しらふ で 生きる。 しらふで生きる…町田康著 : 書評 : 本よみうり堂 : エンタメ・文化 : ニュース : 読売新聞オンライン

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふ で 生きる

町田康さんは、ぼくが20年近く追いかけてきた作家です。 町田さんがいなければ、今の自分はありません。 少なくとも小説は書いていないのじゃないかしら。 町田さんの影響で小説を書き始め、小説を書くのに膨大 … な時間を費やしてきました。 この膨大な時間を、金儲けのために使っていたら、今ごろ自分は……。 いえ、町田さんには本当に感謝しています。 町田さんと言えば、大酒飲みで知られています。 エッセーにも、酒にまつわるエピソードが数多く出てきます。 その町田さんが酒を断ち、それも4年前から1滴も飲んでいないと本書で知り、腰を抜かすほど驚きました。 酒を飲まない町田さんは、果たして町田さんと言えるのでしょうか。 そうも考えました。 本書を読んで、本当に止めたんだと何だか感動さえしました。 町田さんほどではないにしても、酒飲みにとって禁酒は大変に辛いことです。 かく言う私は毎晩、缶ビール1缶とワインをグラスに2杯飲むことを習慣にしています。 休肝日は週1回。 ただ、1日お酒を止すだけでも寂しい、何か人生を損したような気分になります。 しかし、本書によれば、そんなことはありません。 酒があろうとなかろうと、人生は寂しいものなのだとか。 心に沁みますね。 本書は、禁酒をしたい人のための一級のハウツー本になっています。 ぼくも、読みながら、禁酒を何度も考えた次第。 さらに、例によって町田節が炸裂し、随所に笑いが散りばめられていて飽きさせません。 個人的には、酒を止した町田さんの作風が変わってしまわないか心配です。 で、ちょっと調べてみました。 町田さんが酒を止したのは2015年12月です。 最新刊は、9編の短編を収めた「記憶の盆をどり」。 9編のうち、後半の4編は恐らく酒を止してから書いた作品です。 で、前半の5編と比べてみました。 全く分かりませんでした笑。 表題作「記憶の盆をどり」(2016年11月配信)は、次のような書き出しで始まります。 「去年の暮れに酒をよした。 人にそう言うと必ず、『どうしてよしたのですか』と問われる。 」 最後はこんな文章で締めくくられています。 「ああ。 酒をやめなければ。 酒をやめさえしなければ死後の生を生きていられたのに。 そんな後悔が頭を駆けめぐる。 シャワーの音がやむ。 」 このころはまだ、酒に未練があったのでしょうか。 禁酒して初めの頃は、7秒に一度くらい酒のことを考えていたのだとか。 それが3カ月も経つと、酒のことを考える時間の方が少なくなったそう。 酒を止して、「痩せた」「眠れる」「仕事が捗る」などの利得があったのも自信につながったようです。 そうですか。 うーむ、酒を止めようか、どうしようか。 果たして止められるのか。 うーむ、うーむ、うーむ。 続きを読む.

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酒をやめるくらいなら人間をやめるつもりでいた|しらふで生きる|町田康

しらふ で 生きる

作者:町田 康 出版社:幻冬舎 発売日:2019-11-07• 30年間毎日欠かさずに酒を飲み続けてきた作家、町田康の断酒エッセーである。 こう書くと酒をやめて健康になった暮らしぶりを健やかにつづったエッセーを想像してしまうが、決してそんな生易しいものではない。 その証左としてまずは目次からいくつかの見出しを引用してみよう。 〈飲酒とは人生の負債である〉〈私たちに幸福になる権利はない〉〈「私は普通の人間だ」と認識しよう〉〈「普通、人生は楽しくない」と何度も言おう〉〈「自分は普通以下のアホ」なのだから〉と畳みかけてくる。 目次の時点で強烈なジャブを食らわされる。 そもそも著者はなぜ酒をやめると決断したのだろうか。 何しろ自他共に認める大酒飲みで、古代の政治家・歌人・酒飲みである大伴旅人と、彼が詠んだ「酒を讃(ほ)むる歌十三首」のみを信じて酒を飲み続けてきたような男なのだ。 当然読者が気になるであろう、この問いに対する著者の答えは「気が狂ったからである」というものだ。 納得できるようなできないような。 とまれ、断酒とは容易な道ではない。 著者の言葉を借りれば「飲みたい、という正気と飲まないという狂気の血みどろの闘いこそが禁酒・断酒なのである」となる。 これほどまでに酒を渇望する男が断酒にあたり最初に己に問うたのが、なぜ人は酒を飲むのかである。 答えは「楽しみたいから」。 しかしなぜ楽しみたいのか。 人が楽しみを求めるのには不満感や不公平感があるからではないか。 楽しむ権利が不当に奪われていると思うがゆえに、手っ取り早く酒で幸福を取り戻そうとするのだ。 だが人には本当に幸福になる権利などあるのか。 あるのは幸福を追求する権利だけではないか。 そもそも幸福とは苦しみとイコールの関係だ。 幸福だけで、苦しむことがなければ、それは普通の状態だからだ。 そして酒から得る幸福は一瞬で消え、その後には泥酔のために引き起こされる負債がついてくる。 そして帳尻を合わせるためにまた酒を飲み、大きな負債を抱える。 そう、目次にあるように、飲酒とは負債なのだ。 ではなぜありもしない権利を、私たちは持っていると錯覚するのだろうか。 それは私たちが自己を認識するとき、どうしても自惚(うぬぼ)れるからで、「自分は平均よりも少し上」と考えているのだと喝破する。 すると人は常に現在の境遇に不満を持ち、優秀な自分が持つべき幸福権を侵害されていると錯覚する。 つまり断酒のためには自己認識を改造することが必要だと著者は結論づける。 私たちは普通の人間で、普通の人生は楽しくないものなのだと。 だが、これだけでは絶対的な断酒は不可能で、より歩を進め「自分は普通よりもアホ」なのだと自己を認識すべきだとする。 極端な気もするが、読み進めるうちに妙に納得してしまうから不思議だ。 酒ひとつを断つために、自らと向き合い、果てはまるで仏教思想に通じるような「断酒思想」を完成させた町田康には絶句させられる。 現在、著者は4年間、一滴も酒を飲んでいないそうだ。 酒を飲んでも飲まなくても人生は悲しい。 ならば飲まずにその悲しみを味わおう。 そう語る著者に古(いにしえ)の賢人の横顔を見る。

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しらふで生きるには|木の実横丁|note

しらふ で 生きる

僕は町田康さんの作品は未読。 もちろん『告白』は知ってるし、随所で面白いという評を見るのでいつか読もうと積んでいるけど、とにかく今のところは未読。 で、本書を取った理由は町田康ファンだからということではなく、禁酒に興味があったから。 というか自分もできることなら禁酒したい。 その思いだけはずっと持ち続けているが、今のところ成功したことがない。 だいたい週の半分くらい、1回につきビール350mlを1缶かハイボール1~2杯ってとこだ。 20代のころはもっとたくさん飲んだが、今は翌日に酒を残したくないのでそれくらいでやめている。 それでも飲み過ぎだという見方もあるだろうし、まだまだ大丈夫という人もいるだろうけど、僕はもっと酒を減らしたい。 できれば月1回くらいにしたい。 月1回じゃ禁酒じゃないじゃん!というのは当然なんだけど、たまに友達と飲みに行くときくらい酒を飲みたい、というのをだいたい月1回のカウントとしている。 酒は好きだし、誰かと飲む酒は美味しい。 だからそれくらいありにして欲しい。 自分に甘い。 なので、簡単には飲まないようにいっそのこと家では禁酒すべきだという自覚はある。 だから今週は禁酒してランニングや筋トレ頑張ろうと決意するんだが、1週間も続けると「今日は飲みたいな!飲まなきゃやってられん!」という気分になり家でビールを開けてしまう。 飲みたくなる理由は人それぞれだろう。 単に酒が好きな人もいれば、ストレスで飲まなきゃやってられんというのもあるだろう。 僕はどっちもだが。 そのうえで、酒を飲んでしまう原因の一つに自分が料理好きというのもあると思っている。 ネットで美味しそうなおつまみのレシピを見ると、どうしても作りたくなってしまうのだ。 僕は特に辛いものや、レバーや砂肝などのホルモン系の食べ物が好きなんだが、そういった料理は子どもとともにする食卓には不向きなものばかりだ。 なので、毎日の献立はバランスの良い食事を作り、金曜や土曜の夜などにひとり酒を楽しむために自分のためにつまみを作るのだ。 で、このつまみもよくない。 夜深い時間に飲食するのは太りやすくなるばかりでなく、逆流性食道炎を招くことになり、ひいては食道癌のリスクを高める。 酒にかかわらず寝る前の飲食にいいことなんて一つもないのだ。 そういう様々な事象を包括して、僕はまず酒をやめたいと思っている。 長々と自分語りをしてしまったが、本書は酒好きで有名らしい町田康さんが、いかに禁酒するに至ったかを書くノンフィクションルポ…だと思って手を取ったらとんでもなかった。 これは自らの思考をひたすら言語化して問答を繰り返す哲学書だった。 古典の引用からはじまり、酒は「飲みたい」という気持ちこそ「正気」であり、飲まないという気持ちは「狂気」さえであると断じることから始まる。 そしてその狂気をいかに自分に受け入れていくのかについて、ひたすら思索していくのだ。 自己を掘り下げることによって見えてくるものは多い。 自分のことだと侮らずに、自分の考えをしっかりと文字として起こすことによって見えることもある。 僕は今日、自分が逆流性食道炎になりたくないから酒をやめたいんだというひとつの結論に至ることができた。 だからこそ、まず本書をみんな手に取り、自らの中に問いかけるという行為を初めて見るべきではないだろうか。 酒をやめたいなら。 tojikoji.

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