ストーン原野。 【スケープシフト】MTGAデッキ紹介

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ストーン原野

巨石文化 ウェールズ 英国 ウェールズ の古代巨石文化 Megalithic Stones in Wales 同じ英国でありながら、ウェ ールズには独特のイメージが存 在する。 それは、アングロ・サクソン によってケルト(ブリトン)人 達が追いやられた辺境の地とし てのものだろう。 アーサー王伝説を筆頭に、多 くの民話や神話が伝えられてお り、それは深い霧に包まれた神 秘的なイメージでもある。 ストーンヘンジに使われたブ ルーストーンは、ウェールズか ら運ばれたとされている。 2007年の初夏、フィッシ ュガードとバンゴールに各3泊 づつしながら、古代の巨石遺跡 を中心に原野を歩き回った。 ウェールズ地名の読みは至難 であり、誤記はご容赦の程を。 国境から4マイル地点を 北へ右折すると、このサークルが 牧場の草原の塀沿いに見える。 その名の通り、四基の立石によ って構成された Circle である。 四石はストーン・サークルの最 小のユニットと考えられるが、円 形のマウンド上に立っているので サークルをイメージするのは容易 である。 石は丸いが重量感があり、どっ しりと座った感が強い。 しかし、 天に向かって鋭く延びた石が多く 使われたメンヒルとは違い、やは りサークルでは円を構築すること に意義があったのだろうと思う。 見応えのあるサークルである。 牧草地のような一区画で、三基の 巨石が一列に並んでいる。 一番背の 高い左側の石の高さは4. 5m強で、 三基共微妙に左右に傾斜している。 建造された紀元前三千五百年から 傾いていたとは思えないが、石は傾 斜することで不均衡な緊迫感を生み、 新たな表現力を示すものである。 当時の人々が、そうした遊び心の ような表現力を発揮していたのだっ たら凄いのだが、と勝手な想像を膨 らませていた。 ウェールズでは数箇所の列石を見 たがいずれもやや傾いており、その 意味からも大いに楽しめたのだった。 Harold とは後世のサクソン王の名 だそうで、古代巨石とは直接の関係 は無い。 ドルメンはその町外れの、道沿い から少し小高くなった牧草地の中に 残されていた。 板状の石三枚を「コ」の字型に組 み合わせ、その上にキャップストー ンを載せた最も素朴なドルメンだ。 一方のみが開いているということ は、ここが入口であり、内部は石室 ともいうべき空間であるのだろう。 人ひとりがようやく入れる程の大 きさであり、儀式を行ったり、墳墓 として埋葬を行うには狭すぎる。 大都市近郊とは思えぬほど牧歌的 な風光であり、現実から通じる説話 の世界の入口に立っているような錯 覚を感じていたのだった。 車を停めた場所からは、草原の中 を少し歩かねばならない。 案内表示 が完備しているので、ほとんど迷う ことはなかった。 最も驚くべきは、何と言っても天 井石の大きさだろう。 横幅は8m以 上ありそうだ。 奥行きは約3m程度 である。 残念なのは、そのキャップストー ンが途中でへし折れてしまったため に、近年になって支柱が後補されて いることだろう。 両端の柱だけで支 えられていた当初は、スパンの大き な迫力に満ちた構造だった筈である。 地図には Long Cairn とあり、こ のドルメンを指すのか、周辺全体が ケルンだったのかは判らなかった。 半島の中心とも言えるこの丘から は、周辺の美しい牧草地や遠くの入 り江までが展望出来る。 アーサー王の石と命名されたこの 石は、かつて石室だった構造がドル メン状に残ったものである。 この大石はドルメンのキャップス トーンであり、25トンもある石英 の巨石だそうだ。 石室は新石器時代のものであり、 周辺には小石を積み上げたケルンも 残っている。 車を停められるスペースから、原 野を片道30分は歩かなければなら ない。 右側の尖った石の先端の一点と、左 側に並ぶ四石の内の二石の先端、つま り尖った石の先端三点だけで、長さ5 mもあるキャップストーンを支えてい るのだ。 この重量感を感じさせない軽やかさ が、英国一美しいドルメンと言われる 由縁かもしれない。 従来は土に覆われた石室墳墓であっ たそうで、当初からこのイメージを想 定して構築されたものではなかったと いう話は、ドルメン非墳墓説に傾斜し ている小生にとっては甚だ遺憾で残念 な気がする。 この地はストーンヘンジのブルース トーンの故郷であるプリセリ山地に繋 がる丘陵で、このドルメンも同質の石 が使用されている。 このドルメンは、紀元前三千年前か ら造られ始めたとされるストーンヘン ジより、さらに五百年も前に構築され たと言われる。 深い森に囲まれた谷間の一件宿で、ウェールズ の森の妖精達に囲まれて、思索に満ちた時間を持 つことが出来た。 この宿のある Gellifawr を中心にして、一基ま たは二基の立石が数箇所あるそうだったが、写真 の立石は、夕食前の散歩に相応しい距離に在った ものである。 傾斜した牧草地の中に立っていたが、道路から は近かったので容易に見つけることが出来た。 玄武岩の柱状節理のような方形の断面を持つ石 で、この近くの山で採れたものと考えられる。 高さ2mで大それた石ではないが、地中に埋ま っている部分も併せれば、人間が簡単に動かせる 範囲の石では決してなく、やはり何のためにわざ わざ重い石を立てたのか、というミステリアスな 謎が石の背後に潜んでいる。 ここは前記のプリセリー山 Mynydd Preseli に最も近いので、ストーンヘンジに運ばれた花崗 岩であるかもしれない。 この山麓に多くの立石やドルメンが存在するの は地理的な条件からも当然だが、遥か Wiltshire のストーンヘンジまで、何故に、どういう手段で 運んだのだろうか、という根源的な謎がいつもの ように浮かんでくるのだった。 こうした巨石によって構築された遺 跡の不思議さと、アーサー王伝説の中 の巨人たる王の大きさとが結びついた 結果の言い伝えなのだろう。 キャップストーン(天井石)の重量 感に比べ、四個の支石が華奢なので、 安定感の無い危うさがとてもスリリン グな印象を与えている。 この構造を見る限り、決して居座り の良さを求めてはおらず、むしろ今に も崩れそうな緊迫感を楽しんでいるか のようにも見える。 どのような信仰や美意識、いかなる 工法や儀式が介在していたのだろうか を想うと何ともミステリアスで、実は 何も解ってはいないことに気付かされ るのである。 そこから 2 Km ばかり東に行くと、牧畜の盛ん なこの村に着く。 この遺跡は村外れの牧草地の中に 保存されており、周辺には牛が放牧 されていた。 現地案内には Chambered Long Cairn と表示されていたので、現 状は立石壁で仕切られた溝のようだ が、両側の支石列の上に屋根石が載 っていたはずである。 周囲の土を取り除けば、部屋状の 空間が幾つか繋がったドルメンとい うことになる。 チェスターに流れるデー川の 上流に沿った地方道から、東の Berwyn 山地へと登って行く。 牧場の入口で車を停め、そこ から牧草地の急斜面を約40分 ほど登ると、見事なサークルの 残る台地に出る。 実に見晴らしの良い場所(こ のページTOPの写真参照)で、 急斜面を歩く労苦を忘れさせて くれる。 石はやや小振りだが、完全な サークルが残っているのが嬉し い。 辺鄙な場所にしか造られな かったのではなく、辺鄙な場所 のものしか残っていない、と言 う方が正しいかも知れない。 この日は晴れたが、もう一つ のサークルである Druid's を予 定した日は凄まじい荒天で、登 山を断念したのが悔やまれる。 草に覆われた丸い丘状のマ ウンドは、日本の円墳にも似 た形状で、横穴式のドルメン を覆っているのである。 並行に立てた列石の上に屋 根石を乗せ、通路状の空間を 造り、その上に石または土が 載せられたものである。 別名 Passage Grave (通 路式墳墓)と呼ばれることも ある。 ケルンの周辺に石が置かれ ているが、土留めの意味もあ り、形状は必然的に円形のサ ークルとなる。 こうしたサー クルは Cairn Circle と呼ば れ英国中で多く見られる。 ドルメンの入口の石積みが整 備されていて面白くないので、 Chamber の内部の写真を掲載 したいと思う。 しかし、内部の天井も側壁も 近年再築されており、その内部 に従来のドルメンの石の一部が 保存されていたのだった。 薄い板状の片岩が用いられて いるのは、壁と天井を構築する のに適しているからであろう。 前掲のものと併せ、この類の ケルンの特徴は、円形の丘とそ の内部に設けられた横穴式の部 屋(通路)にあるだろう。 円形の丘のイメージはサーク ルに繋がるし、横穴はドルメン そのものである。 古代の墳墓で あったとは、容易に結論付けら れないのではないだろうか。 地元の地図には墳墓式石室を 意味する Burial Chamber と 記されているが、周辺の状況か らも、石のみで構築されたモニ ュメントであったと考えたい。 残念ながら半分が崩落してし まっているが、キャップ・スト ーンが厚目の巨石であることか ら、重量感に満ちた従前の姿が 想像される。 このアングルシー島は古代巨 石遺跡の密集地で、こうした遺 跡だけでも30箇所もあると言 われているそうだ。 広い草原の中に在って、道路から眺めると然 程の大きさは感じられなかったが、近づいてみ ると 3m 近くはある迫力に満ちた巨石だった。 英国の立石 Standing Stone にもブルター ニュのメンヒル Menhir にも共通しているこ とは、細長く先端が鋭い石を使用していること である。 そこからイメージされるのは、やはり 天空に向かって延びていく力を示していること だろう。 古代青銅器時代の宗教観など想像もつかない が、神という認識に近い、何らかの強烈な力の 存在を自然の中に感じていたことは間違いない だろう。 人間の力を遥かに超越した見えざる存 在に対する畏敬の念、またそれを崇め祀る装置 として、こうした巨石を用いた構築物が出現し たのだろう、とまあ、毎度この程度のコメント しか出来ない想像力の欠如を嘆いている。 この貧弱な思考力を無視するかのように、メ ンヒルは泰然と立ち続けているだけだった。 鋭く尖った石のほうは、立石として相応しい 風貌をしているのだが、左の方形の石はメンヒ ルらしからぬ姿と言えるだろう。 二つの石に関連があるのかどうかは判らない が、あるとすればバランス感覚にも似た美意識 が古代にも存在していたことになる。 フランスのブルターニュや英国のスコットラ ンドでも感じたことだが、無数と言ってもよい ほどのかくも夥しい数の巨石を、何故に立て、 並べ、組み上げたのか、については想像のかけ らもつかめない。 かなりの数の遺跡に自分の足 で実際に立ってみても、古代人からのメッセー ジは聞こえてこないのである。 天文台にしては、余りに膨大過ぎ る構造であり、規模も数量も常軌を逸している からなのである。 その 西北端に、さらに Holy 島という小島が在り、先 端の港町 Holyhead からはアイルランド行きの フェリーが就航している。 ウェールズの本土から は、橋を渡って国道A5号や高速A55号線で直 行することが出来る。 この不思議な二基の立石は、ホーリー島の西端 から少し丘陵を登った辺りの、広い牧草地の中に すっくと立っている。 石の高さは3mくらいだろうが、他に立石も倒 石も全く無いことから、当初からメンヒル状の二 基が立っていたものと思われる。 二基の巨石は丸で門の柱のようにも見えるし、 また並んだ方向に何らかの意味があるのかもしれ ない。 アイリッシュ海から吹きつける烈風の中、荒涼 とした風景の中に茫洋とした風情で立ち尽くす扁 平な二基の石。 石の材質も魅力的であり、立って いる姿が実に良い。 このアングルシー島には、石室・ドルメン・メ ンヒルなどの、石器時代から青銅器時代にかけて の巨石遺跡が高い密度で分布している。 しばらく行った牧草地の中に、この 純朴なドルメンがどっしりと座ってい るのが見えた。 分厚いキャップストーンを三基の無 骨な石で支えており、残念ながらもう 一基は補修用の人工柱だった。 ペントレ・アイバンのドルメンのよ うな研ぎ澄まされた鮮烈な印象とは対 極の、何とも不細工で重々しい印象を 受ける。 しかし、それがかえって、朴訥とし た人々が何らかの祈りを込めて造り上 げた純粋な精神を物語っているかのよ うにも見えてくる。 ほとんどのドルメンにおいて、重量 感のある象徴的な石がキャップストー ンとして用いられており、あたかもこ の巨石を天に向かって捧げているよう にも見える。 青銅器時代の人々はもしかしたら、 この巨石を敬って祀ることにより、見 えざる大きな力に対して奉献している のかもしれない。 この辺りには古代のメンヒルや ケルンが信じられないほどの密度 で分布しており、案内の標識など は一切無い。 地図の位置を見極め て、磁石の方角を頼りにしながら 牧草地を抜けていくのである。 ここの立石群は、とても珍しい。 三基の扁平な立石が、中心に対 して正面を向け、それぞれが正三 角形の頂点に立っているのである。 四石のサークルは最も単純な環 状とされるのだが、三石のサーク ルだったのだろうか。 いや、やはり正三角形にこそ意 味があった、と考えるほうが自然 だろう。 そしてここでも、見る方向によ って全く異なる表情を示す扁平な 石の潜在的な魅力を、古代の人々 が知っていたであろうことが伝わ ってくるのである。 観光地である世 界一長い名前の駅から、南西へ少し行 った牧草地の中に、鉄柵に囲まれて保 護されている。 キャップストーンが扁平な三角錐の 形をしており、離れて眺めたシルエッ トはまるで、昔映画で観た宇宙人の姿 に似ていた。 キャップストーンを支える支石は、 三石がコの字型に組まれた基本形であ る。 開口部には扉のような留石が置か れており、内部の空間が格別の場所で あることを象徴しているように見える。 ここの看板にも Burial Chamber と書かれているので、公式にも埋葬用 の墓を想定しているのだろうが、どう しても小生にはドルメンを古代の墓と する考えが持てない。 墓にしては個々の巨石の規模が荘厳 すぎるし、かと言って権威のある人の 墓にしては数が多すぎるのである。

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巨石文化 ウェールズ 英国 ウェールズ の古代巨石文化 Megalithic Stones in Wales 同じ英国でありながら、ウェ ールズには独特のイメージが存 在する。 それは、アングロ・サクソン によってケルト(ブリトン)人 達が追いやられた辺境の地とし てのものだろう。 アーサー王伝説を筆頭に、多 くの民話や神話が伝えられてお り、それは深い霧に包まれた神 秘的なイメージでもある。 ストーンヘンジに使われたブ ルーストーンは、ウェールズか ら運ばれたとされている。 2007年の初夏、フィッシ ュガードとバンゴールに各3泊 づつしながら、古代の巨石遺跡 を中心に原野を歩き回った。 ウェールズ地名の読みは至難 であり、誤記はご容赦の程を。 国境から4マイル地点を 北へ右折すると、このサークルが 牧場の草原の塀沿いに見える。 その名の通り、四基の立石によ って構成された Circle である。 四石はストーン・サークルの最 小のユニットと考えられるが、円 形のマウンド上に立っているので サークルをイメージするのは容易 である。 石は丸いが重量感があり、どっ しりと座った感が強い。 しかし、 天に向かって鋭く延びた石が多く 使われたメンヒルとは違い、やは りサークルでは円を構築すること に意義があったのだろうと思う。 見応えのあるサークルである。 牧草地のような一区画で、三基の 巨石が一列に並んでいる。 一番背の 高い左側の石の高さは4. 5m強で、 三基共微妙に左右に傾斜している。 建造された紀元前三千五百年から 傾いていたとは思えないが、石は傾 斜することで不均衡な緊迫感を生み、 新たな表現力を示すものである。 当時の人々が、そうした遊び心の ような表現力を発揮していたのだっ たら凄いのだが、と勝手な想像を膨 らませていた。 ウェールズでは数箇所の列石を見 たがいずれもやや傾いており、その 意味からも大いに楽しめたのだった。 Harold とは後世のサクソン王の名 だそうで、古代巨石とは直接の関係 は無い。 ドルメンはその町外れの、道沿い から少し小高くなった牧草地の中に 残されていた。 板状の石三枚を「コ」の字型に組 み合わせ、その上にキャップストー ンを載せた最も素朴なドルメンだ。 一方のみが開いているということ は、ここが入口であり、内部は石室 ともいうべき空間であるのだろう。 人ひとりがようやく入れる程の大 きさであり、儀式を行ったり、墳墓 として埋葬を行うには狭すぎる。 大都市近郊とは思えぬほど牧歌的 な風光であり、現実から通じる説話 の世界の入口に立っているような錯 覚を感じていたのだった。 車を停めた場所からは、草原の中 を少し歩かねばならない。 案内表示 が完備しているので、ほとんど迷う ことはなかった。 最も驚くべきは、何と言っても天 井石の大きさだろう。 横幅は8m以 上ありそうだ。 奥行きは約3m程度 である。 残念なのは、そのキャップストー ンが途中でへし折れてしまったため に、近年になって支柱が後補されて いることだろう。 両端の柱だけで支 えられていた当初は、スパンの大き な迫力に満ちた構造だった筈である。 地図には Long Cairn とあり、こ のドルメンを指すのか、周辺全体が ケルンだったのかは判らなかった。 半島の中心とも言えるこの丘から は、周辺の美しい牧草地や遠くの入 り江までが展望出来る。 アーサー王の石と命名されたこの 石は、かつて石室だった構造がドル メン状に残ったものである。 この大石はドルメンのキャップス トーンであり、25トンもある石英 の巨石だそうだ。 石室は新石器時代のものであり、 周辺には小石を積み上げたケルンも 残っている。 車を停められるスペースから、原 野を片道30分は歩かなければなら ない。 右側の尖った石の先端の一点と、左 側に並ぶ四石の内の二石の先端、つま り尖った石の先端三点だけで、長さ5 mもあるキャップストーンを支えてい るのだ。 この重量感を感じさせない軽やかさ が、英国一美しいドルメンと言われる 由縁かもしれない。 従来は土に覆われた石室墳墓であっ たそうで、当初からこのイメージを想 定して構築されたものではなかったと いう話は、ドルメン非墳墓説に傾斜し ている小生にとっては甚だ遺憾で残念 な気がする。 この地はストーンヘンジのブルース トーンの故郷であるプリセリ山地に繋 がる丘陵で、このドルメンも同質の石 が使用されている。 このドルメンは、紀元前三千年前か ら造られ始めたとされるストーンヘン ジより、さらに五百年も前に構築され たと言われる。 深い森に囲まれた谷間の一件宿で、ウェールズ の森の妖精達に囲まれて、思索に満ちた時間を持 つことが出来た。 この宿のある Gellifawr を中心にして、一基ま たは二基の立石が数箇所あるそうだったが、写真 の立石は、夕食前の散歩に相応しい距離に在った ものである。 傾斜した牧草地の中に立っていたが、道路から は近かったので容易に見つけることが出来た。 玄武岩の柱状節理のような方形の断面を持つ石 で、この近くの山で採れたものと考えられる。 高さ2mで大それた石ではないが、地中に埋ま っている部分も併せれば、人間が簡単に動かせる 範囲の石では決してなく、やはり何のためにわざ わざ重い石を立てたのか、というミステリアスな 謎が石の背後に潜んでいる。 ここは前記のプリセリー山 Mynydd Preseli に最も近いので、ストーンヘンジに運ばれた花崗 岩であるかもしれない。 この山麓に多くの立石やドルメンが存在するの は地理的な条件からも当然だが、遥か Wiltshire のストーンヘンジまで、何故に、どういう手段で 運んだのだろうか、という根源的な謎がいつもの ように浮かんでくるのだった。 こうした巨石によって構築された遺 跡の不思議さと、アーサー王伝説の中 の巨人たる王の大きさとが結びついた 結果の言い伝えなのだろう。 キャップストーン(天井石)の重量 感に比べ、四個の支石が華奢なので、 安定感の無い危うさがとてもスリリン グな印象を与えている。 この構造を見る限り、決して居座り の良さを求めてはおらず、むしろ今に も崩れそうな緊迫感を楽しんでいるか のようにも見える。 どのような信仰や美意識、いかなる 工法や儀式が介在していたのだろうか を想うと何ともミステリアスで、実は 何も解ってはいないことに気付かされ るのである。 そこから 2 Km ばかり東に行くと、牧畜の盛ん なこの村に着く。 この遺跡は村外れの牧草地の中に 保存されており、周辺には牛が放牧 されていた。 現地案内には Chambered Long Cairn と表示されていたので、現 状は立石壁で仕切られた溝のようだ が、両側の支石列の上に屋根石が載 っていたはずである。 周囲の土を取り除けば、部屋状の 空間が幾つか繋がったドルメンとい うことになる。 チェスターに流れるデー川の 上流に沿った地方道から、東の Berwyn 山地へと登って行く。 牧場の入口で車を停め、そこ から牧草地の急斜面を約40分 ほど登ると、見事なサークルの 残る台地に出る。 実に見晴らしの良い場所(こ のページTOPの写真参照)で、 急斜面を歩く労苦を忘れさせて くれる。 石はやや小振りだが、完全な サークルが残っているのが嬉し い。 辺鄙な場所にしか造られな かったのではなく、辺鄙な場所 のものしか残っていない、と言 う方が正しいかも知れない。 この日は晴れたが、もう一つ のサークルである Druid's を予 定した日は凄まじい荒天で、登 山を断念したのが悔やまれる。 草に覆われた丸い丘状のマ ウンドは、日本の円墳にも似 た形状で、横穴式のドルメン を覆っているのである。 並行に立てた列石の上に屋 根石を乗せ、通路状の空間を 造り、その上に石または土が 載せられたものである。 別名 Passage Grave (通 路式墳墓)と呼ばれることも ある。 ケルンの周辺に石が置かれ ているが、土留めの意味もあ り、形状は必然的に円形のサ ークルとなる。 こうしたサー クルは Cairn Circle と呼ば れ英国中で多く見られる。 ドルメンの入口の石積みが整 備されていて面白くないので、 Chamber の内部の写真を掲載 したいと思う。 しかし、内部の天井も側壁も 近年再築されており、その内部 に従来のドルメンの石の一部が 保存されていたのだった。 薄い板状の片岩が用いられて いるのは、壁と天井を構築する のに適しているからであろう。 前掲のものと併せ、この類の ケルンの特徴は、円形の丘とそ の内部に設けられた横穴式の部 屋(通路)にあるだろう。 円形の丘のイメージはサーク ルに繋がるし、横穴はドルメン そのものである。 古代の墳墓で あったとは、容易に結論付けら れないのではないだろうか。 地元の地図には墳墓式石室を 意味する Burial Chamber と 記されているが、周辺の状況か らも、石のみで構築されたモニ ュメントであったと考えたい。 残念ながら半分が崩落してし まっているが、キャップ・スト ーンが厚目の巨石であることか ら、重量感に満ちた従前の姿が 想像される。 このアングルシー島は古代巨 石遺跡の密集地で、こうした遺 跡だけでも30箇所もあると言 われているそうだ。 広い草原の中に在って、道路から眺めると然 程の大きさは感じられなかったが、近づいてみ ると 3m 近くはある迫力に満ちた巨石だった。 英国の立石 Standing Stone にもブルター ニュのメンヒル Menhir にも共通しているこ とは、細長く先端が鋭い石を使用していること である。 そこからイメージされるのは、やはり 天空に向かって延びていく力を示していること だろう。 古代青銅器時代の宗教観など想像もつかない が、神という認識に近い、何らかの強烈な力の 存在を自然の中に感じていたことは間違いない だろう。 人間の力を遥かに超越した見えざる存 在に対する畏敬の念、またそれを崇め祀る装置 として、こうした巨石を用いた構築物が出現し たのだろう、とまあ、毎度この程度のコメント しか出来ない想像力の欠如を嘆いている。 この貧弱な思考力を無視するかのように、メ ンヒルは泰然と立ち続けているだけだった。 鋭く尖った石のほうは、立石として相応しい 風貌をしているのだが、左の方形の石はメンヒ ルらしからぬ姿と言えるだろう。 二つの石に関連があるのかどうかは判らない が、あるとすればバランス感覚にも似た美意識 が古代にも存在していたことになる。 フランスのブルターニュや英国のスコットラ ンドでも感じたことだが、無数と言ってもよい ほどのかくも夥しい数の巨石を、何故に立て、 並べ、組み上げたのか、については想像のかけ らもつかめない。 かなりの数の遺跡に自分の足 で実際に立ってみても、古代人からのメッセー ジは聞こえてこないのである。 天文台にしては、余りに膨大過ぎ る構造であり、規模も数量も常軌を逸している からなのである。 その 西北端に、さらに Holy 島という小島が在り、先 端の港町 Holyhead からはアイルランド行きの フェリーが就航している。 ウェールズの本土から は、橋を渡って国道A5号や高速A55号線で直 行することが出来る。 この不思議な二基の立石は、ホーリー島の西端 から少し丘陵を登った辺りの、広い牧草地の中に すっくと立っている。 石の高さは3mくらいだろうが、他に立石も倒 石も全く無いことから、当初からメンヒル状の二 基が立っていたものと思われる。 二基の巨石は丸で門の柱のようにも見えるし、 また並んだ方向に何らかの意味があるのかもしれ ない。 アイリッシュ海から吹きつける烈風の中、荒涼 とした風景の中に茫洋とした風情で立ち尽くす扁 平な二基の石。 石の材質も魅力的であり、立って いる姿が実に良い。 このアングルシー島には、石室・ドルメン・メ ンヒルなどの、石器時代から青銅器時代にかけて の巨石遺跡が高い密度で分布している。 しばらく行った牧草地の中に、この 純朴なドルメンがどっしりと座ってい るのが見えた。 分厚いキャップストーンを三基の無 骨な石で支えており、残念ながらもう 一基は補修用の人工柱だった。 ペントレ・アイバンのドルメンのよ うな研ぎ澄まされた鮮烈な印象とは対 極の、何とも不細工で重々しい印象を 受ける。 しかし、それがかえって、朴訥とし た人々が何らかの祈りを込めて造り上 げた純粋な精神を物語っているかのよ うにも見えてくる。 ほとんどのドルメンにおいて、重量 感のある象徴的な石がキャップストー ンとして用いられており、あたかもこ の巨石を天に向かって捧げているよう にも見える。 青銅器時代の人々はもしかしたら、 この巨石を敬って祀ることにより、見 えざる大きな力に対して奉献している のかもしれない。 この辺りには古代のメンヒルや ケルンが信じられないほどの密度 で分布しており、案内の標識など は一切無い。 地図の位置を見極め て、磁石の方角を頼りにしながら 牧草地を抜けていくのである。 ここの立石群は、とても珍しい。 三基の扁平な立石が、中心に対 して正面を向け、それぞれが正三 角形の頂点に立っているのである。 四石のサークルは最も単純な環 状とされるのだが、三石のサーク ルだったのだろうか。 いや、やはり正三角形にこそ意 味があった、と考えるほうが自然 だろう。 そしてここでも、見る方向によ って全く異なる表情を示す扁平な 石の潜在的な魅力を、古代の人々 が知っていたであろうことが伝わ ってくるのである。 観光地である世 界一長い名前の駅から、南西へ少し行 った牧草地の中に、鉄柵に囲まれて保 護されている。 キャップストーンが扁平な三角錐の 形をしており、離れて眺めたシルエッ トはまるで、昔映画で観た宇宙人の姿 に似ていた。 キャップストーンを支える支石は、 三石がコの字型に組まれた基本形であ る。 開口部には扉のような留石が置か れており、内部の空間が格別の場所で あることを象徴しているように見える。 ここの看板にも Burial Chamber と書かれているので、公式にも埋葬用 の墓を想定しているのだろうが、どう しても小生にはドルメンを古代の墓と する考えが持てない。 墓にしては個々の巨石の規模が荘厳 すぎるし、かと言って権威のある人の 墓にしては数が多すぎるのである。

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ストーン原野

巨石文化 ウェールズ 英国 ウェールズ の古代巨石文化 Megalithic Stones in Wales 同じ英国でありながら、ウェ ールズには独特のイメージが存 在する。 それは、アングロ・サクソン によってケルト(ブリトン)人 達が追いやられた辺境の地とし てのものだろう。 アーサー王伝説を筆頭に、多 くの民話や神話が伝えられてお り、それは深い霧に包まれた神 秘的なイメージでもある。 ストーンヘンジに使われたブ ルーストーンは、ウェールズか ら運ばれたとされている。 2007年の初夏、フィッシ ュガードとバンゴールに各3泊 づつしながら、古代の巨石遺跡 を中心に原野を歩き回った。 ウェールズ地名の読みは至難 であり、誤記はご容赦の程を。 国境から4マイル地点を 北へ右折すると、このサークルが 牧場の草原の塀沿いに見える。 その名の通り、四基の立石によ って構成された Circle である。 四石はストーン・サークルの最 小のユニットと考えられるが、円 形のマウンド上に立っているので サークルをイメージするのは容易 である。 石は丸いが重量感があり、どっ しりと座った感が強い。 しかし、 天に向かって鋭く延びた石が多く 使われたメンヒルとは違い、やは りサークルでは円を構築すること に意義があったのだろうと思う。 見応えのあるサークルである。 牧草地のような一区画で、三基の 巨石が一列に並んでいる。 一番背の 高い左側の石の高さは4. 5m強で、 三基共微妙に左右に傾斜している。 建造された紀元前三千五百年から 傾いていたとは思えないが、石は傾 斜することで不均衡な緊迫感を生み、 新たな表現力を示すものである。 当時の人々が、そうした遊び心の ような表現力を発揮していたのだっ たら凄いのだが、と勝手な想像を膨 らませていた。 ウェールズでは数箇所の列石を見 たがいずれもやや傾いており、その 意味からも大いに楽しめたのだった。 Harold とは後世のサクソン王の名 だそうで、古代巨石とは直接の関係 は無い。 ドルメンはその町外れの、道沿い から少し小高くなった牧草地の中に 残されていた。 板状の石三枚を「コ」の字型に組 み合わせ、その上にキャップストー ンを載せた最も素朴なドルメンだ。 一方のみが開いているということ は、ここが入口であり、内部は石室 ともいうべき空間であるのだろう。 人ひとりがようやく入れる程の大 きさであり、儀式を行ったり、墳墓 として埋葬を行うには狭すぎる。 大都市近郊とは思えぬほど牧歌的 な風光であり、現実から通じる説話 の世界の入口に立っているような錯 覚を感じていたのだった。 車を停めた場所からは、草原の中 を少し歩かねばならない。 案内表示 が完備しているので、ほとんど迷う ことはなかった。 最も驚くべきは、何と言っても天 井石の大きさだろう。 横幅は8m以 上ありそうだ。 奥行きは約3m程度 である。 残念なのは、そのキャップストー ンが途中でへし折れてしまったため に、近年になって支柱が後補されて いることだろう。 両端の柱だけで支 えられていた当初は、スパンの大き な迫力に満ちた構造だった筈である。 地図には Long Cairn とあり、こ のドルメンを指すのか、周辺全体が ケルンだったのかは判らなかった。 半島の中心とも言えるこの丘から は、周辺の美しい牧草地や遠くの入 り江までが展望出来る。 アーサー王の石と命名されたこの 石は、かつて石室だった構造がドル メン状に残ったものである。 この大石はドルメンのキャップス トーンであり、25トンもある石英 の巨石だそうだ。 石室は新石器時代のものであり、 周辺には小石を積み上げたケルンも 残っている。 車を停められるスペースから、原 野を片道30分は歩かなければなら ない。 右側の尖った石の先端の一点と、左 側に並ぶ四石の内の二石の先端、つま り尖った石の先端三点だけで、長さ5 mもあるキャップストーンを支えてい るのだ。 この重量感を感じさせない軽やかさ が、英国一美しいドルメンと言われる 由縁かもしれない。 従来は土に覆われた石室墳墓であっ たそうで、当初からこのイメージを想 定して構築されたものではなかったと いう話は、ドルメン非墳墓説に傾斜し ている小生にとっては甚だ遺憾で残念 な気がする。 この地はストーンヘンジのブルース トーンの故郷であるプリセリ山地に繋 がる丘陵で、このドルメンも同質の石 が使用されている。 このドルメンは、紀元前三千年前か ら造られ始めたとされるストーンヘン ジより、さらに五百年も前に構築され たと言われる。 深い森に囲まれた谷間の一件宿で、ウェールズ の森の妖精達に囲まれて、思索に満ちた時間を持 つことが出来た。 この宿のある Gellifawr を中心にして、一基ま たは二基の立石が数箇所あるそうだったが、写真 の立石は、夕食前の散歩に相応しい距離に在った ものである。 傾斜した牧草地の中に立っていたが、道路から は近かったので容易に見つけることが出来た。 玄武岩の柱状節理のような方形の断面を持つ石 で、この近くの山で採れたものと考えられる。 高さ2mで大それた石ではないが、地中に埋ま っている部分も併せれば、人間が簡単に動かせる 範囲の石では決してなく、やはり何のためにわざ わざ重い石を立てたのか、というミステリアスな 謎が石の背後に潜んでいる。 ここは前記のプリセリー山 Mynydd Preseli に最も近いので、ストーンヘンジに運ばれた花崗 岩であるかもしれない。 この山麓に多くの立石やドルメンが存在するの は地理的な条件からも当然だが、遥か Wiltshire のストーンヘンジまで、何故に、どういう手段で 運んだのだろうか、という根源的な謎がいつもの ように浮かんでくるのだった。 こうした巨石によって構築された遺 跡の不思議さと、アーサー王伝説の中 の巨人たる王の大きさとが結びついた 結果の言い伝えなのだろう。 キャップストーン(天井石)の重量 感に比べ、四個の支石が華奢なので、 安定感の無い危うさがとてもスリリン グな印象を与えている。 この構造を見る限り、決して居座り の良さを求めてはおらず、むしろ今に も崩れそうな緊迫感を楽しんでいるか のようにも見える。 どのような信仰や美意識、いかなる 工法や儀式が介在していたのだろうか を想うと何ともミステリアスで、実は 何も解ってはいないことに気付かされ るのである。 そこから 2 Km ばかり東に行くと、牧畜の盛ん なこの村に着く。 この遺跡は村外れの牧草地の中に 保存されており、周辺には牛が放牧 されていた。 現地案内には Chambered Long Cairn と表示されていたので、現 状は立石壁で仕切られた溝のようだ が、両側の支石列の上に屋根石が載 っていたはずである。 周囲の土を取り除けば、部屋状の 空間が幾つか繋がったドルメンとい うことになる。 チェスターに流れるデー川の 上流に沿った地方道から、東の Berwyn 山地へと登って行く。 牧場の入口で車を停め、そこ から牧草地の急斜面を約40分 ほど登ると、見事なサークルの 残る台地に出る。 実に見晴らしの良い場所(こ のページTOPの写真参照)で、 急斜面を歩く労苦を忘れさせて くれる。 石はやや小振りだが、完全な サークルが残っているのが嬉し い。 辺鄙な場所にしか造られな かったのではなく、辺鄙な場所 のものしか残っていない、と言 う方が正しいかも知れない。 この日は晴れたが、もう一つ のサークルである Druid's を予 定した日は凄まじい荒天で、登 山を断念したのが悔やまれる。 草に覆われた丸い丘状のマ ウンドは、日本の円墳にも似 た形状で、横穴式のドルメン を覆っているのである。 並行に立てた列石の上に屋 根石を乗せ、通路状の空間を 造り、その上に石または土が 載せられたものである。 別名 Passage Grave (通 路式墳墓)と呼ばれることも ある。 ケルンの周辺に石が置かれ ているが、土留めの意味もあ り、形状は必然的に円形のサ ークルとなる。 こうしたサー クルは Cairn Circle と呼ば れ英国中で多く見られる。 ドルメンの入口の石積みが整 備されていて面白くないので、 Chamber の内部の写真を掲載 したいと思う。 しかし、内部の天井も側壁も 近年再築されており、その内部 に従来のドルメンの石の一部が 保存されていたのだった。 薄い板状の片岩が用いられて いるのは、壁と天井を構築する のに適しているからであろう。 前掲のものと併せ、この類の ケルンの特徴は、円形の丘とそ の内部に設けられた横穴式の部 屋(通路)にあるだろう。 円形の丘のイメージはサーク ルに繋がるし、横穴はドルメン そのものである。 古代の墳墓で あったとは、容易に結論付けら れないのではないだろうか。 地元の地図には墳墓式石室を 意味する Burial Chamber と 記されているが、周辺の状況か らも、石のみで構築されたモニ ュメントであったと考えたい。 残念ながら半分が崩落してし まっているが、キャップ・スト ーンが厚目の巨石であることか ら、重量感に満ちた従前の姿が 想像される。 このアングルシー島は古代巨 石遺跡の密集地で、こうした遺 跡だけでも30箇所もあると言 われているそうだ。 広い草原の中に在って、道路から眺めると然 程の大きさは感じられなかったが、近づいてみ ると 3m 近くはある迫力に満ちた巨石だった。 英国の立石 Standing Stone にもブルター ニュのメンヒル Menhir にも共通しているこ とは、細長く先端が鋭い石を使用していること である。 そこからイメージされるのは、やはり 天空に向かって延びていく力を示していること だろう。 古代青銅器時代の宗教観など想像もつかない が、神という認識に近い、何らかの強烈な力の 存在を自然の中に感じていたことは間違いない だろう。 人間の力を遥かに超越した見えざる存 在に対する畏敬の念、またそれを崇め祀る装置 として、こうした巨石を用いた構築物が出現し たのだろう、とまあ、毎度この程度のコメント しか出来ない想像力の欠如を嘆いている。 この貧弱な思考力を無視するかのように、メ ンヒルは泰然と立ち続けているだけだった。 鋭く尖った石のほうは、立石として相応しい 風貌をしているのだが、左の方形の石はメンヒ ルらしからぬ姿と言えるだろう。 二つの石に関連があるのかどうかは判らない が、あるとすればバランス感覚にも似た美意識 が古代にも存在していたことになる。 フランスのブルターニュや英国のスコットラ ンドでも感じたことだが、無数と言ってもよい ほどのかくも夥しい数の巨石を、何故に立て、 並べ、組み上げたのか、については想像のかけ らもつかめない。 かなりの数の遺跡に自分の足 で実際に立ってみても、古代人からのメッセー ジは聞こえてこないのである。 天文台にしては、余りに膨大過ぎ る構造であり、規模も数量も常軌を逸している からなのである。 その 西北端に、さらに Holy 島という小島が在り、先 端の港町 Holyhead からはアイルランド行きの フェリーが就航している。 ウェールズの本土から は、橋を渡って国道A5号や高速A55号線で直 行することが出来る。 この不思議な二基の立石は、ホーリー島の西端 から少し丘陵を登った辺りの、広い牧草地の中に すっくと立っている。 石の高さは3mくらいだろうが、他に立石も倒 石も全く無いことから、当初からメンヒル状の二 基が立っていたものと思われる。 二基の巨石は丸で門の柱のようにも見えるし、 また並んだ方向に何らかの意味があるのかもしれ ない。 アイリッシュ海から吹きつける烈風の中、荒涼 とした風景の中に茫洋とした風情で立ち尽くす扁 平な二基の石。 石の材質も魅力的であり、立って いる姿が実に良い。 このアングルシー島には、石室・ドルメン・メ ンヒルなどの、石器時代から青銅器時代にかけて の巨石遺跡が高い密度で分布している。 しばらく行った牧草地の中に、この 純朴なドルメンがどっしりと座ってい るのが見えた。 分厚いキャップストーンを三基の無 骨な石で支えており、残念ながらもう 一基は補修用の人工柱だった。 ペントレ・アイバンのドルメンのよ うな研ぎ澄まされた鮮烈な印象とは対 極の、何とも不細工で重々しい印象を 受ける。 しかし、それがかえって、朴訥とし た人々が何らかの祈りを込めて造り上 げた純粋な精神を物語っているかのよ うにも見えてくる。 ほとんどのドルメンにおいて、重量 感のある象徴的な石がキャップストー ンとして用いられており、あたかもこ の巨石を天に向かって捧げているよう にも見える。 青銅器時代の人々はもしかしたら、 この巨石を敬って祀ることにより、見 えざる大きな力に対して奉献している のかもしれない。 この辺りには古代のメンヒルや ケルンが信じられないほどの密度 で分布しており、案内の標識など は一切無い。 地図の位置を見極め て、磁石の方角を頼りにしながら 牧草地を抜けていくのである。 ここの立石群は、とても珍しい。 三基の扁平な立石が、中心に対 して正面を向け、それぞれが正三 角形の頂点に立っているのである。 四石のサークルは最も単純な環 状とされるのだが、三石のサーク ルだったのだろうか。 いや、やはり正三角形にこそ意 味があった、と考えるほうが自然 だろう。 そしてここでも、見る方向によ って全く異なる表情を示す扁平な 石の潜在的な魅力を、古代の人々 が知っていたであろうことが伝わ ってくるのである。 観光地である世 界一長い名前の駅から、南西へ少し行 った牧草地の中に、鉄柵に囲まれて保 護されている。 キャップストーンが扁平な三角錐の 形をしており、離れて眺めたシルエッ トはまるで、昔映画で観た宇宙人の姿 に似ていた。 キャップストーンを支える支石は、 三石がコの字型に組まれた基本形であ る。 開口部には扉のような留石が置か れており、内部の空間が格別の場所で あることを象徴しているように見える。 ここの看板にも Burial Chamber と書かれているので、公式にも埋葬用 の墓を想定しているのだろうが、どう しても小生にはドルメンを古代の墓と する考えが持てない。 墓にしては個々の巨石の規模が荘厳 すぎるし、かと言って権威のある人の 墓にしては数が多すぎるのである。

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