に対しての知識を持ち合わせています。 夏には、日本の大学とのサマーキャンプなどの交換留学により日本の学生と交流を持つなど、遠く離れたウクライナと日本語でコミュニケーションをとることもできます。 言語大学というだけあり、トライリンガルの教育を目指し、ウクライナの中でも活発に多言語を勉強する環境にあります。 ウクライナ留学で英語が伸びなかった人の失敗談 ウクライナ留学での失敗談をまとめました。 英語を使える場所があまりない ウクライナでは、2014年の危機以来欧米への道が開けて来てから、英語の勉強もされるようになってきました。 若い世代は、ヨーロッパという多言語の地域の環境もあり、日本人よりも早く英語の習得ができています。 ですが、以前としてロシア語やウクライナ語での会話が主です。 ぐっと冷え込むため、体調の管理も難しくなります。 また、日本のように海外ではマスクをして歩く習慣がないため、予防もしがたく風邪をひきやすい状態になりやすいです。 語学の勉強でも、土地の気候に慣れていくことが必要です。 現地の方とのコミュニケーションが取りづらい ウクライナ人は、陽気であるものの頑固な一面があります。 長く、北方のロシアの支配下にあったため、苦難の生活をしてきたことにもよります。 そのため、親日で親切な方が多い分、困窮した生活が多いウクライナでは利益がなければ動かない方が存在することも確かです。 はっきりと自己主張が強いのも特徴となっています。 ウクライナ留学で英語が伸びた人の評判・口コミ ウクライナ留学で効果が感じられた方の口コミを集めました。 英語での授業が大学で格安に受けられる ウクライナの物価は現在、とても安い状況です。 そのため、シェフチェンコ大学であると年間20万円からの費用である場合が多く、費用に関して気にすることなく勉強することができます。 ちなみに、言語大学では年間10万円ほどとなり、破格の値段で勉強することができます。 英語だけではなく、3言語の取得ができる 大学で英語の授業を受ける場合、必ず必要になるのがロシア語とウクライナ語での学習です。 国に囲まれているウクライナは、語学を学ぶ学科も多く、英語だけではなく他の言語も並行して身に付けられる環境です。 日本語学科に通う生徒と教え合う ウクライナの大学や語学学校でも人気のある日本語学科。 親日の国として日本に親近感があるウクライナでは、盛んに日本語を学ぶ方が増えています。 そのため、英語教育に力が入れられているウクライナ人とのランゲージエクスチェンジで、お互いにメリットがある学習ができます。 ウクライナ留学でおすすめのエージェント2選 ウクライナ留学に定評があるエージェントの紹介です。 com 日本からウクライナ留学し、現地で結婚された方が立ち上げているエージェントです。 ウクライナ留学は、まだ日本人にとっても世界の方にとってもメジャーな留学先とは言えません。 ですが、ヨーロッパクオリティーで高い水準を持ちながら、格安で教育を受けられるウクライナ留学に注目し、煩雑なウクライナ留学を一貫してサポートします。 日本とウクライナの首都のキエフにオフィスがあり、日本人が立ち上げていることから、迅速に対応がしてもらえます。 24時間365日、日本人による相談ができるところもポイントです。 多くのプランを兼ね備え、追加でオプションからより細かい相談ができます。 現地にオフィスがあることで、現地の状況など安心してまかせることができます。 com アジア専門に留学を扱いますが、幅広い留学先の扱いがあるエージェントです。 アジア留学. comは、日本ではあまり情報が得られないウクライナの留学について分からない点を、分かりやすくサポートするエージェントです。 主に長期ウクライナ留学を大学で学べるプランを用意しており、ウクライナでの生活や申請の代行などサポートしてくれます。 キエフ大学での長期留学は、日本でいうところの東京大学にあたります。 キエフ大学では日本語学科もあり、日本への興味の高まりを感じることができます。 ウクライナ留学に行くなら必須の持ち物3選 ウクライナ留学の際に必要な持ち物について紹介します。 ヨーロッパで主流の電源プラグは、C型になります。 日本の家電を使用する場合は、必要です。 大事なスマホの充電などにも使用するため、場合によっては変圧器が必要になります。 現地での購入は、ネット通販のみでの扱いになるため、予備を持参していると心配いりません。 日本から遠く離れたウクライナでは、日本人のための専用スーパーマーケットがありません。 そのため、インスタント麺やレトルトカレーなど持って行くと重宝します。 しかし、現地では日本食ブームが起きているため、お寿司やラーメンなどのメニューを食べることができます。 多少のものならば、現地のスーパーマーケットで日本の食材を購入することができます。 薬は、いつも日本で使っている物がベストです。 海外で購入する場合、処方箋など必要になる場合があるので、忘れないようにしましょう。 また、トイレなどの衛生面で日本は世界でもトップクラス。 比べて海外のトイレは劣るため、便座をきれいにするシートなどがあると便利です。 まとめ 今回、ウクライナ留学について主に、以下の点からご紹介しました。 ・費用 ・持ち物 ・おすすめの学校など ウクライナという国は、日本からとても遠く離れた国ではあります。 ですが、ヨーロッパのきれいな街並みと、高い水準にありながらも格安で、まるで東南アジア並の物価にて生活ができる点が最大のメリットです。 ただ、破格の価格ではありますが、生活で必要な言語がロシア語とウクライナ語となるため、完全に英語のみで生活することはできません。 若い世代は、英語教養があり巧みな英語力で話すことができますが、3か国語を身に付けるつもりで学びに行く覚悟が必要です。 英語留学として考える場合、留学国2か国目以上目でおすすめしたい国です。 言語の壁はありますが、親日で日本人に興味がある方が多く、治安も中心部にいたっては問題がないため、ヨーロッパ好きにはおすすめできる留学先と言えます。 ウクライナ留学後、住み続ける方もいる程、美しく住みやすい国としても、留学先の選択としてポイントです。

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ウクライナ語で話してみよう!ウクライナ語基本会話集

ウクライナ 言語

正式名称 ウクライナ。 面積 60万3628km 2。 人口 4552万3000(2013推計)。 ヨーロッパ東部の国。 北は,北東と東は,西は,南西は,,,と接し,南は,に面する。 はおもに平地からなるが,ところどころに,などがあり,西部にを含む。 年降水量は 400~600mm。 公用語は。 都市人口は約 3分の2。 9世紀から現れたはキエフを首都とし,11~12世紀に栄えたが,13世紀タタール人の侵入により滅亡し,16世紀ウクライナはポーランド領となった。 1917年独立し共和国成立,1922年ウクライナ=ソビエト社会主義共和国としてに加盟したが,1991年独立を宣言。 今日のに改め, に加盟。 資源が豊かで,,石油,鉄鉱石,マンガン鉱,カリウム塩などの埋蔵量が多く,19世紀から()を中心に工業が発展していた。 で最も工業発展の進んだ共和国の一つで,ドンバス川,流域に大工業地帯があり,各種冶金,機械,化学,食品などの工業が発達している。 土地改良も進められ,灌漑設備が各地でつくられている。 ドネプル川,,などの河川が流れていることと,黒海に面していることから水運が発達し,陸上交通網も密度が高い。 2014年,ロシアが南部のの編入を宣言したが,国際的には承認されていない。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 ウクライナは欧米とロシアの間でバランス政策をとってきた。 1996年6月に新憲法が採択された。 大統領の任期は5年で、大統領が首相を指名し、最高会議 定数450 が承認する。 99年11月にクチマ大統領が再選され、2002年3月の議会選挙では、最大会派の共産党に代わり、大統領派の「統一ウクライナのために」とビクトル・ユーシェンコ元首相の「のウクライナ」が競った。 04年末のオレンジ革命により親欧米派のユーシェンコ大統領が誕生し、05年2月にユリヤ・が首相に任命されたが、権力闘争の結果同年9月に解任され、エハヌロフが後任に任命された。 06年3月の議会選挙でユーシェンコの対立候補だったビクトル・ヤヌコビッチ元首相率いる地域党が第1党、「チモシェンコ・ブロック」が第2党、与党の「我らのウクライナ」は第3党となった。 8月に地域党、「我らのウクライナ」、社会党、共産党の連立政権が生まれ、ヤヌコビッチが首相に任命された。 07年9月30日に、期限前議会選挙が実施された。 親ロ派のヤヌコビッチ首相の率いる地域党が第1党となったが、チモシェンコ元首相の率いる「チモシェンコ・ブロック」が躍進し、ユーシェンコ大統領支持の「われらのウクライナ・人民防衛」ブロックと合わせると44. この両派は連立内閣を組織し、07年12月、チモシェンコが首相に復帰した。 ウクライナ政権の成否は経済問題、特にエネルギー問題にかかっている。 外交面では、95年11月には欧州評議会に加盟、98年に「EU・ウクライナ・パートナーシップ憲章」に署名した。 NATOとの関係強化にも積極的で、97年7月NATO・ウクライナ憲章を締結。 ユーシェンコはNATO、EUへの加盟を目標にしている。 反ロシアの民主的選択共同体を主導したが、同時に、ロシアとの関係調整も課題となっている。 1%,ロシア人17. 3%など。 2012年10月総選挙結果,地域党186,連合〈祖国〉104,UDAR40,連合〈自由〉37,共産党32など。 1%(2003)。 7歳,女73. 8歳(2007)。 * *東部の共和国。 ロシアを除けば,面積ではヨーロッパ最大,人口ではドイツ,英国,フランス,イタリアに次ぐ大国である。 中央部は小高地をもつ平原で川が流れ,西は山脈,南は黒海に面する。 住民の8割近くが人,2割弱がロシア人,ユダヤ人,ベラルーシ人各1%弱(2003)。 温暖な気候と肥えた黒土に恵まれ,,テンサイ,トウモロコシ,ヒマワリを産し,牛,羊,豚の畜産もある有数の国。 をはじめ,石炭,鉄,マンガン,石油,ドニエプル川の発電など資源も豊かである。 〔歴史〕 旧石器時代前期の遺跡が発見されており,旧石器時代後期では女性像などが出土したガガリノ,コスチェンキ遺跡が有名。 前4000年代中ごろがドニエプル川以西の全地域に広まった。 9世紀にが成立。 13世紀モンゴルの侵入によって荒廃,大ロシア,(ウクライナが中心),白ロシア(ベラルーシ)の3民族が分化した。 1569年以後ポーランドの支配を受けたが,ザポロージエのを中心に独立運動が起こり,1667年のアンドルソボ講和で,ドニエプル川を境に東岸はロシア領(コサックの自治国家),西岸はポーランド領とされた。 18世紀末ので西岸もロシアに併合された。 1917年のロシア革命を契機にウクライナでは激しい内戦が展開されたが,1919年社会主義ソビエト共和国が宣言され,1922年結成に参加した。 1920年代と1930年代の2度の大飢饉により計600万人に及ぶ死者を出したが,後者は農業集団化の強行と関わる。 第2次大戦ではドイツ軍に侵攻され,550万の犠牲者が出た。 のソ連の政策は,地方性を尊重する〈ウクライナ化政策〉とその反動の間で揺れ動くが,ペレストロイカ期の1989年に民主化と主権拡大を目指す大衆組織〈ルーフ〉が生まれ,1991年8月ウクライナ最高会議は独立を宣言した。 この間1986年4月のは,地元ウクライナと隣国ベラルーシなどに甚大な被害をもたらした。 〔ソ連邦解体後〕 ソ連解体後の対ロシア関係では,ウクライナ東・南部に多いロシア人の処遇,の〈自治共和国〉(ロシア系住民が7割)の分離・独立運動をめぐる問題,黒海艦隊の分割問題(1996年基本合意)などが起こっている。 2001年のアメリカでの同時多発テロ()以降,クチマ政権はアメリカ支持の姿勢を強め,2003年のイラク戦争では部隊を現地派遣した。 2004年大統領選挙のやり直し決選投票で,親欧米派の野党候補ユーシェンコ前首相が当選したが,経済政策をめぐって各派が対立,ユーシェンコ大統領はたびたび首相を解任した。 2007年9月の総選挙では,大統領を支持する与党が過半数割れとなり,ティモシェンコ連合との連立政権の成立にともない,ティモシェンコが首相に復帰した。 2010年1月から2月の大統領選挙で,親ロシアのヤヌコーヴィッチがティモシェンコを破り第4代大統領に就任,ティモシェンコは議会で首相不信任決議を可決され,辞任した。 2011年10月,ティモシェンコは職権乱用罪で有罪判決を受け禁固刑を科せられたが,服役中の2012年4月,看守からの暴行を受けハンストに入った写真をウクライナの記者がウクライナ議会の人権委員を通じてEU諸国の外交官に配信,強権的な性格を強めているヤヌコーヴィッチ政権への反感も加わって,ドイツなどで,ウクライナで開催されるサッカーヨーロッパ選手権をボイコットすべきという世論が起こった。 経済は2000年代初期は中国,ロシアへの鉄鋼などの輸出で高度成長を維持したが,リーマンショック,世界金融危機の打撃で債務不履行寸前にまで悪化,2008年10月IMFから165億ドルの緊急融資を受け,さらに2011年にも152億ドルの融資を受けた。 しかしEUの債務問題が長期化するなか,ヤヌコーヴィッチ政権はEU加盟を目指すとしながら経済的にロシアへの依存度を強め,EUとロシアの双方を天秤にかけて利益を得る姿勢をとっていた。 〔ウクライナ危機〕 2013年11月,ヤヌコーヴィッチはへの加盟手続きを断念,これに対してヨーロッパへの統合を求める野党と市民が強く反発,2014年2月,デモ隊と治安部隊の大規模な衝突となり80人以上が死亡する事態となり,事態は暴動化した。 議会は大統領解任決議,政権は倒壊した。 議会は野党〈祖国〉のアレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に任命。 ヤヌコーヴィッチは辞任を拒否し東部ハリコフに移動しロシアに脱出・保護された。 議会は〈祖国〉幹部でアルセニ・ヤツェニュクを首相に任命。 こうした動きに,ロシア系住民が強く反発,ロシア系住民が大半を占めるクリミアではの独立の動きが一気に浮上し,同年3月クリミア自治共和国議会とセバストポリ市議会は独立宣言を採択し,住民投票で圧倒的な賛成を得て,クリミア共和国として独立した。 ロシアは直ちにクリミアとセバストポリ特別市をロシア領に編入する条約を結び,プーチン大統領が編入を宣言,ロシア軍が事実上クリミア半島を占領した。 ウクライナはもとより国際連合,EU諸国,米国等はウクライナの国家主権・領土を侵害する違法行為として,独立・編入を承認せず,米国とEU,西欧諸国はロシアに対して経済制裁を発動,新冷戦の危機といわれる国際的緊張状態となった。 これに対してロシア系住民の多いウクライナ東部でも,ドネツク州やルガンスク州でロシア系住民による大規模なデモが発生,武装勢力が行政府を占拠した。 東部のロシア系住民とウクライナ国境に集結するロシア軍の動向とともに,軍事的緊張はさらに高まりウクライナは内戦と国際紛争の危機に直面する事態となった。 2014年5月に行われた大統領選挙で親EUのポロシェンコ(元外相)が選出された。 6月に就任したポロシェンコ大統領は東部の武装勢力に対し停戦を呼びかけ,プーチン大統領と紛争の早期停止を目指すことを表明したが,その後もウクライナ軍とロシアの支援を受ける東部のロシア系武装勢力との武力衝突は続き,戦闘による死者数は5500人を超えている(2015年4月時点)。 2015年2月,ウクライナ・ロシアはドイツ・フランスとともに停戦合意文書に署名したが,事態は依然流動的である。 西はポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニア、モルドバに、北はベラルーシ、東はロシアに接する。 面積60万3500平方キロメートル、人口4845万7102人(2001センサス)、4474万人(2014年世界銀行)。 首都はキエフ。 国内にクリミア自治共和国と24州、2特別行政区がある。 [渡辺一夫・木村英亮] 自然国土の西端近くに東カルパティア山脈の一部(最高点は2061メートル)がそびえ、その東にはポドリスク丘陵が張り出している。 国土の中央部は、ドニエプル川、ドニエストル川、南ブク川の流れる低地となる。 ドニエプル川はこの国最大の川で、国土総面積の約2分の1がドニエプル水系に属する。 その支流プリピャチ川はウクライナとベラルーシとの国境地帯にあたり、砂堤と湿地が交替する、ポレシエとよばれる独特の景観をみせる。 国土の東部にはロシアとの国境近くにドネツ丘陵(標高250~350メートル)が広がり、地下資源の豊かな丘陵として知られる。 国土の南にはクリミア半島(クリム半島)が黒海に突出し、標高1500メートルを超える急峻 きゅうしゅん なクリム山脈が南縁を東西に走る。 気候は穏やかな大陸性気候であるが、南西から北東に行くにつれ厳しさを増す。 年降水量はカルパティア山脈で1600ミリメートルを超すが、北部のポレシエで700ミリメートル、南部の黒海沿岸で300ミリメートルに減少する。 一般に雨は春から初夏に多いが、その季節には中央アジアから不安定な乾燥した気団がスホベイとよばれる強風となってウクライナ南部に侵入し、農業に大きな災害を与えることがある。 植生は、北部、西部にマツ、カシワ、ヤマナラシなどの混合林、中央部低地に広葉樹林と草原、南部には乾燥した景観をみせるヨモギやナギナタガヤなどの草原と、塩分が地表に吹き出してこびりついた沼沢地がみられる。 国土の中央部を東西に黒土帯が横断し、その南にも濃い栗色土壌が分布し、世界有数の肥沃 ひよく な農地となっている。 国土のうち、かつて森林だったと推定される面積の90%がすでに開拓されて農地になったり、火入れを繰り返したために草地となった。 国内には9か所の自然保護区(合計12万7000ヘクタール)が設けられている。 [渡辺一夫・木村英亮] 住民ウクライナの主要民族は、ウクライナ人77. 8%、ロシア人17. 3%、続いてベラルーシ人、モルドバ人、クリミア・タタール人、ユダヤ人などである(2001)。 人口動態の特色をみると、自然増加率は1985年から1992年の比較で約3%と低いが、都市人口の全人口に対する割合は、1940年の34%から1980年の62%、1994年の68%に上昇しており、都市への人口集中が進行していることがわかる。 なお、1975~2003年の人口増加率はマイナス0. 1%、2003年の都市人口率は67. 3%となっている。 主要都市の人口は、キエフ261万1000人、ハリコフ147万人、ドニエプロペトロフスク106万5000人、オデッサ102万9000人、ドネツク101万6000人(2001)。 [渡辺一夫・木村英亮] 歴史紀元前6~前5世紀、黒海沿岸にギリシアの都市国家がいくつか現れたが、現在のウクライナ人の歴史の出発点は、紀元後4~7世紀にドニエプル川沿いの中央地帯に東スラブ族が入り、9世紀にキエフを中心とするキエフ・ルーシ(キエフ大公国)が出現してからである。 この国家は、ギリシア正教とビザンティン文化を取り入れて栄えたが、13世紀初めモンゴルの侵入によって崩壊し、これ以後、東スラブ族はロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人に分かれることになった。 14世紀後半、北部はリトワ大公国に、南西部はポーランドに併合され、西部のガリツィアはハンガリーの支配下に入った。 農民はポーランド人領主の農奴となったが、ドニエプル川下流に逃亡した農民集団はコサックを形成した。 1569年のポーランドとリトワの合併は、ポーランド貴族による搾取とカトリック教会による正教徒抑圧を強めた。 クリミア・タタールとトルコも侵入した。 1648~1654年、ウクライナ民族はボグダン・フメリニツキーの指導のもとにポーランドの支配に反乱、ロシア皇帝に保護を求め、ドニエプル川左岸とキエフがロシア帝国に併合された。 18世紀後半、ポーランド分割によりドニエプル右岸もロシア領となり、ガリツィアはオーストリア領となった。 黒海沿岸とクリミアもトルコから獲得した。 大北方戦争の際、スウェーデンのカルル12世の軍隊がウクライナに侵入したが、1709年ポルタバの戦いでピョートル大帝に粉砕された。 このころからウクライナの自治は制限され、18世紀末にはエカチェリーナ2世によって完全にロシアの一部とされた。 19世紀にはロシア化政策に対して詩人のタラス・シェフチェンコも加わった民族運動が起こってくる。 19世紀後半、ウクライナはヨーロッパの穀倉とよばれるようになったが、他方ドンバス(ドネツ炭田)には石炭業、鉄鋼業が発展し、1913~1914年にはロシア帝国の石炭の71%、鉄鋼の58%を生産した。 労働運動も活発になり、1905年革命の際は、キエフ、オデッサにソビエトが形成された。 1917年の二月革命後、臨時政府に対抗して3月にキエフに中央ラーダ(評議会)が設立されたが、ボリシェビキの勢力は十月革命後12月にハリコフで開いたソビエト大会でウクライナをソビエト社会主義共和国と宣言し、ソビエト政府を組織、1918年1月にキエフを攻撃し中央ラーダを廃止した。 この後、反革命のデニキン軍、農民の支持を得たマフノ軍、赤軍、三者絡み合いの戦闘や、1920年4~10月のポーランド・ソビエト戦争と反革命ウランゲリ軍との戦争を経てソビエト政府が確立し、1922年12月末、ロシア、ベラルーシ、ザカフカスの3共和国とソ連邦を結成した。 工業、農業ともに発展していたウクライナは、ソ連の経済建設において中核的な役割を果たしたが、全面的集団化のなかでの1932年の大飢饉 ききん や、1930年代後半大粛清期のウクライナの指導者・党員の大量逮捕、処刑は、大きな悲劇であった。 1939年、西部ウクライナがポーランドから再統合され、1940年にはベッサラビアの一部と北部ブコビナも領土に加えられた。 第二次世界大戦時の1941年、ウクライナはナチス・ドイツ軍によって一挙に全土を占領され、500万以上の住民が殺され、徹底的に破壊、略奪された。 しかし1944年初めには解放を達成し、ただちにソ連の他の諸共和国、諸民族の援助を得て復興を始め、戦後は隣接する東ヨーロッパに人民民主主義諸国が生まれ、協力の関係がつくられた。 ザカルパト・ウクライナ(ザカルパトスカヤ州)がチェコスロバキアから再統合され、また1954年にはクリミア地方がロシア共和国から譲渡された。 1980年代後半、ソ連においてペレストロイカ(改革)が進行するなかでウクライナは1990年7月16日に国家主権を宣言した。 そこには、ウクライナとソ連両市民権の保障、経済問題の決定権、ウクライナ語使用の推進、国内軍組織がうたわれている。 10月25日に開かれた民族派「ルーフ」の第2回大会では、独立ウクライナ国家の再生を目標とすることが決められた。 1991年3月の国民投票では連邦維持が多数を得て支持されたが、ソ連の八月クーデター後の8月24日に最高会議は国名をウクライナ・ソビエト社会主義共和国からウクライナに変え独立を宣言した。 クラフチュクは、ロシア大統領エリツィン、ベラルーシ最高会議議長シュシケビチStanislav S. 12月21日、カザフスタンのアルマ・アタ(現、アルマトイ)で旧ソビエト連邦構成共和国のうち、バルト三国とジョージア(グルジア)を除く11か国が独立国家共同体参加条約に調印し、ソ連邦は解体された。 [渡辺一夫・木村英亮] 政治1994年3~4月、独立後最初の最高会議選挙が行われ、共産党、社会党、農民党の左翼連合が圧勝し、ソ連からの完全独立を主張した「ルーフ」は敗れた。 また7月10日の大統領選挙決選投票では、ソ連最大の戦略ミサイル工場ユジマシの企業長から首相になった実務派で親ロシア派のクチマが、クラフチュクを破って勝った。 クチマは8月、政府と州議会を大統領直轄とし、経済改革の推進を図った。 最高会議はそれに反対し、行政機関も同調した。 1996年6月、最高会議は、その権限を強化した新憲法を採択した。 これによると、大統領の任期は5年、最高会議は一院制で450議席、首相は大統領が指名し、最高会議の3分の2以上の賛成で承認される。 1998年3月の最高会議選挙では共産党が第一党となった。 1999年11月の大統領選挙でクチマは再選され体制を強化。 2002年3月の最高会議選挙の結果、「統一ウクライナのために」(クチマ支持派の政党連合)と「我らのウクライナ」(反クチマ派の政党連合)が二大勢力となったが、その後「統一ウクライナのために」は分裂し、連立与党を形成した。 当初、ヤヌコビッチの勝利が伝えられたが、不正選挙疑惑が発覚、同12月再選挙が行われた。 その結果、ユシチェンコが当選、2005年1月大統領に就任した。 このときの不正選挙に対して行われた大規模抗議行動は、野党のシンボルカラーにちなみ「オレンジ革命」とよばれている。 2006年1月、大統領の権限縮小を骨子とする改正憲法が発効。 同年3月に実施された最高会議選挙では、ヤヌコビッチ率いる「ウクライナの地域」(地域党)が第一党となった。 ティモシェンコ率いる「ティモシェンコ連合」は第二党、ユシチェンコ率いる与党「我らのウクライナ」は大敗し第三党となった。 選挙後に「ウクライナの地域」「我らのウクライナ」、社会党、共産党の連立が成立し、ヤヌコビッチが首相についたが、すぐに「我らのウクライナ」はヤヌコビッチと対立し、連立を脱退した。 ユシチェンコとヤヌコビッチの対立はますます激しくなり、その決着をつけるため、2007年9月に最高会議選挙が行われた。 この選挙で「ウクライナの地域」は第一党となったが、ユシチェンコは第二党の「ティモシェンコ連合」と第三党の「我らウクライナ・国民自衛」の連立を選択、ティモシェンコがふたたび首相となった。 [渡辺一夫・木村英亮] ロシアとの関係ウクライナ情勢を理解するためには、この国が特徴をもついくつかの地域から構成されていることを知ることが必要である。 東部のドネツク(旧スターリノ)などのある地域はロシア人が多い。 その西のポルタバやキエフの地域は小ロシアとよばれ、コサックの自治国家があった地域である。 その西のドニエプル右岸地域はポーランド分割でロシア帝国に併合されたポーランド地主の多い地方であった。 その南のオデッサなどの地域はロシア人、ウクライナ人、ユダヤ人が植民した地域で、さらに北西にはポーランド分割でオーストリアに属していたガリツィアがあり、その南にはハンガリー領であった地域がある。 ウクライナでは西部地域は反ロシア感情が強い。 また、クリミア半島は戦前クリミア・タタール人の自治共和国があったが、1944年にクリミア・タタール人は中央アジアなどに追放され、その後自治共和国は解体された。 その後1991年にクリミア自治共和国となり、1992年に追放されていたタタール人の生残り40万人の半数が帰還した。 第二次世界大戦後の1954年にロシアからウクライナへ帰属替えされたが、そのためクリミアにはロシア人が多い。 ソ連解体後、戦術核はロシアに移送され、1994年1月、アメリカ、ロシア、ウクライナ、各首脳の核廃棄合意文書調印によって、ウクライナの核は7年以内に全廃されることになり、1994年12月にウクライナは核不拡散条約(NPT)に加盟した。 クリミア半島南西部にあるセバストポリは、ロシアがソ連時代から黒海艦隊の根拠地としており、ロシアとウクライナはソ連邦の解体時からこの帰属をめぐって対立していたが、1997年5月、両国は黒海艦隊分割などを定めた3協定に調印。 1999年3月ウクライナ最高会議によって同協定が批准された。 人口の7割をロシア人が占めるクリミアでは、以前から分離独立問題がおこっていて、1992年5月にウクライナからの独立条項を含む憲法が採択されたが、ウクライナの圧力で撤回された。 1994年1月にはクリミアで親ロシアのメシュコフ大統領が誕生、4月のクリミア最高会議選挙でウクライナからの独立派で親ロシア派の勢力が圧勝、5月20日に1992年制定の憲法を復活させた。 これに対してウクライナ議会は、ただちにその無効を決議し、1995年3月に「クリミア共和国大統領」の地位を廃止した。 なお1997年5月にロシアとの間で国境不可侵を含む友好協力条約に調印、クリミアのウクライナ帰属が確定した。 2007年10月、ロシアはウクライナに供給している天然ガスの値上げを通告、これを契機にウクライナとロシアの対立が激化した。 2009年1月にロシアはウクライナと、ウクライナ経由のヨーロッパ向け天然ガスの供給を一時停止したが、その後すぐに供給は再開された。 ウクライナはCIS諸国が1993年9月に結成した経済同盟には、トルクメニスタンとともに参加しなかったが、1994年4月には準加盟を決定した。 その後、ロシアを中心にユーラシア経済共同体が結成されたが、ウクライナは参加せず、ジョージア、アゼルバイジャン、モルドバとともにGUAM(民主主義・経済発展のための機構)を結成した。 さらに隣接諸国との関係強化にも努めている一方、北大西洋条約機構(NATO)への接近を図っている。 [渡辺一夫・木村英亮] 産業・経済 鉱工業ウクライナは多くの地下資源、先進的な重工業、豊かな農産の国として知られ、開発もかなり進んでいる。 国民経済面でとくに重要なのはドネツ州とドニエプル川沿いの地域で、この両者は複雑に結び付いて世界有数の工業地帯となっている。 これに大きな役割を果たすドニエプル川の開発も進み、キエフ、クレメンチュグ、カホフカ、ドニエプルなどのダム、閘門 こうもん 、発電所があり、ドニエプル・カスケードと称される電源地帯をなしている。 ドニエプルのダムはドニエプロゲスと略称され、1932年完成のアーチ式ダムである。 これらにより、ドニエプル川は、最上流部と最下流部を除けば、階段状に多くの湖が連続することになった。 東部のドネツ炭田は世界でも有数の採炭地で、ソ連時代には全ソ連の約3分の1を産出した。 瀝青炭 れきせいたん 、無煙炭が多く、品質もよい。 一方、中部には世界有数の規模のクリボイ・ログ鉄山があり、豊富な鉄鉱石を産する。 この両者の結び付きが、ウクライナの鉄鋼業の大規模な発展を可能にした。 鉄鉱石はクリボイ・ログを中心に、石油はカルパティア山脈東部で産出している。 天然ガスは豊富で、東部のハリコフ、北部のチェルニゴフなどの付近で生産している。 このほか、石膏 せっこう (北部ブコビナ)、カリ塩などの鉱物資源がある。 ドンバスとドニエプルの工業都市は、ドネツク、マケエフカ、ゴルロフカ、ザポロージエ、ドニエプロペトロフスク、ドニエプロジェルジンスクなどで、工業製品は工作機械、製鋼(ザポロージエなど)、特殊鋼、自動車(ザポロージエのコムナール工場など)、タービン、航空機、電子機器、窒素肥料など多岐にわたっている。 そのほか、国内に分散する工業都市は多く、キエフ(精密機器、小型カメラ)、ハリコフ(発電機、トラクター)、ルハンスク(世界有数規模の鉄道車両工場)、シンフェロポリ(テレビ)、リボフ(貨物自動車)などの各都市がある。 [渡辺一夫・木村英亮] 農業農業は、近郊野菜、近郊乳酪農、穀物、工芸作物から、粗放な乾燥地の放牧、移牧(クリム山脈)など、多くの形態がみられる。 国土総面積の約70%が農牧地で、農牧地面積の80%は播種 はしゅ 地、そのなかばが穀作地であり、ヨーロッパの穀倉としての役割を果たしている。 一般に秋まき小麦とトウモロコシが多く、ポレシエとカルパティア山脈地域ではライ麦、ソバ、ヒエ、黒海沿岸では灌漑 かんがい による水稲耕作が行われる。 工芸作物では、サトウダイコン(テンサイ)、ヒマワリ(種子の油を食用、工業用に利用)、亜麻 あま 、麻、ホップなどが多い。 [渡辺一夫・木村英亮] 独立後の経済事情ソ連では各構成共和国が分業により一定の産品を専門的に生産して全体を支える産業構造がとられていたが、独立後はこの分業体制の崩壊によって、原材料、部品等の供給の滞りが生じた。 これが全面的市場経済化政策に重なり、ロシアより激しい生産の減少とインフレの進行をもたらした。 とくに石油不足の打撃は大きい。 欧米諸国は1986年に大事故をおこしたチェルノブイリ原子力発電所の閉鎖を要求し、ウクライナ側はエネルギー不足を理由に拒んでいた。 しかし、先進7か国(G7)の経済支援により2000年12月、チェルノブイリ原子力発電所は全面閉鎖となった。 物価上昇でルーブルが不足したため1992年1月ルーブル通貨にかわるカルボバネツ・クーポンを導入し、11月にルーブル圏を離脱した。 1996年9月暫定的に使用していたカルボバネツ・クーポンにかえて、新通貨グリブナ(フリブナ)Hryvniaを導入した。 2000年以降は近隣諸国の経済回復などの影響もありプラス成長を続けたが、2008年夏以降、鉄鋼需要の頭打ちに加え、世界的な金融危機の影響で財政状況は悪化。 さらに鉄鋼産業やロシア向け輸出の落ち込みで2013年には経済成長率が0%となり、2014年には東部紛争の影響などによる打撃を受けて-6. 8%のマイナス成長となった。 同年の輸出総額は501億ドル、輸入総額は498億ドル。 主要輸出品目は鉄、非鉄金属、穀物、機械、輸入品目は石油、天然ガス、機械、電子機器。 おもな貿易相手国は輸出入ともにロシアが第1位で、以下、輸出ではトルコ、エジプト、輸入では中国、ドイツとなっている。 2008年に起きた世界的金融危機はウクライナにも重大な影響を及ぼし、通貨グリブナの為替レートが急落し、経済危機に陥った。 そのため、IMF(国際通貨基金)からの融資を受けた。 なお、2008年2月にWTO(世界貿易機関)に加盟している。 [渡辺一夫・木村英亮] 交通交通輸送体系は、穀物などの農産物、比較的重量の大きい固体燃料や重工業製品を輸送する必要から、著しく発達している。 鉄道総延長2万2473キロメートルで、9250キロメートルが電化されている(2004)。 このほかドンバス、ドニエプル相互間と黒海沿岸を結ぶ鉄道や自動車道路はよく発達し、ドニエプル川を主体とする水上交通がこれに加わって、交通はきわめて便利である。 黒海、アゾフ海沿岸の海港は、古くから石炭、穀物、工業製品の輸出で繁栄し、おもな港湾都市にオデッサ、マリウポリ、ケルチなどがある。 [渡辺一夫・木村英亮] 言語ウクライナ語は1989年11月の言語法によって国家語と規定され、初等・中等教育でもウクライナ語化が進んでいる。 キエフ大学では1992年に講義をすべてウクライナ語で行うこととし、5年間の猶予期間をおいて、できない教員は解任するとした。 宗教においてもウクライナ化が進み、ロシア正教へ統一させられていたウクライナ正教会と、1990年に復活した独立正教会が合同して1992年6月ウクライナ正教会を結成し、総主教にムスチスラフが就任した。 [渡辺一夫・木村英亮] 日本との関係1992年(平成4)1月に外交関係を樹立。 1993年1月在ウクライナ日本国大使館、1994年9月在日ウクライナ大使館が開館。 対日貿易は輸入が自動車、機械・装置類、電気電子機器など6億1000万ドル、輸出が穀物、鉄鉱石・スラグ、鉄鋼品など2億1000万ドル(2014)。 1995年3月にクチマ大統領、2005年7月にユシチェンコ大統領、2009年3月にティモシェンコ首相が来日。 ソ連解体後,ウクライナ共和国(首都キエフ)として分離 民族は東スラヴ人に属するをとする。 1917年のロシア革命でソヴィエト政権が成立したが,反革命軍と干渉軍の根拠地となり,国土は荒廃した。 1922年4つの社会主義共和国の1つとしてソ連を。 第二次世界大戦ではドイツ軍のを受けて国土は荒廃したが,戦後は五か年計画により復興した。 農業を主とするが,石炭・鉄も産出し,重化学工業が発達している。 1991年末,ロシア・ベラルーシ(白ロシア)とともに独立国家共同体(CIS)を結成し,ソ連を解体させた。 出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 世界大百科事典 内のウクライナ の言及 …クリミア遠征は摂政ソフィアのときにも側近の貴族ゴリーツィン公によって2度行われたが,いずれも失敗に終わり,これがソフィア政権の命とりになった。 [ウクライナへの進出] 西方との関係ではすでにイワン3世がバルト海への進出を考え,リボニアの騎士団に圧力を加えていたが,イワン4世がリボニア戦争を始め,これはロシアの強化を恐れるリトアニア・ポーランドとスウェーデンの参戦で敗戦に終わった。 こののちボリス・ゴドゥノフがスウェーデンから失地の一部を回復したが,続いておこったスムータでロシアは両国に広い領土を奪われ,完全に内陸に封じこまれた。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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ウクライナ語とロシア語はどの程度違うのか

ウクライナ 言語

欧州連合(EU)との貿易協定をめぐる議論に端を発した反政府デモは、親ロシアのヤヌコビッチ大統領の追放という事態に発展し、首都キエフに新政権が樹立された。 ウクライナはロシアと欧州の境界に位置する最大の国で、これまで双方の影響を強く受けてきた。 下の地図は、言語や大統領選の結果からみたウクライナの分断を示している。 言語 国民の7割は公用語のウクライナ語を話すが、ロシア語も広く使われている。 ロシア系住民が多数を占める東部や南部クリミア半島などでは、ロシア語が第一言語というケースが多い。 クリミア自治共和国の首都シンフェロポリでは2月27日、ウクライナ新政権の発足に対して激しい抗議デモが起きた。 クリミア半島はヤヌコビッチ前大統領の支持基盤で、南部セバストポリにはロシア軍の黒海艦隊が駐留している。 ウクライナという国が世界的に重要視される理由のひとつは、地理的条件にある。 米戦略国際問題研究所(CSIS)のロシア外交などに詳しいジェフェリー・マンコフ氏によると、欧州は現在、天然ガスの約4割をロシアに依存しているが、このうち半分がウクライナのパイプラインを通して供給される。 ウクライナ自体の依存度はさらに高く、ヤヌコビッチ政権はロシアから天然ガスの大幅値下げへの同意を取り付けていた。 しかしロシアはこれまでに何度か、ウクライナとの対立で供給を停止したことがある。 今回また供給が止まれば、企業や一般家庭の燃料費は高騰する恐れがある。 出典: National Gas Union of Ukraine.

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