ラジオ 日本。 謎のラジオ局「ラジオ日本」を調査 & 赤羽橋駅からの行き方

ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93

ラジオ 日本

,LTD. 4MHz 5kW 公式サイト 特記事項:番組の殆どは東京支社から放送されている。 (56年)に株式会社ラジオ関東から商号変更。 同局では、・を 放送局と称する。 概要 [ ] に属さないであるが、、と提携して番組を相互供給している。 かつては(現:)ともネットを組んでおり、この4地域(神奈川県周辺・・・)のみのをニュース番組で放送していた時期もあった。 の実施実績は無い。 までから全国ニュースの供給を受けていたが、に供給元がに変更され、その後、長期にわたって聴取率低迷と経営の混乱(参照)が生じた。 経営混乱の収束にあたり、(日テレ)の資本参加を受けて傘下に入っており、(NTVHD)の公式でも「日本テレビ系ラジオ中波放送」として紹介されている。 輪番制で中堅アナウンサーがアール・エフ・ラジオ日本に出向したり、日本テレビ協賛番組(坂上みきのエンタメgo! 、小鳩の愛、わたしの図書室、他)が放送されている。 日本テレビが体制に移行してから、法人としてのアール・エフ・ラジオ日本は、NTVHD(旧・日本テレビ)から新・日本テレビの子会社に異動しており、NTVHDから見たら孫会社にあたる。 神奈川県の局でありながら、1978年以降、日本テレビ・読売新聞社と資本の関連があったため、いずれもが本拠である(主管試合)、(・他都内主管試合)において広告看板(マーク付き)を掲示したことがある。 なお、(ワイドFM)用として 92. 4MHzが割り当てられており、2019年(平成31年)1月31日に総務省関東総合通信局から無線システム普及支援事業費等補助金の交付決定を受けている。 同年(令和元年)6月26日に総務省関東総合通信局から予備免許が交付された。 2020年(令和2年)1月に試験電波の送信を開始、同年3月16日5時から本放送を開始した。 なお、既に同年2月16日までにラジオ日本以外の全民放AM放送局がFM補完中継局の本放送を開始しているため、今回の本放送開始を持って、全ての民放AM放送局でFM補完中継局の本放送を開始したことになる。 南関東1都3県の中波局で唯一、中波の中継局を持つ。 「社会の木鐸」宣言 [ ] ラジオ関東は、開局以来「洋楽のラジ関」の通称で親しまれ、イベントでラジオ日本が出展するブースには、決まって自慢の洋盤ジャケットコレクションが掲示された。 また、その後も女性番組など幅広く扱っていた 他、後半には吉崎四平プロデューサーがコールサインの「JORF」を「JOフレンズ( Rock Friends)」と読ませ、ロック音楽に力を入れた。 しかし、創業に尽力したの意を受けて経営にあたったは、(昭和52年)に巨人戦ホームゲームの独占中継権を獲得したことに乗じて体制を強化させ、社名を「アール・エフ・ラジオ日本」に変更した後の(昭和57年)には、「社会の木鐸」宣言を行い、若者向け番組を敵視し大幅に削減。 色の濃い論説やの多い、中高齢層対象番組中心に編成を一変させ、タクシーやトラックの、一部的リスナー層に浸透した一方で、全体的には大幅な聴取率低下を招いたため、多くのが撤退し、経営悪化が深刻になった。 神奈川の県域放送として免許交付されたが、全域(神奈川県、東京都、、)で聴取できる実態 があり、遠山時代には東京支社に社員の9割が配置されるなど、東京支社が実質的な本社・演奏所として機能していた。 (昭和61年)に横浜市土地開発公社が払い下げた横浜市中区の公有地(現在の登記上の本社所在地)が「地元の放送は防災公報等の公共性がある」ことを考慮し、実勢価格の半額以下で任意譲渡されたにも関わらず、建築計画には演奏所も送信機もアンテナ塔も無い単なるテナントビルである事が暴露され、慌てて放送設備等を備えた計画に変更されるなど、社会的非難を浴びる問題も生じた。 会長として従前権勢を揮っていた遠山は、前後の歌舞音曲自粛を経た(平成元年)以降、若者向け番組の完全排除に踏み切る。 さらには、意に沿わぬ局員を徹底的に・し、をに異動して告訴されたり、管理職研修をで行ったり、最盛期には150名以上居た社員を30数名まで減じるなど、恐怖政治的な人事・労務策を敢行。 その間、残った社員も遠山への不満を募らせていく事態に陥り、経営破綻も現実味を帯びていった。 会長解任、「社会の木鐸」の終焉 [ ] (平成5年)、遠山はこの日午後3時から実施される予定だった取締役会に遅刻。 それにもかかわらず遠山は「取締役会は定時に開催すべし」と連絡したことで、その日の取締役会は遠山が定刻に来ないまま開始された。 本人到着を待つ間、長年の遠山独裁に不満を募らせていた遠山以外の同局幹部は、その席上で遠山の解任案を緊急発議。 審議は全会一致で可決され、遠山を「 公共の電波を預かる放送会社の代表として相応しくない」という理由で電撃解任。 遠山が取締役会に到着した時には既に手遅れで、そのままワンマン体制に終止符が打たれた。 取締役会終了後の午後3時15分には、会議室に社員を集め 「これはプレゼントです」と言い、遠山の解任を伝えた。 これに先立つ同年3月、同局は巨人戦ホームゲーム独占中継権を失って、遠山は主要提携先の読売新聞社から見放された形になっており、経営破綻は時間の問題だった。 後任社長には、外部から解任劇を筋書きしたと同じく、読売新聞・日本テレビ出身のが就いた。 外山は遠山の負の遺産の整理を進め、(平成6年)に「乱脈経営で会社に損害を与えた」として遠山を告訴し、遠山の土地・家屋を差し押さえて、一族所有の同局株式を日本テレビに譲渡させ、事実上の日本テレビ傘下に納めたことで、混乱に一応の終息を見た。 これにより経営破綻寸前であった同社はそれを免れ、以後数年間にわたって再建した。 「社会の木鐸」終了から現在 [ ] 「社会の木鐸」終了後、編成方針については、当初は競合他局との差別化を図る意図から劇的な変化を避け、長年にわたりを複数番組で重用し、没後も実子のを起用している他、演歌番組も多く編成するなど、高齢者志向を続けていた。 また、報道面では(平成21年)に深夜放送「ラジオ時事対談」を開始する、神奈川県議会元議員や地元企業社長のトーク番組が多い等、遠山時代の名残だけでなく、現在提携関係にある読売新聞・日本テレビの影響もあり的傾向となっている他、日本テレビアナウンサーの出演する番組が増加している。 2000年代以降には以前排除されたアイドル系タレントが参加する若者向けの番組が主に週末を中心に増えつつあり、また『』といった、アニラジを復活させたりとイメージ払拭のキャッチフレーズに「こんな番組もやってます」として夜のアイドルパーソナリティの写真を中心に散りばめた広告戦略を打っている。 さらに春から深夜枠「」を開始し、アイドル番組枠を大幅に増やした。 一方秋から、諸事情により、形式的にはDJを入れ番組として編成しているが実態はと言う枠(ミュージックコンボイ、ザ・スタンダード、Midnight Mix、フォーエバーミュージック、ミュージックセレクション、ウェイクアップミュージック)も深夜帯を中心に現れている。 事業所 [ ] 事業所 所在地 備考 本社 5-85 三共横浜ビル 登記上本店。 東京支社 2-2-1 麻布台ビル北館2階 番組の大半をここから放送。 マスター(主調整室)もここに設置されている。 関西支社 1-3-1-1100 送信所 [ ] 放送時間は5:00起点の24時間放送(放送機器メンテナンスのため、日曜深夜(月曜未明)1:00 - 5:00は休止)。 同局では、送信所・中継局を 放送局と称する。 親局 コールサイン 周波数 出力 備考 JORF 1422kHz 50kW• 都県境のため神奈川県方向へ電波が飛ぶように指向性が、かけられている。 中継局 コールサイン 周波数 出力 備考 JORL 1485kHz 100W• 本局の電波が届きにくい県南西部を補完し、また特に海水浴シーズンの 渋滞情報を伝える目的で、(昭和56年)に開局した。 3月まで「RADIO WEST」の通称を用い、平日午後(末期は金曜午後のみ)に (小田原支局廃止後は横浜本社制作)を放送していた。 開局当初は前にローカル番組用スタジオ(小田原支局)を擁していたが、 その後河畔に送信所を独立させて廃止した。 ただし、周波数・出力・コールサインは変わっていない。 予備送信所 コールサイン 周波数 出力 備考 1422kHz 1kW• 別名:野毛山無線基地兼非常用予備送信所。 元本社演奏所跡地の横浜市西区老松町(の山腹)に所在し、 (平成11年)3月に建替竣工。 建替前に荒廃した旧局舎上の鉄塔スペースを、行政当局に無断で 用基地に提供し賃料収入を得ていたため、問題化したことがある。 FM放送 コールサイン 周波数 出力 備考 横浜 92. 4MHz 5kW• 2020年3月16日開局• 横浜市にある 内に設置されている。 資本構成 [ ] 企業・団体は当時の名称。 出典: 2018年1月1日 [ ] 資本金 発行済株式総数 1億円 3,500,000株 株主 株式数 比率 2,254,369株 64. (昭和33年)• - 株式会社ラジオ関東を設立。 ラジオ神奈川、湘南放送、神奈川放送の免許申請を一本化。 の政治力が強く働いた。 12月24日 - 周波数1480kc , 出力1kW で放送開始。 全国40番目の開局。 (昭和34年) - 出力を10kWに増力• (昭和35年)• - で、ラジオ関東主催『歌謡曲ゴールデン・ヒット・ショー』公開録音の開門時に、将棋倒し事故発生。 死者12名、重軽傷者14名()。 - ただ一局、で安保反対デモを実況中のアナウンサーが、鎮圧に投入された隊員にで殴打される模様が生中継されたため、多くの聴取者にの実態を知らせることとなった。 島は「機動隊に殴られました、暴力です。 ただ暴力があるのみ、これが日本の現実です」とレポートした。 申請は却下される。 (昭和39年) - 東京支社をからの麻布台ビルに移転。 この頃から、実質的な本社機能を横浜から東京へ移転させる。 (昭和40年) - 台風取材中のラジオカーがからに転落。 記者・アナウンサー6名水死• (昭和41年) - 日本初の終夜放送『オールナイト・パートナー』放送開始• (昭和43年) - 周波数を1420kcに変更• (昭和46年) - 出力を30kWに増力すると同時に、指向性アンテナに改造。 (昭和49年)10月 - 『』開始(在京ラジオ局による歌謡賞レース序盤の重要な大会であった)。 (昭和52年) - とでの戦ラジオ中継独占契約を締結。 (昭和53年)• - ニュース提供元をから読売新聞社に変更(配給の『』を除く)• 読売系列局のとの関係が強化された結果、ニュース番組は、夕方の『京浜ニュース』(開局当初から(平成15年)まで放送された)を除き、読売から配給を受けるようになった。 それまでは毎日 からを受けていた。 - ITU の取り決めで周波数が9kHzステップへ移行。 それに伴い、午前5時を以って周波数を1422kHzに変更。 (昭和56年)• - 小田原放送局(中継局、出力100W)開局• 10月1日 - 株式会社アール・エフ・ラジオ日本に商号を変更 すると同時に、川崎幸放送局(送信所)を50kWに増力。 の行政指導を受けアンテナの指向性を強めたため近距離不感地帯が拡大し、営業にも悪影響が及んだ。 (昭和57年)4月 - 「社会の木鐸」宣言(路線に転向。 アイドル、ポップス番組を削減)• (平成元年)4月 - 若者向け番組を完全に排除• (平成2年) - 「大人の放送局」を編成の基本方針とし、50歳以上の聴取者をメインターゲットとする• (平成3年)11月2日 - 落雷による停電で川崎幸放送局が停波したが、自家発電装置が自動起動せず、更に道路渋滞で技術部員の到着が遅れ、2時間近く停波。 郵政省等の監督官庁から厳重注意処分を受ける。 (平成5年)• - 独占していた巨人戦ホームゲームの中継権がのとにも開放されたため、聴取率低下が深刻化し経営を圧迫• 12月 - 遠山景久会長を解任(取締役会によるクーデター、が主導)• (平成6年) - 遠山一族所有のラジオ日本株式を日本テレビが買い取り、連結子会社化とする。 川崎幸放送局の送信機をフルデジタル化• (平成8年)10月 - 明治生命ラジオ日本ビル落成に伴い、本社を横浜市から現住所に移転。 本社制作番組を増やしたが、一時的なものに終わった。 は「ハマって楽しくラジオ日本」• (平成10年) - 開局40周年。 「WITH YOU 40」をキャッチコピーに展開(「WITH YOU」自体は(平成15年)頃まで使用)。 (平成11年) - 『』放送中に、川崎幸放送局が遠隔制御装置の故障で1時間半に亙って停波。 担当者は社外の対策研修会に全員出払っていたため、早急に復旧できなかった。 一部で暴動・パニックも起き、抗議が殺到。 [ ]郵政省等から再度厳重注意処分を受ける。 (平成12年) - 開始に伴い、ラジオの制作を担当。 444にて「ヒーリングステーション」、ch. 445にて「衛星版ラジオ日本(地上波サイマル中心)」を制作。 (平成13年)• - 開局日以来43年間続いていた夜の長寿帯番組『』が終了。 - で各局が終夜特別報道体制を敷く中、唯一通常番組を録音放送。 (平成15年)• 10月 - ターゲットを働き盛りの男性に絞り、「男のパワーステーション」のキャッチコピーを展開。 - 企業ロゴにのマスコットが加わった。 (平成17年)• 8月 - 『』のチャリティーマラソンの実況生中継を開始。 10月 - ナイターオフの火曜 - 金曜 19:30 - 21:30を「 ラジ関RETURNS」と題打ち、ラジオ関東時代に好評を博した『』、『』、『』の3番組を復活。 (平成18年)4月 - ホームゲーム(対巨人戦以外)の放送権獲得。 『』に加え、『』を開始。 (平成19年) - 開局50周年を前に、「ヒョッとして!? 50年!」のキャッチコピーを展開、懐古番組を定期放送化。 (平成20年)• - と提携し「Radi-on(ラディ-オン)」設立。 - 運用開始。 在京ラジオ局各局から4か月遅れての開始。 - 開局50周年となる12月24日を中心にを放送。 (平成21年) - 『』放送開始。 以降、女性アイドルがパーソナリティを務める番組が増加。 (平成22年) - を担当し、局の看板パーソナリティであったが死去。 番組は息子のが引き継ぐ。 (平成23年) - でのサイマル放送開始。 配信地域は本来の放送対象地域である神奈川県のほか、・・でも聴取が可能。 (9月までは実用化試験配信で、10月以降本格運用)。 放送局記号は「JORF」(横浜本局のコールサインそのまま )。 ニュース提供を従来の読売新聞社単独からを追加し、タイトルを『』から『』に変更。 (平成25年)• - 開局55周年を機に、「なんだろう」に代えて、親会社・日本テレビの「」(通称:ラジオ日本ダベア)を新たなシンボルキャラクターとすることを発表(ダベアの顔が四角くなっていて、頭にアンテナが立っている)。 - radikoの配信地域を・・へ拡大。 (平成26年)4月1日 - 「」による日本全国への配信が開始。 (平成27年)4月 - 毎日深夜帯に女性アイドルの担当する番組を編成する大改編を行う。 これに伴い「ラジオ日本深夜の解放区」枠は廃止。 (平成28年)6月 - が本社ビルの所有権をから譲受、「三共横浜ビル」と改称。 (平成30年)• 3月 - 「」終了をもって、小田原放送局独自編成を廃止。 - 開局60周年を記念し、ロゴマークとコミュニケーションマークを刷新(親会社・日本テレビと同じ字体で「 ラジオ0本」と表記)。 (令和元年) - 総務省関東総合通信局からの予備免許(92. 4MHz)が交付される。 2020年(令和2年)• 1月 - FM補完中継局からの試験電波送信を開始。 3月16日 - 5時からFM補完中継局の本放送を開始。 3月27日、父から番組枠を引き継いで続けて来たマット安川のが終了。 3月31日、「社会の木鐸」宣言後の1984年から続いていたの平日「」が終了。 4月から週一回の「鶴蒔靖夫の話のキャッチボール」に変わる。 極端なケースではや公式上の「本日の番組」並びに放送中の番組名表示の変更が間に合わず、終了した番組名が表示されることもしばしばある。 前述の通り、実質的な本社機能を東京支社が担っていることもあり、生ワイド番組を含め、自社制作の殆どの番組は東京支社スタジオからの送出となっている。 横浜本社では月 - 金曜日 午後帯ワイド番組と本社ビル1階のでの公開録音などに限られている。 ワイドFM開局後のオープニング・クロージングのアナウンスは男性アナウンサーによるものであるが、それ以前はが行った。 いずれも「 こちらは JORF アール・エフ・ラジオ日本、JORL アール・エフ・ラジオ日本小田原放送局です」というアナウンスが入っている。 (昭和56年)秋頃に「なお、ラジオ関東は10月1日からアール・エフ・ラジオ日本と社名変更します」とのアナウンスがあった。 オープニング 毎週月曜 4:57:30頃 から、ペール・ギュントの「朝」が流れ、その後、放送開始であることを告げる。 その後、CMと5:00の時報を挟んで月曜の朝一番の番組へと繋ぐ。 4:57:30頃 放送開始• 4:58:30• 4:59:00 ステブレCM• 毎週日曜 25:00(月曜 1:00)に、男性アナウンサーの声で放送が終了することを告げる。 その後はカーメン・ドラゴン指揮、キャピトル・シンフォニー・オーケストラが演奏するウェールズ民謡の「夜もすがら("All Through the night Ar Hyd y Nos ")」が流れる。 これは前身の「ラジオ関東」開局から使われているもの。 ワイドFM開局前は「どちら様もごきげんよう」のフレーズがあった。 (平成元年)頃までは「ソ・シ・ソ」の部分がの演奏であった(の(昭和54年)までの時報と同様)。 現在は、地方局と同じ音程の時報だが、「ポーン」と延ばさず「ポン」と鳴った瞬間に音が絞られる時報である。 は少なく、散発的に聞かれるのみである。 インターバル・シグナル メロディに合わせて「いちよんにぃにぃ、ラジオーにっぽーん」と歌う。 開局60周年のから一年間、「いちよんにぃにぃ」の部分が「開局60周年」のアナウンスに差し替えられていた。 また、平日も4:58頃から放送されているものは、かつては4:59頃から放送され、女性アナウンスの「お聴きの放送は・・・(サウンドジングル)」か「お聴きの放送は、ラジオ日本です。 」が交互に流れていたが、2019年からは男性アナウンサーによる周波数案内へ変わった。 FM補完放送開始前から周波数読み上げの前に「AM」を付けている。 所属アナウンサー [ ] 男性 [ ]• から移籍、(平成21年)7月に一時アナウンサー職から離脱するも同年12月頃から再びと競馬実況に戻る。 その後(平成26年)7月から(平成30年)4月まで再び競馬実況中継から離れていた。 現 営業編成本部業務担当部長。 - 契約。 ラジオ福島OBで加藤の後輩。 - 契約。 - 現・競馬担当キャップ。 日テレ系列のOB。 - から移籍。 競馬実況中継専任(契約) 「」も参照• (元ラジオたんぱ。 以前は報道も担当していた)• ジャイアンツナイター専任(契約)• - 所属。 、正社員を経て2008年(平成20年)に参加。 契約のため一時離れるが、2016年に復帰。 - 所属。 専属から(令和2年)参加。 飯島理之(元)• 柴崎啓志(元) 女性 [ ]• 佐藤友美• (毎週木曜日担当。 (元)• (元キャスター)• (元アナウンサー)• (元アナウンサー)• 競馬実況中継のみ• - 2015年(平成27年)5月着任。 - 2019年(令和元年)10月着任。 元アナウンサー [ ] 男性 [ ]• ( - 不明、から移籍)• (1958年 - 、から移籍)• (1958年 - 不明、から移籍)• (退社後東京アナウンスアカデミー校長)• ( - 不明)• ((昭和36年) - ) 後も引き続き競馬中継に出演していたが、実況をもって競馬実況から引退。 以降実況を3月まで担当。 (不明 - 、から移籍)• ( - )• ( - )• (への台風取材中に事故死)• ( - )• ( - 不明)• (1965年 - 不明。 ディレクターを経て退社後はスポーツライターとして活動)• ( - 、へ移籍、後、 - 一時復帰)• (1975年 - 不明)• ( - 3月、フリー)• ( - 、ニッポン放送へ移籍)• ( - 、へ移籍)• ( - 不明、より出向)• ( - 1998年、2002年10月 - 6月、日本テレビより出向、12月・日本テレビ退職・フリー)• (1998年 - 2000年、日本テレビより出向、2006年8月・日本テレビ退職・フリー)• (2007年 - 、日本テレビより出向。 営業職兼務。 のため2008年3月で退社し、現在はスピーチコンサルティング会社経営)• (2003年 - 、日本テレビより出向。 2008年6月ラジオ日本営業局へ異動。 のちに常務取締役営業局長。 退職)• 1998年 - 、アナウンス職から異動• (2008年 - 、日本テレビより出向。 常務取締役総務局長、編成局長を歴任。 報道、ナレーションなどアナウンス業務も担当。 現・職員。 同事業団提供『小鳩の愛』MC)• (から移籍) 女性 [ ]• ( - )• 森純子• ( - )• ( - 、日本初の競馬実況女性アナウンサー)• ( - 不明)• ( - 不明)• (1964年 - 不明、力士・の母、旧姓不明)• (元)• ( - 1990年)• ( - 、日本テレビより出向、その後『』プロデューサーを務めた)• ( - 3月、日本テレビより出向、後に同局に復帰)• (2005年4月 - 9月、日本テレビより出向、後に同局に復帰)• (4月 - 10月)• (ニュースアナは12月まで、「ジャイアンツナイター」のナイターナビゲーターは継続)• (4月迄、『中央競馬実況中継』のみ出演。 (元)• ((平成22年) - 、元) アナウンサー以外の過去の在籍者 [ ]• (元報道部長・政治評論家)• (元報道部長、取締役論説委員長、『』主幹で出版元の社長)• (現:『』編集委員兼日経BPヒット総合研究所上席研究員)• (元担当記者・ディレクター) その他 [ ]• (昭和33年)から(昭和39年)まで、の乗客向けにを使用して車内でを放送していた。 1964年(昭和39年)の旧ラジオ関東時代から、(平成23年)までの競走『』に社杯を寄贈していた。 尚、(平成24年)からは3歳以上のオープン特別競走「ラジオ日本賞」が新設され、社賞が寄贈されている。 から(昭和55年)代初頭まで、毎年夏休みに『夏だ! 三浦だ! サマーフェスティバル』を、の特設会場で年度によりと共催していた。 7月下旬-8月初旬の期間中は、やの歌謡ステージが日替わりで催され、その模様を月-金曜昼時にしていた。 京浜急行電鉄は、発三浦海岸行「ミュージックトレイン」(同局で同名の帯番組が存在)を運行した。 会場に向かう出演者が、ファンサービスとして、その臨時列車に同乗する場合もあった。 「ラジオ関東」から「アール・エフ・ラジオ日本」に社名を変更する際、「ラジオ日本誕生」という社名変更告知のテレビCMを日本テレビとで放送した。 各紙(、、)の番組欄では、名称を「RFラジオ日本」としている。 同じフジサンケイグループのとは、ラジオ・テレビ欄でアール・エフ・ラジオ日本を割愛している(在京民放AMラジオ3局と、同じ県域放送局のを始め、・・のは掲載)。 在京他紙・は「ラジオ日本」、の長野県版と静岡県版は「ラジオ日本RF」と記載(ただし中日新聞の東京本社版である東京新聞の静岡県版では「ラジオ日本」と記載)。 なお、新聞各紙の番組表に掲載されている問い合わせの電話番号は横浜本社ではなく、東京支社の番号である。 「」のBS445chでは、アール・エフ・ラジオ日本の一部番組の同時放送を行っていた((平成17年)付廃局扱い。 かつてはによる同時放送もあった)。 2010年には、硬派なコンテンツの幅を広げるため、企業経営者をゲストに迎えるトーク番組『Radio』をとのタイアップで放送した(3月1日から11月29日までの40回、毎週月曜日の23:30 - 24:00枠)。 2011年(平成23年)に旗揚げされた団体・の協賛スポンサーであり、同団体が認定・管理する王座を「ラジオ日本杯」としている。 結果として実現しなかったが、東京支社を内に移転させる計画を立てていたことがある。 脚注 [ ] []• 特に岐阜放送とは綿密に交換している [ ]• 東京ヴェルディに関しては、(平成21年)の日本テレビ資本撤退以降もスポンサーを続けていたが、2014年度限りで撤退した。 2019年(平成31年)2月6日、関東総合通信局• アール・エフ・ラジオ日本. 2020年3月3日閲覧。 四国総合通信局(2020年2月14日作成). 2020年3月13日閲覧。 総務省(2020年2月25日作成). 2020年3月13日閲覧。 「社会の木鐸」宣言以前は、、、らがの、月-金曜22時からの「電撃ワイド・ウルトラ放送局」がかなり話題になるなど、若年層向けの番組では、他局にひけをとらない人気があった。 また全盛期のが30分番組を持っていた(もっとも当時のが提供していた)。 「QJ」63号、p125。 この件もあり、後のradikoは当初から南関東全域が対象。 最終的に基本サービスは関東広域圏全域が対象に広がり、radikoプレミアムを利用することで日本全国が対象に広がった。 この影響で『』が開始間もない(平成3年)に突如(制作局を同局と関係の深いに移し、ラジオ日本以外で番組を続行)になった(林原めぐみ『明日があるさ』学研、p58。 ただし本文では局名は伏せられている)。 花輪如一「ラジオの教科書」データハウス、p290-299• 特に「」が22時台だった当時は、ノンスポンサー番組のため、プロ野球中継が1分でも食い込めばその回は放送休止となり「フォーエバーミュージック」に切り替えられた。 ラジオライフ7月号 三才ブックス : 118-121. 2020年6月25日. 2018年4月15日閲覧。 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、171頁。 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、257頁。 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、279頁。 『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、299頁。 『日本民間放送年鑑2016』コーケン出版、2016年11月25日、306頁。 kc(キロサイクル)は現在のkHz(キロヘルツ)と同義。 『民間放送十年史』 日本民間放送連盟・1961年12月1日発行 411頁第2部各社史録「ラジオ関東 年表」。 看板番組のプロ野球中継でも、一部の曜日で大阪の MBS とネットワークを組んでいた( - (昭和39年))。 毎日新聞社は、(昭和26年)に「ラジオ日本」なる名称で民間放送の開局を目指していたが、(読売新聞社系)、朝日放送(朝日新聞社系、大阪のと同じ計画)、東京放送(系)の競願各社と行政指導で一本化され、「ラジオ東京」(後に東京放送、現在の)として開局した。 当然ながら計画頓挫したこの「ラジオ日本」と、現在のアール・エフ・ラジオ日本は別物。 毎日新聞社系列の()が、東京支社に設置したスタジオの有効利用と関東地区への進出を目的に、神奈川県域放送での免許出願に向けて動いていた。 結局、現在のアール・エフ・ラジオ日本に繋がる他社との競願に破れる形となり、RKBは関東地区進出を果たせずに終わってしまった。 局名公募はあくまで表向きで、実際には当時の社長の強い意向だった。 中吊り広告などで「 決定的瞬間 ラジオ日本誕生」と広告していた(10月以降、テレビ・ラジオCMも放送された)が、長年がに「」の名を用いており、世界的に知名度が高かったため、NHKが善処を申し入れたものの、遠山が拒否した。 やむなくNHKは、「ラジオ日本(ニッポン)」を(昭和56年)にし、遠山に「ラジオ日本(ニッポン)」の名称使用を禁じた。 更にも、名称が酷似して聴取者を混乱させると違反で告訴したため、苦肉の策として社名の頭にの一部である「アール・エフ RF 」を付けざるを得なくなった(ただし、放送では単に「ラジオ日本」のみアナウンスしているため、未だにニッポン放送やNHK国際放送と混同しやすく、NHK国際放送では国際テレビ放送(他)が開始されて以後の以後は「NHKワールド」の冠を入れて放送するようにしている。 なお前述の広告でも、一部でニッポン放送の社名変更と勘違いされていた)。 民放のradiko参加局で放送局記号がコールサインそのままなのは本局との「JOEU-FM」のみ。 月-金曜深夜は「」枠、土日深夜も女性アイドルが担当する番組を、それぞれ1時間ずつ放送。 ラジオ日本、2018年5月14日• ,総務省関東総合通信局,2019年6月26日• 特に春改編では女性のトーク番組を複数、新規に開始し、集中的に放送する曜日を置いた。 2018年から1分間のCMを入れるため、1分早めた。 1975・1976年はニッポン放送が共催したため、臨時列車も当時の同局の周波数から「ハッピー1240」の名称で運行された。 毎日新聞 DIGITALトゥデイ. 2003年2月28日 関連項目 [ ]• 関連人物 [ ]• (ミッキーの実子)• (1990年代に、番組『頭のよくなるラジオ』を提供兼出演。 (巨人軍第2代オーナー。 親会社の日本テレビ創設者のの長男で、日本テレビの非常勤取締役を務めた。 ) 関連放送事業者 [ ]• (日本テレビ系BS局) 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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現在、26歳のAyaseさんと19歳のikuraさん。 2019年11月に公開された楽曲「夜に駆ける」は、わずか1か月でYouTube 100万回再生を突破(現在は2000万回以上)!Billboard Japan Hot 100や、オリコン週間合算シングルランキングでも1位を獲得。 第2弾楽曲「あの夢をなぞって」の原作小説コミカライズが決定するなど展開の幅は広がり、若い世代を中心に絶大な支持を集めています。 小山「YOSASOBIというユニット名はどうやって付いたんですか?」 Ayase「それぞれの活動もありますので、その延長線上にある活動ということで、普段それぞれがやっている活動は昼の姿、YOSASOBIは夜の姿という例え方をしながら、遊び心のある多彩なチャレンジができたらいいなという意味で付けました」 小山「そもそも最初から小説をもとに楽曲を作ろうと思って始めたんですか?」 Ayase「『モノガタリ. com』という小説を投稿するサイトがありまして、そちらのスタッフさんにこういう小説を音楽にするというのをやってみないか? という風に声をかけていただいて。 そこから一緒にやっているという感じですね」 小山「いままでそういうのはなかったですよね」 Ayase「近しいことをやっている方はいらっしゃったのかなと思いますけど。 一般の人から小説を公募して、そこから曲にしていくのは新しいのかなと思いますね」 宇賀「先に物語があるわけですもんね。 緊張しません?」 Ayase「やっぱり作者の方の世界観を壊すわけにはいかない、むしろ広げていきたいという意味合いも込めてやっているので。 そこはちゃんと考えながらやっています」 小山「『夜に駆ける』も当然ベースの小説はあるわけですよね?」 Ayase「こちらは『タナトスの誘惑』という原作小説がありまして、これも『モノガタリ. com』に投稿された小説なんですけど。 それを何度も何度も読んで、僕が楽曲にしてikuraが歌っているという感じですね」 小山「作者の方は、楽曲が完成して初めて聴くんですか? それとも歌詞を途中で見せるとか、メロディーを聞かせるとかはあるんですか?」 Ayase「ちょくちょく僕の感性が間違っていないか確認はするんですけど、基本的には出来上がったものとしてお聴きいただいて。 『すごい、嬉しいです』と言っていただけました」 小山「2,000万回も再生されているということは、当然『タナトスの誘惑』を読みたくなるわけですよね。 必然的にアクセスが増えたり、売り上げが上がったりもしているんでしょうね」 宇賀「よくできてますね」 小山「ラジオ番組を歌にするのはどうですか?(笑)」 宇賀「してほしい(笑)」 Ayase「そこに物語があれば……」 宇賀「でも、私たちお手紙の番組だから。 1通のお手紙を音楽にしてもらうとか、そういうことはできそうな感じがしますよね」 宇賀「もともと小説をお二人は読むんですか?」 Ayase「そうですね、僕はそんなに読むわけじゃないんですけど、ikuraはかなり読みます」 ikura「好きですね。 多いのは恋愛小説なんですけど、私は有川浩さんが好きで、いろんな小説を読ませてもらっていますね」 小山「二人はどうやって出会ったんですか?」 Ayase「YOASOBIというものをやろうとなった時にボーカル探しを始めて、インスタグラムに弾き語りの動画をあげているikuraを発見しまして、声をかけて結成に至る感じです」 宇賀「いまっぽいですね!」 ikura「最初、小説を音楽にすると聞いたときに全く想像がつかなくて。 大丈夫かな? とも思ったんですけど、AyaseさんがボカロPとして上げている曲をYoutubeで聞いたときに、これは一緒にやりたいなと思いました」 宇賀「歌うのが若い女性の方となると、また曲の作り方も変わりますか?」 Ayase「そうですね、自分が歌うわけでもなく、はたまたソフトが歌うわけでもないので。 ikuraの声の感じとかを自分の中でしっかりイメージしながら作っていく感じですね」 小山「Ayaseさんは、逆に小説家の人から『これに曲つけてよ』という依頼は来ないんですか?」 Ayase「そうですね、僕が知る限りではまだ」 宇賀「薫堂さん、チャンスじゃないですか」 小山「曲にしてもらえるとありがたいですよね。 でも爽やかな中身じゃないと」 Ayase「いや、でもどんなのでも」 宇賀「確かに薫堂さんの小説は爽やかというか、夜っぽい感じですよね」 Ayase「YOASOBIですので、大丈夫です(笑)」 宇賀「この番組は『手紙』をテーマにお送りしている番組なんですけど、お二人がこれまで印象的だったお手紙はありますか?」 Ayase「いま、上京して4年目くらいになるんですけど、実家が山口県でして。 15、6歳くらいの、『音楽でやっていくぞ』と志したタイミングで、父から『こういうことを肝に命じて頑張りなさいよ』というのを手渡しではあるんですけど、手書きでもらった手紙というのが印象的ですね」 宇賀「どういうことが書いてあったんですか?」 Ayase「すごく古風な父なので、割といま読んでもあんまりよく分からない言葉がいっぱい入っていたりとか。 ことわざとかが好きなので、そういうのを駆使しながらの熱いメッセージをもらいました」 小山「まだ4年目なんですね」 Ayase「山口県の宇部市です」 小山「親戚の方が郵便局員と聞きましたが」 Ayase「いとこが郵便局員を山口市の方でやっていまして」 小山「宇賀さんは去年、山口の1日郵便局長をやったんです」 宇賀「下関市の郵便局で、名字と同じ字を書いて宇賀(うか)郵便局というところがありまして、そこで」 Ayase「その話、してみます。 宇賀さんとおしゃべりしましたよ、って(笑)」 宇賀「ぜひ(笑)。 ikuraさんはどうですか?」 ikura「高校を卒業するときにハワイへ留学する友達がいまして。 その時に『日本で頑張ってね』ともらった手紙が、その子が描いてくれた私の似顔絵と言葉が添えられていて。 その手紙をもらったときはグッときました」 小山「ikuraさんはレターパックのCMに出たことがあるんですよね?」 ikura「レターパックの広告のパンフレットのようなものに、小学生くらいの頃に」 宇賀「お二人とも縁とゆかりがある感じですね。 いま、若い方ってあんまり手紙を書く習慣はないですか?」 Ayase「逆にと言うとあれかもしれないですけど、いまだからこそ手紙を書くのが逆に斬新であったり楽しんでいるというのは見かけますね」 小山「小説をもとに音楽を作ってこれだけヒットさせているんだったら、YOASOBIが優勝した手紙を音楽にかえますというコンテストをやったらすごくきそうじゃないですか? 想いを伝える手紙を二人で読んで、『これを歌おう!』と」 Ayase「いいですね! ノンフィクションになるわけですよね」 小山「それ、どうですかね? 番組と組んで……」 ikura「ぜひ(笑)」 宇賀「お二人のファンは若い方が多いですよね? 10代の方とか若い方、あまり手紙を書いたりしないよという方たちに、二人からこんなもの書いてみたらどう? という提案はあったりしますか?」 Ayase「いまはSNSで何でも簡単に想いが伝えられる時代ではあると思うので、だからこそ手紙で、それこそラブレターだったりとか、胸の内を実際に言葉に綴るのはすごくいい体験だと思うので。 YOASOBIのAyaseさん、ikuraさん、ありがとうございました! 今週の後クレ 今回のメッセージは、静岡県<沼津椎路郵便局>大鐘祐介さんでした! 「コロナウイルスの影響で、気持ちの重い日々が続く中、少しでも 気持ちが和んでいただければと、社員同士で話し合った結果、桜の写真とメッセージを添えたはがきを、地域のお客さま1軒1軒に お配りすることにしました。 お配りしたところ、郵便局の窓口で「ありがとう」と涙ぐみながら、 感謝の言葉をかけていただいたお客さまや、「一緒に頑張ろう」と 元気に声をかけていただいたお客さまがいました。 たくさんのお客さまが声をかけてくださり、社員全員が元気をいただきました。 郵便局として地域の方々に明るい笑顔と感謝の気持ちをお届けできたことを嬉しく思います。

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謎のラジオ局「ラジオ日本」を調査 & 赤羽橋駅からの行き方

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6月のマンスリーパーソナリティは26時のマスカレイドです! 6月は毎週、ニジマスのメンバーが遊びにきてくれます!! 今週は吉井美優さん&森みはるさんがご出演! そして!新メンバーの中村果蓮さんがメディア初出演!! どうぞお楽しみにー! 《今回のメッセージテーマ》 出演者へのメッセージ、質問、やってほしいこと、などなど、なんでもOKです。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、7月2日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 6月のマンスリーパーソナリティは26時のマスカレイドです! 6月は毎週、ニジマスのメンバーが遊びにきてくれます!! 今週は江嶋綾恵梨さん&来栖りんさんがご出演! どうぞお楽しみにー! 《今回のメッセージテーマ》 出演者へのメッセージ、質問、やってほしいこと、などなど、なんでもOKです。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、6月25日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、6月18日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 6月のマンスリーパーソナリティが26時のマスカレイドに決定しました! 6月は毎週、ニジマスのメンバーが登場!! 先週は東京女子流へのお祝いメッセージをするために、サプライズで電話出演してくれた江嶋さんと吉井さん。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、6月11日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 5月のマンスリーパーソナリティは東京女子流! 毎週、女子流のメンバーが登場です!! メジャーデビュー10周年を迎えた女子流のこれまでを振り返りながら、10周年記念を盛り上げていけるような企画をお届けしています。 最終週となる今回は、中江友梨さんと庄司芽生さんがご登場です! もちろん5月5日にリリースされた10th anniversary single『Tokyo Girls Journey EP 』の収録楽曲もオンエア! ぜひリスナーのあなたも女子流の10周年を一緒に盛り上げてくださいね! 《今回のメッセージテーマ》 1 2 出演者へのメッセージ、質問、やってほしいこと、などなど、なんでもOKです。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、6月4日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 5月のマンスリーパーソナリティは東京女子流! 毎週、女子流のメンバーが登場です!! メジャーデビュー10周年を迎えた女子流のこれまでを振り返りながら、10周年記念を盛り上げていけるような企画をお届けしていきます。 第3週は、山邊未夢さんと新井ひとみさんがご登場です! もちろん5月5日にリリースされた10th anniversary single『Tokyo Girls Journey EP 』の収録楽曲もオンエア! ぜひリスナーのあなたも女子流の10周年を一緒に盛り上げてくださいね! 《今回のメッセージテーマ》 1 2 出演者へのメッセージ、質問、やってほしいこと、などなど、なんでもOKです。 応募方法はTwitterからお願いします。 詳細は、ツイッターをみてね。 今週分のプレゼントの応募締め切りは、5月28日(木)23時59分到着分まで。 当選者の発表は、発送を持ってかえさせていただきます。 新着記事一覧.

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