高円寺氷川神社。 高円寺氷川神社の御朱印は手作り?日本唯一の気象神社のご利益は?

【杉並区/御朱印巡り】高円寺駅近の神社を巡る(氷川神社/気象神社・馬橋稲荷神社)

高円寺氷川神社

神社情報 高円寺氷川神社(こうえんじひかわじんじゃ) 御祭神:素盞鳴命・八意思兼命 気象神社 社格等:村社 例大祭:8月下旬 所在地: 最寄駅:高円寺駅 公式サイト: 御由緒 氷川神社について 江戸名所図会によれば、その昔源頼朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に当高円寺村にとどまり終に農民となる者あり……と記されている。 一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家なり)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥松杉桐茂し遠く水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。 御祭神は素盞嗚尊で国土開発、災難除けの信仰がある。 氷川神社の御分社は約一千社あり関東地方が大部分を占めている。 当社の創建された時期は不詳であるが、口碑によれば天文年間曹洞宗高円寺の創建と同時に剏祀されたといわれている。 末社には気象神社、稲荷神社、御嶽神社、日枝神社が祀られている。 昭和四十六年十月十四日、社殿、社務所、神楽殿、神輿庫、手水舎が新しく御造営され、今日に至っている。 例大祭は毎年八月二十七、二十八日に行われる。 気象神社由緒 この気象神社は、旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和19年4月10日造営、奉祀され、途中空襲による焼失、再建されたが太平洋戦争の終結に依り気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け当高円寺氷川神社に昭和23年9月18日遷宮祭を執行し、移設されたものである。 以来気象部隊関係者を始め多くの方々のご参拝、奉仕を受けて参りましたが月日の経過と共に社殿の腐蝕が甚だしく遷宮55年を記念して新しい社殿の御造営に着手し、平成15年6月1日の気象記念日に竣工式を挙行した。 3月4月5月6月の御朱印は6 月以降も授与。 詳細はにて。 オリジナルの御朱印帳を用意。 表面に高円寺氷川神社、裏面に気象神社をデザイン。 神紋や印影だけでなくアルファベットを使用。 ポップでカラフルで、どこか高円寺の街らしさのあるデザイン。 以前は青、緑、赤の3色展開の御朱印帳も用意していた。 [ 表面 ] [ 裏面 ] 歴史考察 鳥居の先に門が設けられており、平時の夜間は防犯上の観点から閉門しているため、境内に入る事はできない。 鳥居を潜ると右手に手水舎。 綺麗に管理されていて身を清める事ができる。 戦後に再建されたモダンな神明造りの社殿 社殿は昭和四十六年(1971)に再建されたもの。 戦時中に焼失し長らく仮殿の期間が続いた。 終戦から26年の年月を経て、神明造りで再建。 全体的な色合いが少し個性的でやや黒系にまとまっている。 色合いからか、黒い鳥居と共に不思議とモダンな印象を受ける。 扁額には氷川宮の文字。 拝殿前に一対の狛犬。 玉持ちの吽と子持ちの阿。 比較的新しいように見えるが昭和六年(1931)奉納と戦前のもの。 日本唯一の気象神社・気象の神を祀る 社殿の左手に境内社の気象神社。 日本唯一とされる気象神社と云う珍しい神社。 珍しい事もあり、当社と共に名を知られる。 気象神社(きしょうじんじゃ) 戦時中に創建した神社で、現在の高円寺北4丁目にあった大日本帝国陸軍「陸軍気象部」の構内に、昭和十九年(1944)に造営された神社。 陸軍気象部にあったから事から「気象神社」と称された。 気象観測員が気象予報の的中を祈願したと云う。 戦後、撤去されるはずであったが、連合軍宗教調査局の調査漏れで残存。 昭和二十三年(1948)に当社境内に遷座する事となった。 現在の社殿などは平成十五年(2003)に再建されたもの。 社殿前には一対の狛犬。 明治十年(1877)奉納の狛犬。 阿吽共に片足を上げているのが特徴的で愛嬌のある姿。 例大祭は6月1日の気象記念日に行われ、御祭神は八意志兼命。 なお、気象神社には御嶽神社・日枝神社も合祀されている。 聖地巡礼する場合は、マナーを守った上で参拝をお願いしたい。 多くの稲荷神社と力石・神輿庫 気象神社の後方には稲荷神社が並ぶ。 社殿として設けられているのは三社。 何れにも稲荷大明神の幟が置かれており、地域に祀られていたお稲荷様が遷されたと思われる。 左手の隅には力石も多数置かれている。 東京大空襲によって境内の多くが焼失してしまったが、こうして歴史を感じさせるものが残っている。 近くには古い水盤。 気象神社を由来としているのかてるてる坊主の姿。 社殿の右手には神輿庫。 ガラス張りになっていていつでも神輿の姿を見る事ができるのは嬉しい。 また令和になってから授与所の右手も神輿庫として整備。 当社の本社神輿として再興された神輿。 昭和初期の神輿を修復し氏子によって奉納された。 月替りや天気によって変わるカラフル御朱印 御朱印は社務所にて。 以前は左手のドアより中に入り窓口でお願いする形だったが、現在は人気が高いため直書きの場合は外に面した窓口で頂く形。 (直書きの日は行列になる事が多い) 以前の御朱印(現在は頂けない) 当社の御朱印はここ数年で色々とリニューアルが行われている。 2015年に頂いた先代宮司による御朱印はどこか愛嬌のあるものだったが、2017年10月より御朱印が変更され月替りの御朱印や、天気によって変わる気象神社の御朱印を用意するようになった。 こちらが2017年10月にリニューアル後の晴れの日の御朱印。 (2018年1月拝受) こちらが雪の日の御朱印。 (現在は雪の日のはんこは行っておらず、雪の日は雨のはんこになる) 御朱印については以下のをよく確認の上頂くこと。 拝殿前に「先にお参りを済ませて下さい」とあるように、まずは参拝してから御朱印を頂きたい。 氷川神社と気象神社のオリジナル御朱印帳 オリジナルの御朱印帳も用意。 表面に高円寺氷川神社、裏面に気象神社をデザインし、神紋や印影だけでなくアルファベットを使用したもので、ポップでカラフルなイメージがどこか高円寺の街らしさがある。 現在も「東京高円寺阿波おどり」が開催される日は、当社の例大祭の日。 8月下旬の土日となっている。 当社周辺にも多くの出店が出て賑わう。 今では東京を代表する夏祭りの1つとなっている「東京高円寺阿波おどり」は、当社と深く結びついているもので、こうしたエピソードからも今なお当社が、高円寺の鎮守として親しまれているのが伝わる。 所感 高円寺の鎮守として崇敬を集める当社。 高円寺の地名由来となった宿鳳山「高円寺」が別当寺を担い、江戸時代の頃より地域の人々から崇敬を集めた事が窺える。 大正以降に高円寺駅ができ、関東大震災の影響で人口が大幅に増加、そして戦後の復興によって、今では若者から人気のある街となっている高円寺において、当社は今もなお崇敬を集める存在であるのは間違いない。 高円寺の一大イベントである「東京高円寺阿波踊り」は当社の例大祭に併せて開催されるもので、町おこしと鎮守が一帯となって大成功したイベントとも云え、こうした事からも当社が高円寺にとって大切な存在なのが伝わる。 また、境内社の「気象神社」は日本唯一の神社として人気を博している。 御朱印や授与品にも力を入れるようになり、今後も様々な施策が楽しみな神社である。 御朱印対応の方が体調を崩されたりもしたようで、体調面第一でお願いしたい。 神社画像 [ 鳥居・社号碑 ] [ 手水舎 ] [ 拝殿 ] [ 拝殿・本殿 ] [ 狛犬 ] [ 境内社鳥居 ] [ 絵馬掛 ] [ 気象神社 ] [ 稲荷神社 ] [ 水盤 ] [ 力石 ] [ 社務所 ] [ 神楽殿 ] [ 神輿庫 ] [ 案内板 ] Google Maps .

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氷川神社

高円寺氷川神社

INDEX• 記事先頭にある鳥居を目印に探すとすぐ見つかりますよ。 御祭神 八意思兼命 やごころおもいかねのみこと ~神話での記述~ 八意思兼命は高天原の最高司令官である高皇産霊命 たかみむすびのみこと の子です。 名前の「やごころ」は様々な立場から考える、「かね」は兼任をあらわす意味であり、1人で2つ以上のことができるという意味です。 八意思兼命は多くの人間の知恵を一同に結集させることができるということです。 八意思兼命は天照大御神が天の岩戸に隠れて世の中が暗闇になった時 別ページの素戔嗚尊の説明ご参照 、知恵を振り絞り、岩戸を開ける方法を考えて、世の中を救うことに成功しました。 また『晴』『曇』『雨』『雪』『雷』『風』『霜』『霧』など八つの気象現象を制御すると言われております。 私は結婚式の日に晴れるよう参拝に行きましたが、 雲ひとつない見事な快晴となりました! 重要な予定のある方は高円寺気象神社で祈願されてはいかがでしょうか。 天気の子のロケ地(聖地) 天気の子のワンシーンで出てきた絵馬 天気の子 気象神社 御朱印も日本唯一 「氷川神社」と「気象神社」では御朱印を頂くことができます。 (晴れの日) ただ、御朱印はただの参拝記念スタンプではありませんので、可愛い物を買いたいという感覚で貰いにいくのはやめましょうね。 特に 「氷川神社」と「気象神社」の御朱印はとても手が込んでいますので・・・。 ありがたみを持って貰うのが良いかと思います。 それでは!.

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気象神社(高円寺 氷川神社)

高円寺氷川神社

由緒 [ ] 社伝に、が(5年())の際に当地に立ち寄り、に命じて社殿を建立させた。 またあるいは、随伴していた村田兵部某 が当地で帰農し、より勧請して社殿を建てたともいわれる。 また口伝によれば、年間 ~ に、宿鳳山と同時期に開かれ、高円寺が当社別当寺となったとされる。 しかし、資料がのちに火災により焼失し詳らかでない。 郷のとなり、『』には、「除地4段3畝10歩、外に供免1段5畝、小名原にあり、是も鎮守なり、本社3尺四方南向、上屋2間23間、木の鳥居をたつ、村内高円寺の持」とある。 になるとになったが、による戦災で社殿が焼失。 現在の社殿は46年()に再建されたものである。 また、(昭和23年)には全国でも唯一といわれている気象神社が当神社にされた。 は元々に行われていたが、などによる悪天候が多いことから(昭和32年)、・に変更された。 境内社 [ ] 気象神社 [ ] 気象神社 は (やごころおもいかねのみこと)。 元は、馬橋4丁目(現在の4丁目)にあったのの構内に、(昭和19年)に造営されたものである。 この神社前で勤務前に観測員がの的中を祈願したという。 戦後ので撤去されるはずであったが、宗教調査局の調査漏れで残存した。 そこで当局に申請して払い下げを受け、1948年(昭和23年)、当時は9月18日だった例大祭の際に現在の氷川神社に遷座した。 老朽化のため、遷宮55年記念として(15年)6月に再建。 例大祭はのに行われる。 一般の知名度はさほど高くなかったが、気象予報士の制度が始まると、日本で唯一の気象()の神様として気象予報士を目指すなどに存在が知られ 、祈願や祈願などで参拝されている。 アクセス [ ]• ・より徒歩3分 備考 [ ]• 拝観は無料。 夜間は閉門しており、境内に入ることができない。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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