色即是空 空即是色 違い。 色即是空と空即是空は同じ?

“色即是空,空即是色”如何理解?_百度知道

色即是空 空即是色 違い

空と無とを混同した回答がありますが両者は似て非なる思想です。 空とは時間論それに対し無は存在論です では本題 色即是空・・すべての存在 色 はこの世という仮の世からあの世 実の世界 に還っていく 空即是色・・あの世からまたこの世に生まれてくる 言葉を換えれば 色即是空・・物質は実在世界のエネルギーへと変わっていく 空即是色・・実在世界のエネルギーがこの世に物質として姿を現す さらに言葉を換えれば 色即是空・・この世の存在は空であり仮の姿である、執着するなかれ 空即是色・・しかしこの世も仏の慈悲によってでているのだ、山川草木悉有仏性 また人によっては 色即是空・・180度回転の思想 空即是色・・360度回転の思想 と説明する人もいます そらを見てください。 それは透明なのに、色が着いています。 色が着く所がないのに、鮮やかです。 キャンバスが無いのに、絵があります。 筆が無いのに、描かれます。 映す所が無いのに、それは輝いています。 私も、私がないところでは、私でないものまで私です。 キャンバスが無いから、絵は無限です。 私に拠る所がないから、私は私に縛られない。 私であるところでは、むしろ私は、私ではありません。 私が何か(たとえ私でも)に拠ってしまえばそれは移り行くもの。 一瞬たりとも、私ではありません。 故に、 色即是空 移り行く私は、是、ありません。 空即是色 何処にも居ない者は、常であり、満ち足りています。 移り行くのは、それが何ものでもないため。 彩色無限(絶えず変わる色)は、透明なため。 透明であると言うことは空であると言うこと。 色であると言うことは常であると言うこと。 だから般若を訊く者よ。 どこにも、拾うものなど無く、捨てるものもまた無い。 拾うあなたも無ければ、捨てるあなたも無い。 何故なら、 拾うと言うことは、無いものを捨てるという無知であり、 捨てると言うことは、無いものを拾うと言う執着だからです。 故に般若を訊く者は。 極自然に 何にも囚われることなく、ただ唖となって、解脱する。 こんばんは。。 すでに多くの方からご回答があがっていますが・・・ まったくの個人的見解ながら、ご質問に端的にお答えするなら、「同じ」だと考えています。 自分は「縁起=無自性=空」「空=真如=清浄」が仏教の真理(=法)と捉えています。 さまざまな解釈があるとは思うのですが、自分は「色即是空 空即是色」は素直に「同義反復」と考えても構わないのではないか、と思っています。 真理は種々の様相を示しながらも、普遍性を持った一つの全一相だと思うので、色も空も同じで、そうすると「色即是空、空即是色」も、時間的経過を考慮するかしないかという問題はあるとしても(自分はそういうのもとっぱらっていいと思う方なので・・・)畢竟「同じ」である。 と考えています。 般若心経の原典からの和訳は既読ですか?未読であれば、サンスクリット原典からの和訳を数本ご覧になると、お考えになる上で、ご参考になるのではないかな、と思います。 「数本」というのは、サンスクリット本の校訂には諸説あり、また和訳にも翻訳者の解釈が出るので・・・可能であれば、いくつかご覧になった方がよいかな、と思いまして。 駄文にて失礼いたしました。 簡単に答えます>ある意味大雑把なのでご了承願います。 色とは「目に見えるもの」、転じて「この世にあるすべてのもの」の意。 空とは「空っぽ、無」、転じて「固有の本質をもっていない」の意。 色即是空とは「この世にあるすべてのものは 因と縁によって存在しているだけで 固有の本質をもっていない」という仏教の基本的な教義です。 因と縁って仏教の教えで一番大事なところなんだけど 説明すると長くなるので、とりあえずコチらを見て下さい。 仏陀は早い話が「物事は因縁 関係性 によって存在するのであって 永遠なる存在や絶対的な存在などない、だから物質には執着するな」 というようなことを主張したわけです。 ところが後に「永遠なる存在や絶対的な存在などない」という部分を 虚無的に解釈する人たちが出てきたので 後に龍樹という人が「空即是色」すなわち「この世の全てのものは 固有の本質をもっていないということを悟れば 先入観や物質的なことに「執着」しなくなり 物事をありのままに見ることが出来るようになる」といった概念を 追加しました いわゆる「空思想」の完成。 グルメを気取ると食事にあれこれ文句をつけがちだが 究極のメニューなんてものは単なる思い込みだ! =色即是空 空腹のときは何を食べても美味しい! =空即是色。 なんて例えると専門家の方から拡大解釈をするなと叱られそうですが でも、私はそんな境地を言っているのだと思います。 仏教って、座禅によって日々、魂 心 を「空」状態に戻すんですね。 そうすると、なんでもない日々が素晴らしい/ありがたいこととして 捉えられるようになり、苦を滅することが出来る、と考えます。 まず、「色即是空 空即是色」という単語が有名になったばかりにはそれだけで考えがちですが、あくまでも「五蘊皆空」、つまり五蘊(ごうん:色・受・想・行・識の5つの要素)が皆、空であるという境地を説くものであり、般若心経本文では省略されていますが「受即是空 空即是受」「想即是空 空即是想」…とも説かれていることをお知りおきください。 それと「一切皆空」はあくまでも、般若波羅蜜多心による瞑想によって達した境地であって、世間的な机上の理論で理解する、しないのものではありません。 般若波羅蜜多心とは「ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ボウジソワカ」の真言(咒)のことです。 般若心経の「心」と漢訳された言葉はインド語で心臓を意味する「フリダヤ」、これは同時に真言を意味する言葉です。 ですから、般若心経は、般若波羅蜜多の真言を唱える瞑想の実践を説いたものです。 以下のHPに、ご質問のことなどがより詳しく解説されています。 「『般若心経』のほんとの意味」 Q 色即是空、空即是色、この世は無であり空であるなどと説くものがいる。 完全に間違っている。 そこには一滴の真理さえ存在しない。 この世は無でもなく、空でもなく、有である。 何故なら宇宙はまぎれもなく存在するからである。 この意味で色即是空、空即是色と説いた仏教は完全に間違いである。 正しくは「色即是色、空即是空」である。 それはこの世は自らの世界であるということである。 この世は自らの世界であるから、自らの赴くままに世界を捉えればそれで良いということである。 誰にも遠慮などせず、自らの赴くままに世界を捉え、自らの赴くままに世界を歩むことが一番正しいということである。 この世のことであろーと、あの世のことであろーと、自らが信じることが出来なければ、信じる必要などさらさら無いのである。 自らの目に映る世界がバカバカしいと感じれば、実際その世界はバカバカしい世界なのである。 この世ことについて自らが正しいと感じれば、それは正しいということである。 「色即是色、空即是空」、仏教はこのように説くべきだったのである。

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色即是空と空即是空は同じ?

色即是空 空即是色 違い

2008-04-17 回答 舍利子,色不异空,空不异色,色即是空,空即是色。 这是解释五蕴空的的真理。 舍利子即舍利弗,智慧第一,是释迦佛讲心经时的当机众,故佛唤他一声。 凡夫谓一切色在心之外,心外有色,把心与色分成两样,却不知色从心生,觅心不可得,色又何曾可得,所以色就是空,故色不异空。 又凡夫以为空在心外,不知空是一法,此一法亦未离开这个心,空由心生,空因心而有,觅心了不可得,心空,心所生的空亦空,故空不异色。 现在再详细的解释一下:何谓色?言语、文字、及一切眼所见有相的物都是色,色如何空呢?例如大悲咒,很多人都会背,大悲咒是色,一字一字的学会后放在心内,再看心内是否有大悲咒存在?空的,一字不可得,大悲咒空,大悲咒是色,故色即是空,又因为大悲咒是空的,所以可以容纳另外的东西,若是有,便不能再学其它东西,不能把另外的经咒容入心内,因为是空,可以再学楞严咒,一字一字的放进去, 再看,一字亦不可得,也是空,如是大悲咒读熟,归于空,楞严咒读熟,归于空,金刚经读熟,归于空,证明色即是空。 何谓空即是色?心内的大悲咒是空,一字不可得,但还可以一字不漏的背诵出来,证明空即是色。 色即是空,空即是色,现现成成,所以佛法现成,如来是发明者,故佛法称为发明心地,不说创造,谁发明真理,谁就是菩萨,谁不发明其真理,谁就是凡夫,所以佛法平等,一人发明,一人成佛,两人发明,两人成佛,先觉觉后觉,后觉学先觉。 把大悲咒楞严咒念出来是色,这个色的性本来是空,非色灭空,不是色灭了才空,色性自空。 2008-04-16 回答 色 主要 是 物质的 意思。 不是 情 色的 色 空不亦色,色不亦空 主要讲 空有 可以 相互转换 没有自己的独立的自性 净空法师开示 空即是有,有即是空。 凡夫不明此理,对事实真相一无所知,且特别固执自己的成见。 他高兴怎么办就怎么办,不但我们帮不上忙,诸佛菩萨也帮不上忙,因为他不相信。 以后他见到地狱,见到轮回,后悔来不及了。 出自玄奘所译般若心经。 色,广义言之,乃物质之总称。 谓一切现象皆为空幻,无有实体。 所谓五蕴皆空,意谓不论物质现象(相当于色)或精神现象(受、想、行、识)均属因缘所生法,无固定不变之自性;若以其为实有自性,则是虚妄分别,故色之本质为空。 指人间之物质、身体本系空无实体,而由地、水、火、风四大和合而成,故称空即是色;四大若离散,则复归空无,故称色即是空。 空即是色,并非析色见空,而系体达色之当体即空之故,空者亦非意味断灭,即有即空方是真空。 此真空既为有,故必不异于有,以空即是有,而说空即是色。 舍利子!色不异空,空不异色;色即是空,空即是色。 受、想、行、识亦复如是。 "意思无非是超脱俗世之后,色即成了空无,什么也不是,什么也没有了,所以最后空无也是色,是色的另外境界。 般若心经的原文及注解: 《般 若 心 经》 [唐]玄奘法师译 观自在菩萨,行深般若波罗蜜多时,照见五蕴皆空,度一切苦厄. 舍利子,色不异空,空不异色;色即是空,空即是色。 受、想、行、识,亦复如是。 舍利子,是诸法空相:不生、不灭;不垢、不净;不增、不减。 是故空中无色。 无受、想、行、识;无眼、耳、鼻、舌、身、意;无色、香、声、味、触、法。 无眼界,乃至无意识界;无无明,亦无无明尽;乃至无老死,亦无老死尽。 无苦、集、灭、道。 无智亦无得,以无所得故。 菩提萨埵,依般若波罗蜜多故。 心无挂碍,无挂碍故。 无有恐怖,远离颠倒梦想、究竟涅磐。 三世诸佛,依般若波罗蜜多故。 得阿耨多罗三藐三菩提。 故知般若波罗蜜多,是大神咒,是大明咒,是无上咒,是无等等咒。 能除一切苦,真实不虚。 色即是空,指世上的色,欲望等都是虚幻的,空无的,等你真的视一切为空无,就发现虚幻就是和色一样了。 就像你孜孜以求的某种东西,迷恋追逐到无药可救的地步,但是历经劫难后反思,其实你追求的只是一场虚幻,虚无,欢情过后,什么都没有,所谓色即是空。 看破红尘之后,你明白空和色没什么区别,空不异色。 所谓四大皆空.

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色即是空 空即是色の意味とは|知れば仏教は面白い!わかりやすく色即是空の意味を解説

色即是空 空即是色 違い

色即是空とは「 この世の全ての物事は、我々が見たり感じたりすることで存在しているように思えるだけで、実際にはそれらはすべて実体ではない」ということです。 色即是空は般若心経に出てくる言葉で、空即是色という言葉も存在します。 「色」は世界に存在するすべての物事や現象を表し、「空」はわかりやすく言うと実体がないことを表します。 色は空であると言っているので、すなわちこの世の物事は全て実体ではない、という意味なのです。 例えば、りんごを見て我々はそれをりんごだと思います。 しかしそれを食べたらどうなるでしょう。 そのりんごは我々の体、つまり我々自身になります。 では我々は何か、人間ととらえる人もいるでしょう。 しかし、宇宙全体でみると我々は地球の一部、つまり地球であると言えます。 わかりやすく言うと、この世のものには決まった実体などなく、すべての物は自分でもあるため、好き嫌いなどは無意味なのでやめましょうということです。 仏教らしい言葉ではないでしょうか。 空即是色も同じ意味なので、一緒に覚えておくといいですね。

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