ジョン ローン 現在。 男同士の異色愛『エム・バタフライ』 ジョン・ローン 女装の耽美

『ラスト・エンペラー』よりも孤独な人生を送る、ジョン・ローンの現在(2010/06/14 11:45)|サイゾーウーマン

ジョン ローン 現在

『さらば、わが愛~覇王別姫 原題:覇王別姫 』はチェン・カイコー 陳凱歌 監督最高の名作にして、レスリー・チャン 張国栄 の代表作でもあります。 1993年のカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞した、世界が認める名作であり、原作小説がある作品ですが、主人公の程蝶衣はまるで当て書きをしたようで、レスリー・チャン以外考えられないと思えるほどぴったり役にハマっていました。 しかし、程蝶衣の役は本来、ジョン・ローンが演じるはずだったらしいのです。 ネットで情報を探してみると、キャスティングには紆余曲折があったようで、ジョン・ローン以外の俳優の名前も挙がっていたようです。 結局、無事レスリー・チャンに落ち着くまでの経過をご紹介しましょう。 『さらば、わが愛~覇王別姫』キャスティングの成り行き 当初はやはりレスリー=蝶衣だった! 1991年5月16日 レスリー・チャンがウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼 原題:阿飛正伝』の演技で香港電影金像賞主演男優賞を受賞した際の記者会見で、現在何作かの映画のオファーを受けて交渉中であり、『覇王別姫』に出演する可能性が高いと発言。 当時、レスリーはバンクーバーに住んでいたので、チェン監督はバンクーバーまで行ってレスリーと話すつもりだったけれど連絡がつかず、5月25日に会って話すことになっていると公表。 映画では張豊毅が演じた段小楼は、当時、ジャッキー・チェン 成龍 を考えていたそうですがギャラが高すぎて、ジアン・ウェン 姜文 をという話になっていたようです。 1991年6月頃 レスリーとチェン監督が会って蝶衣の役はレスリーにほぼ決定し、1992年2月から撮影に入ると制作会社のトムソン・フィルムズと口頭で話が決まっていたとのこと。 それまでに北京語や京劇、北京の生活習慣などを身につけなければいけません。 1989年に歌手引退宣言をしてから、カナダに居を移していたレスリーはカナダで大学にいこうとしていた計画をひとまず見送って撮影に専念するつもりでいました。 この時、段小楼のキャストはまだ決定してはいませんでした。 ジョン・ローンが蝶衣のキャストに自分を推薦 1991年10月 蝶衣のキャストはレスリーに決定したものの、撮影期間の問題で合意が得られず正式な契約を交わすには至っていませんでした。 レスリーは撮影期間を4か月と限定し、それを契約書に盛り込むことを要求していましたが、チェン監督は撮影に期間の制約があることを嫌い、契約書に期間を盛り込むことを渋っていたようです。 この時、ジョン・ローンがチャン監督とトムソン・フィルムズの董事長・徐楓女史に、蝶衣の役をやりたいという意向を表明。 しかし、チャン監督はジョン・ローンによるキャスティングをいいとは思っていなかったようです。 段小楼のキャストに関してはチェン監督自信が演じたいという意思があったようですが、徐女史は同意せず、台湾の俳優ウー・クォ・チュ 呉興国 を強く推していました。 1991年11月11日 レスリーがカナダから香港に戻り、レイモンド・ウォン 黄百鳴 監督と『ハッピー・ブラザー 原題:家有囍事 』の脚本について相談、また『藍江傳之反飛組風雲』に出演する契約を締結。 スケジュールが動かせないため、ここで正式に『さらば、わが愛~覇王別姫』の出演を辞退。 レスリーがスケジュールにこだわっていたのはアメリカの映画会社から出演オファーが来ていたため、それ以前に取り終えたいと思っていたようです。 これによって繰り上げ式にジョン・ローンが150万ドルの出演料で『さらば、わが愛~覇王別姫』に出演することに、ほぼ決定。 徐女史はレスリーがスケジュールの問題で折り合わず出演を辞退したことを非常に残念に思っていました。 ちなみにジョン・ローンがアメリカやフランスの映画会社のオファーを断ってまで出演したいと思ったのは、チェン監督と仕事がしたいと思っていたため。 この頃、アジア太平洋映画祭で顔を合わせたジョン・ローンと顔を合わせた際に、レスリーは彼と握手して「楽しみにしています」と発言。 しかし、製作側はレスリーに未練 1991年12月18日 「ジョン・ローンは要求が多すぎる」として徐女史もチェン監督もこのキャスティングに不満を表明。 1991年12月21日 レスリーが京劇の外題『奇双会』に登場する青衣 女形の一種 の扮装で香港の月刊誌『号外』に登場。 これに関してレスリーは「やはり程蝶衣がやりたい」という意思表示であることを否定。 ジョン・ローンの契約に問題が生じていることに関しては、「他人の問題にとやかく言うつもりはない」と。 しかし、レスリーは台湾から「号外」で撮影した1枚をチャン監督に送っています。 「一緒に仕事はしなくても友人である」という意思表明だったとのことですが、この状況ではアピールと思われても 1991年12月26日 徐女史は初めから蝶衣にはレスリーがいいと思っていたようですが、話がまとまらなかったため、またジョン・ローンも非常に誠意とやる気を見せていたため、彼と話を進めることになったわけです。 しかし当初は国際電話で交渉を進めていて、ハンサムなイメージと、京劇の素養があることから、まずまず適任だろうと思っていたようですが、直接会って交渉していたわけではありませんでした。 ほぼジョン・ローンで決まった頃、徐女史はアジア太平洋映画祭でレスリーとジョン・ローンの2人と同時に会ってがく然、「しまった、間違えた!」と非常に後悔し、悔しくて何日も眠れなかったとのこと。 その後、具体的な契約内容を書いたファックスがジョン・ローンの弁護士から届くと、その第三条を見た徐女史はジョン・ローンとは契約しないと決めたとか。 結局レスリーに決まって大団円! 1992年2月 レスリーが正式にトムソン・フィルムズと『さらば、わが愛~覇王別姫』の出演契約を締結。 レスリーによれば、この作品に対する情熱はすでに冷めていたものの、チェン監督がわざわざ北京から2度も彼を訪ねてきた情にほだされたようです。 「二顧の礼」ですね。 すでにレイモンド・ウォンの作品への出演を契約しちゃっていなのですが、レイモンド・ウォンも彼の『さらば、わが愛~覇王別姫』出演を支持し、自分の作品の時期を遅らせてくれました。 こうしてレスリーによる程蝶衣が実現したわけです。 参考サイト: 犬のせいで契約がご破算に? さて、ジョン・ローンの弁護士が送ってきた契約内容の第三条というのが気になるところです。 当時のジョン・ローンは1985年に『イヤー・オブ・ドラゴン』で注目を集め、1987年『ラストエンペラー』で確実に世界的な大スターの座に着き、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。 その彼が要求した第三条とは「愛犬も一緒にファーストクラスで移動させること。 またジョン・ローンと一緒に人用のゲートで入国させること」だったと言われています。 ネット上では「犬のために大作を逃した」「大物風吹かして監督とプロデューサーを怒らせた」というような書き方もされていますが、神経質そうで、こだわりも強そうなので、譲れない条件だったのでろうという気がします。 それに完成した作品を観たら、ジョン・ローンも「これは、やはりレスリー・チャンが演じるべき役だった」と思ったのではないでしょうか。 ベッカムやレディ・ガガなどが飛行機で移動する際は愛犬もファーストクラスだと聞きますが、当時の中国映画界では度肝を抜かれたのでしょう。 しかし、こうしてみると名作が世に出るのはやはり一種の奇跡だと思わざるを得ませんね。

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男同士の異色愛『エム・バタフライ』 ジョン・ローン 女装の耽美

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パタっと見なくなったけど、やっぱり気になる~!! 青年期から老年期まで主人公の溥儀を見事に演じ、ゴールデン・グローブ男優賞にノミネートされたのが、ジョン・ローンです。 カンフー/アクション俳優ではなく、演技派俳優としてハリウッドで認められたジョンは、丹精な顔立ちと華麗な身のこなしで、多くの女性ファンを獲得。 これまでにないアジア系俳優としてブレイクしました。 すでに『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(1985)で知名度を得ていたジョンは、『ラスト・エンペラー』の大ヒット後、ハリウッドだけでなく、香港の映画プロダクションからもオファーが殺到。 日本でもサントリー・ウィスキーやロレックスのCMに登場しました。 どんな小さな仕事でも、時間をじっくりかけて検討したというジョンは、スローペースで仕事をこなすようになります。 映画出演もギャラではなく、脚本の内容で判断したジョンは、『上海1920 あの日みた夢のために』(1992)で貧民街の孤児として育った闇社会の男を熱演。 悲恋物語『エム・バタフライ』(1993)では、エレガントな身のこなしでフランス人外交官を惑わせ、服を着たまま艶やかなセックスをする京劇女優を見事に演じ、高い評価を得ました。 『ラッシュ・アワー2』(2001)で再びハリウッド映画にカムバックするまでは香港映画などに出演していましたが、その後、中国テレビ界に将来性を見出し、活動の場を中国本土に求めるようになります。

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ジョン・ローンについて

ジョン ローン 現在

日本を訪れたアメリカ人ビジネスマンが謎の忍者集団と対決する異色アクション。 名古屋はじめ彦根城ほか日本各地のロケ撮影とそれを再現したセットのほか、新幹線内の大立ち回り、各所にみられる監督がファンだという邦画時代劇へのオマージュの数々(劇中のTVで流れる「眠狂四郎女妖剣」の一場面や、「座頭市」、「七人の侍」など)などがみもの。 監督は「プリティ・リーグ」「沈黙の戦艦」の脚本を手掛け、本作が監督デビューとなるJ・F・ロートン。 製作はジョン・デイヴィス、ゲイリー・W・ゴールドスタイン、脚本はロートン自身、エグゼクティヴ・プロデューサーはウィリアム・フェイ、撮影はジャック・コンロイ、音楽はヤマグチ・モトフミのスコアを鼓童が演奏、美術はフィル・ダゴート、編集はロバート・A・フェレッティ、エリック・ストランド、衣装はリタ・リッグスがそれぞれ担当。 出演は「ハイランダー3」のクリストファー・ランバート、「ラストエンペラー」で皇帝夫妻役で共演した「シャドー」のジョン・ローンと「ジャッジ・ドレッド」のジョアン・チェンに加え、日本からは原田芳雄、島田陽子、夏木マリ、岡田真澄らが顔をそろえている。 監督 出演キャスト 1928年にパルプ雑誌『フェーム&フォーチュン』誌に名前のないキャラクターとして登場し、翌年からはラジオ番組が放映開始、以来、演劇やコミックにも取り上げられ熱狂的な支持を得てきたアメリカの伝説的なヒーロー『シャドー』の物語を映画化した、ダーク・ファンタジー調のヒーロー活劇。 独自の映像美学を発揮した監督は「ブロンディー 女銀行強盗」のラッセル・マルケイ。 脚本は「カリートの道」のデイヴィッド・コープ。 製作も同作のマーティン・ブレグマン、ウィリー・ベアー、マイケル・S・ブレグマンの共同。 撮影は「ホッファ」のスティーブン・H・ブラム、音楽は巨匠ジェリー・ゴールドスミス。 美術は「ターミネーター2」のジョゼフ・ネメック3世・世、SFXを「ミクロキッズ」のアリソン・サヴィッチ、特殊メイクを「アルタード・ステーツ 未知への挑戦」のカール・フラートンが担当。 主演は「冷たい月を抱く女」のアレック・ボールドウィン、「M(エム)バタフライ」のジョン・ローン、「カリートの道」のペネロープ・アン・ミラー。 監督 出演キャスト フランスの外交官とその中国人の愛人の数奇な恋を、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』になぞらえて描いた異色のラブ・ストーリー。 ブロードウエイでトニー賞に輝き、世界30カ国以上で上演されたデイヴィッド・へンリー・ホァングの戯曲(実話に基づく)を彼自身が脚色、「裸のランチ」のデイヴィッド・クローネンバーグの監督で映画化。 製作はガブリエラ・マーティネリ、エグゼクティヴ・プロデユーサーは、原作者とフィリップ・サンド・ハウスの共同。 撮影は「戦慄の絆」のピーター・サシツキー、音楽は「ザ・ブルード」以来、監督と7作目のコンビとなるハワード・ショア。 美術は『ファイヤーボール』(V)以後の監督の全作品を担当しているキャロル・スピアー。 編集のロナルド・サンダースと衣装のデニーズ・クローネンバーグも監督の作品の常連。 主演は「戦慄の絆」「ダメージ」のジェレミー・アイアンズと「ラストエンペラー」「チャイナシャドー」のジョン・ローン。 共演は「シシリアン」のバーバラ・スコヴァ、「遠い夜明け」のイアン・リチャードソンほか。 監督 出演キャスト.

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