朝ドラ スカーレット あらすじ ネタバレ。 スカーレットあらすじ【第25週】喜美子に残されたのは陶芸と八郎|ネタバレ・考察|朝ドラあらすじネタバレ考察

スカーレット最終週第25週ネタバレ!あらすじ・最終回はどうなる?

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名前は川原喜美子。 両親と二人の妹との暮らしは貧しく、頑張り屋の喜美子は、幼いながらも一家の働き手だった。 15歳になった喜美子は、大阪の下宿屋で女中として働きはじめる。 大都会での暮らしと、個性豊かな下宿の人々との出会いは、喜美子をさらに成長させる。 3年後に信楽に戻った喜美子は、地元の信楽焼にひかれ、男性ばかりの陶芸の世界に飛び込む。 やがて愛する男性と結婚し、息子を授かり、仕事にも家庭にもまい進する日々が始まる。 相変わらずの貧乏だが、夫や息子のかたわらで、大好きな陶芸にいそしむ喜美子。 だが、幸せなはずの生活は思惑どおりにはいかず、大きな波乱が彼女を待ち受けている。 どんなにつらいことがあっても、陶芸への情熱は消えることがない。 喜美子は自らの窯を開き、独自の信楽焼を見出していく。

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【3/28更新】朝ドラ『スカーレット』(2019年後期)ネタバレあらすじ・感想まとめ【NHK連続テレビ小説】

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目次(クリックできます)• 朝ドラ「スカーレット」 102話のあらすじ(ネタバレ) 喜美子 戸田恵梨香 はラジオから流れてくる雄太郎 木本武弘 の声に驚きます。 雄太郎が歌う「さいなら」が流れてくると、その歌詞とメロディーに聞き入る喜美子。 「さいなら」は大切な人との別れを歌った歌でした。 そして、喜美子はその歌を聞きながら喜美子と武志 中須翔真 の絵に八郎 松下洸平 を描いていきます。 八郎を描きながら、今までのふたりの思い出が甦り涙が溢れてくる喜美子。 翌日、武志はちや子 水野美紀 の友人たちと遊園地へ出かけます。 武志が出かけると、喜美子はちや子へ久しぶりにお茶漬けを作ります。 そのお茶漬けを懐かしみ「美味しい!」と言って食べるちや子。 喜美子は「昨夜遅かったんですね。 今でも記者をやってるんですか?」と聞くとちや子は「今はひとりでやってる。 フリーランスっていうやつや。 」と答えます。 「ひとりでやっている。 」という言葉が気になって、喜美子は「あの、ひとりっていうのは…」と結婚していないのか聞いてみます。 「ひとりや。 仕事してたらなかなかないわ~。 」と言うちや子。 「好きになった人とかは?」と喜美子が聞くと「それはあるけど。 ほら、うちいつもズボンやん!仕事あると走っていかなきゃならんからな。 色恋はスカートみたいなもんや。 わかるかな…?」と言います。 「わかります。 私もいつもズボンです。 」 喜美子はそう答えます。 ふたりが話をしていると、ドアから喜美子に見つからないように雄太郎と大久保 三林京子 が入ってきます。 突然歌い出す雄太郎に「雄太郎さん!信楽太郎さんや!!」と驚く喜美子! そして、食器棚の陰に大久保の姿を見つけます。 大久保との久しぶりの再会に満面の笑みを浮かべて「ご無沙汰しています!」と頭を下げる喜美子。 大久保は喜美子が大阪へ来ていると聞いて、お手製の漬物を持ってきてくれたのです。 喜美子がみんなのお茶を入れて出すと、そのお茶を飲んだ大久保が「うん。 」とお茶の味に納得して頷きます。 その大久保の様子を見て笑顔の喜美子。 「大久保さん、いくつになりました?」と雄太郎が聞くと「60過ぎたら、70も80も90も100も120も一緒や!!」と言う大久保にみんなが笑います。 雄太郎は「僕もええ年や。 やっと約束が果たせるわ。 喜美ちゃんのお父さんにオート三輪買ってやるって言うた!」と言うと「そうやった!!そしたらお願いします~。 」とおどける喜美子。 そんな喜美子に雄太郎は封筒を渡します。 渡された封筒を見て「お金やん!!こんなんもらえません!!」と言う喜美子。 すると雄太郎は「半年、家賃ためたことあったやん。 その時、喜美ちゃんが内職のお金使って立て替えてくれた。 追い出されてもしょうがなかったのに。 利息払ってへん。 」と言います。 お金をもらうことを拒む喜美子でしたが、大久保やちや子にも「もらっておき!!」と言われて受け取る喜美子。 喜美子にお金を受け取ってもらった雄太郎は「これでやっと恩返しが出来た。 」と喜びます。 そして、久しぶりに喜美子の「雄太郎さんが、信楽太郎さんが、もっと売れますように!!草間流柔道!とや~!!」とみんなでやるのでした。 大久保は「あんたも陶芸、きばんなはれ。 家の中の仕事が出来る女は何でもできる。 家の中の仕事は生きるための基本やさかい。 」と言い、喜美子の背中を押してくれます。 そこへ「喫茶さえずり」のマスター オール阪神 が杖をつきながらやって来ます。 雄太郎と喜美子は、マスターとの久しぶりの再会を涙を浮かべて喜ぶのでした。 そして喜美子は信楽へ戻ります。 帰って来た喜美子と武志をマツ 富田靖子 が優しく迎えてくれます。 喜美子は笑顔で「ただいま。 」と言い、穴窯に向かっても「ただいま。 」とつぶやくのでした。 スポンサーリンク 朝ドラ「スカーレット」 102話の評価評判は? 涙が美しい。 全ての基本やさかいな」「『そんなんちゃう』なら『そんなん』になればええ」大久保さーん!好きー!さえずりマスターお元気そうで何より。 歌を聞きながら涙を浮かべて家族の絵に八郎を書く喜美子には、八郎への愛が溢れていましたね。 穴窯への情熱と八郎への想いで気持ちの整理がつかない喜美子の元に、久しぶりに雄太郎と大久保が来てくれて、喜美子は本当に嬉しそうでした。 喜美子のあんな笑顔は久しぶりです。 最近は穴窯のこと、八郎のことで悩みが尽きない喜美子でしたから、心からの笑顔は最近見れていませんでした。 やっぱり喜美子には笑顔が一番似合います! 大久保の「家の仕事は生きることの基本や。 家の仕事が出来れば何でもできる!」という言葉は喜美子に前に進む勇気を与えたようです。 やはり喜美子は穴窯へと突き進むでしょう。 次週予告に「きれいな色が出ました。 」という喜美子の言葉がありました。 そして、八郎の涙もありました。 ふたりが同じ道を歩むことはもうないのでしょうか…。 喜美子は女性陶芸家として生きていくのかもしれませんね。 予告には成長した武志を演じる伊藤健太郎さんの姿も見えました! 武志がこれからどんなふうに成長していくのかも楽しみです。

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スカーレットネタバレ16週【八郎と三津が急接近!駆け落ちへ

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第22週の朝ドラ「スカーレット」は、時が流れて平成2年(1990年)、喜美子52歳、八郎54歳、武志が29歳という設定でスタート。 物語は信楽窯業研究所での研修が終わり、喜美子の「かわはら工房」で作陶に没頭する武志と喜美子の姿から。 ちなみに、朝ドラ史での平成2年(1990年)では、「半分、青い。 」の律が、センター試験当日、受験票が入ったファイルを鈴愛と取り違えてしまい、京大受験を断念せざるをえなくなるという悲劇がありました。 そしてこの「スカーレット」でも、より深刻な悲劇が始まろうとしております。 武志が慢性骨髄性白血病と診断され、余命宣告を受けるという展開。 心してお読みください。 スカーレット第22週のネタバレあらすじ 掛井武蔵丸先生の下で釉薬を学んだ武志は、もっかのところ天目釉に夢中。 天目釉とは、鉄を多く含んだ黒色の釉薬のこと。 その天目釉を使った天目茶碗を作っては喜美子に見せる武志であったが、その出来栄えに納得できず、ため息まじりの日々。 参考までに、こちらが天目茶碗になります。 さんによるからの写真 そんな作陶に励む母子を見守る八郎は、すでに陶芸家を辞めていて、2人をバックアップする日々。 武志の29歳の誕生日の日に、仕事の合間に喜美子が武志に語りかけた。 来年の春、信楽で開催される世界陶芸祭のことを知っているかと。 喜美子はその陶芸祭に穴窯で作った大壺を出品すると言うと、武志も負けじと天目茶碗を出品すると。 2人は一緒に世界陶芸祭に向けて切磋琢磨することを誓い合ったのだが…。 その数日後、作陶中に腰の辺りに異変を感じた武志が工房で倒れ込んでしまったのだ。 すぐさま駆け寄った八郎が、武志の体を抱きかかえると、ものすごい高熱があることが判り、すぐに病院に運び込まれる武志。 病院では、すぐに腰周りのレントゲンを撮り、血液検査を受けて、とりあえず検査結果が分かるまの緊急対応として解熱剤を処方される武志。 その日は入院することなく家に帰ることができたのだが、翌日になっても熱が下がらず、心配する喜美子と八郎。 そこに休日にも関わらず病院から緊急の電話が入り、血液検査で異常が見つかったので、明日、すぐに入院してほしいとのこと。 翌日、家族3人で向かった病院では、武志を1人病室に残し、喜美子と八郎が武志の担当医となった 大崎茂義医師(稲垣吾郎)から武志の病気の説明を受けるのだった。 川原武志くんの病気は、慢性骨髄性白血病です。 現代の医療技術では、2年ぐらいの命です。 武志の余命宣告という衝撃的な事実を聞かされた喜美子はその場で失神してしまうのだった。 そして、ようやく目を覚ました時に、改めて大崎茂義医師から武志くんのために頑張りましょう、自分たちも全力で治療しますという言葉を聞き、我に返る喜美子。 この事実を武志にどう伝えるべきか…。 もし事実を伝えなかったら治療の度に嘘を重ねることになり、武志も不安になるだろう。 武志も自分も、そして大崎先生たちと一丸になって病魔と闘うしかない、喜美子は武志に真実を話すことに迷いはなったのである。 そして、八郎にお願するよりも自分が伝えるべきだと覚悟を決めた喜美子。 一方、八郎も武志に伝えなければいけないと考え、大崎医師に白血病のことを教えてもらっていた。 この慢性骨髄性白血病は、血液型の合った人間から骨髄移植するしか助かる方法がないと。 そして、万が一、血液型の合った人間が見つからなかった場合には、死を迎えざる負えないと。 八郎は、気を失っていた喜美子のベットの横に座り、大崎医師に聞いたことすべてを話した。 悲しんでる場合じゃない、武志と血液型の合った人間を見つけなくては…。 武志を病院に残し、家に戻った喜美子はすぐに土を煉った。 なぜ武志なんだ!? なぜ…! 喜美子はありったけの涙を流し、そして翌日、武志に真実を伝えるために病院に行ったのである。 よう聞き。 武志の病気は慢性骨髄性白血病や。 そうか…。 喜美子の言葉に力なく返事をする武志。 実は入院してからも何の説明もなく、しかも体が言うことを聞かない現状から、武志は自ら医学書を手に取って、自分の病気のことを調べていたのだ。 そして、骨髄移植するしか助かる道がないことも知っていた武志に、喜美子は お母ちゃんとお父ちゃん、武志で力を合わせて必死に訴えれば、きっと助けてくれる人がいてるから。 諦めへんよ。 武志の目は、まっすぐに喜美子を見ていた。 川原武志が慢性骨髄性白血病に罹患したこと、骨髄移植するしか助かる方法がないことは、すぐに信楽の人々に知れ渡った。 そして骨髄液の提供者(ドナー)探しと入院費用を集める目的で 「川原武志を救う会」が発足。 その活動がやがて大きなうねりとなって、 「川原武志支援団体連絡協議会」が置かれることに。 「川原武志を救う会」と「川原武志支援団体連絡協議会」、この二つの団体は、武志のみならず、白血病に苦しむ患者やその家族のために 「骨髄バンク」を作るきっかけとなり、世の中に大きく認知されるようになっていった。 喜美子もこれらの活動に参加することはもちろんこと、「母子作陶展」を開催して「骨髄バンク」の必要性を世の中に訴えかけていた。 「母子作陶展」で展示された喜美子の大きな壺は、世間の注目を浴びて、全国から武志のために数千人のドナーが登録されるのだったが…。 武志に合う血液型のドナーは見つかることはなかったのである。 しかしながら、この「骨髄バンク」設立の動きは、全国規模の活動となっていて、ついには 「骨髄バンクと患者を結ぶ会」が結成されるのだった。 そして、その「骨髄バンクと患者を結ぶ会」の会長に武志を推す声が広がり、武志はそれを快諾するのだった。 僕の命がなくなっても、一人でも多くの白血病患者が救われるのなら僕は会長をする。 ドナー登録数万人あったら、たくさんの若い命が助かるやろ。 武志は入退院を繰り返しながら、天目茶碗を作り続けた。 それを喜美子が穴窯で焼き上げる母子の合わせ技。 そして、出来上がった武志の天目茶碗と、喜美子の作った大壺を並べて、 命の茶碗…。 武志の生きたいという意思が詰まった茶碗だと喜美子は思ったのである。 平成3年(1991年))5月14日に起きた信楽高原鉄道事故。 このことが次週23週に出てきます。 この「世界陶芸祭」の来場者を中心に42名が死亡、614名が重軽傷を負った大惨事でした。 改めて犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。 スポンサーリンク.

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